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2018年05月16日 11時28分 JST | 更新 2018年05月16日 12時29分 JST

マレーシア政局にも影響「老華人企業家自伝」の中身--樋泉克夫

彼の自伝は、企業家人生の最後の大舞台の幕開けを告げるために自らが打った拍子木だったのだろうか。

Malaysian tycoon Robert Kuok attends a meeting in Fuzhou, Fujian province, in this April, 18, 2005 file photo. Picture taken April 18, 2005.  REUTERS/China Daily (CHINA - Tags: BUSINESS POLITICS) CHINA OUT. NO COMMERCIAL OR EDITORIAL SALES IN CHINA
China Daily China Daily Information Corp - CDIC / Reuters
Malaysian tycoon Robert Kuok attends a meeting in Fuzhou, Fujian province, in this April, 18, 2005 file photo. Picture taken April 18, 2005. REUTERS/China Daily (CHINA - Tags: BUSINESS POLITICS) CHINA OUT. NO COMMERCIAL OR EDITORIAL SALES IN CHINA

 昨年秋、老華人企業家の伝記がシンガポールと香港で発売されるや中華圏でブームを呼び、総選挙(5月9日実施)を前にしたマレーシアでは政治的波風まで引き起こした。

 書名は英文版が『ROBERT KUOK A MEMOIR WITH ANDREW TANZER』(シンガポール・Landmark社)で、中文版が『郭鶴年自傳 郭鶴年口述 Andrew Tanzer 編著』(香港・商務印書館)。

 郭鶴年(ロバート・クオック)――。1923年、マレーシアのジョホール生まれ。1960年前後には「砂糖王」と呼ばれ、1970年代末には拠点を香港に移して「嘉里(Kerry)集団」を率いて物流、シャングリラ・ホテル・チェーン、不動産開発、メディア業界などで辣腕をふるう。北京中枢とも太いパイプを持ち、中国市場でも派手なビジネスを展開し、数年前に香港からマレーシアにUターンした本人が、華人企業家としての自らの人生を振り返ったオーラル・ヒストリーである。

 戦後混乱期に家族経営から出発し、時代の荒波を乗り越えて「企業集団」と呼ばれる中華圏対応ビジネスモデルを作り上げ、中国が開放されるや中国市場に進撃。1990年代前半の「アジアの世紀」を謳歌し、香港返還直後の「アジア危機」や、2008年のリーマンショックといった2度の世界的危機を乗り越え、「一帯一路」を掲げる習近平政権による中国経済の飛躍的拡大という新たな環境への対応に腐心する華人企業家たち――その典型でもある郭鶴年の人生には、「白手起家(裸一貫)」で創業し、"したたかな商法"で巨万の富を築き上げたといった類の、わが国に見られる類型化した見方では捉え難い旺盛な企業家精神が隠れているようにも思える。

 ちなみに、ドナルド・トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩労働党委員長との史上初の米朝首脳会談が6月12日にシンガポールで開催されると決まったが、もしやその会場は郭鶴年の傘下にあるシャングリラ・ホテルではあるまいか。何しろ2015年11月7日、中華人民共和国建国以来史上初という中国・台湾両首脳の歴史的会談、習近平国家主席と馬英九台湾総統(当時)の「習馬会」の会場ともなっているのだから。

大きかった母親の影響

 郭鶴年は父親の郭欽鍳を「商智に関しては他を一等抜いていた。生まれながらの直観と天賦の『経商頭脳』――これぞ華夏漢族の大本――を備えていた」と企業家として高く評価するが、家庭人としては失格の烙印を押す。これに対し、母親の鄭格如を一族の企業集団における「真の創業者である」とまで讃え、企業家として全幅の信頼を寄せると同時に、思慕の情を切々と綴っている。

 彼女が生まれた20世紀初頭の福建省福州は、英国の管轄下にあり、港湾はジャーディン・マセソン、スワイヤーなどの英国系商社に独占されていた。そこで「母は幼いころから強烈な反帝国主義、反植民地主義の思いを抱いていた」というから、マレー半島が日本軍に占領された時代に長兄の郭鶴挙(フィリップ)、兄弟のなかで最も聡明だったと言われる次兄の郭鶴麟(ウィリアム)が共にマラヤ共産党の抗日軍に加わり、1949年以降は反英闘争の指導者となったのも、おそらくは母親の影響だろう。ちなみに郭鶴麟は1953年に戦死しているが、郭鶴挙はマラヤ共産党を離れた後、マレーシアの外交官としてオランダ、西ドイツ、EC(ヨーロッパ共同体)大使などを歴任している。

 母親の強い勧めで、郭鶴年はシンガポールの名門・ラッフルズ書院に学ぶ。同級生には2代目マレーシア首相でナジブ・ラザク前首相の父親に当たるアブドゥル・ラザク、3代目首相のフセイン・オンが、1年先輩にはシンガポールのリー・クワンユー(李光耀)元首相がいた。彼ら有力政治家との「関係」が、企業家にとっての「大きな資産」であったことは想像に難くない。

 母親は毛沢東を「罪過は功績を遥かに上回る」と手厳しく批判する一方、鄧小平を高く評価し、郭に向かって「お前の目玉が黒いうちに、中国は資本主義に回帰する。事実、その方向に向かって発展している。人というものは自分や子孫の利益のためであればこそ骨身を惜しまない。これからの中国は、こういった力が発揮され発展するだろう」と言い聞かせた。家族主義が中国経済発展のカギという彼女の考えに従うなら、共産党独裁政権下の市場経済の原動力は、伝統的家族主義ということになるわけだ。

「真の社会主義こそが社会の究極の目標であるべきだと考えていた」という母親に倣って、郭は「人類は気の遠くなるような長い苦難を経て真の文明世界に到達する。いま、われわれは長い道のりの初めの数歩を歩み出したにすぎない」と説く。だが、これまでの企業家人生において彼と彼の一族が掌中に収めたはずの巨万の富、名声、それに権力は、どう考えても「真の社会主義」とは相容れないように思える。この矛盾をどう理解すべきか。

 それにしても、90歳を遥かに過ぎた老企業家がここまで母親の影響を受けていたとは驚くばかりだ。だが、これは郭に限られたことではない。規模の大小にかかわらず、これまでの華人企業社会で家族経営を実質的に動かして来た基本は、母親だった。家長として振る舞ってきた父親(創業者)が亡くなっても動揺しない企業集団が、母親の死と共に解体の方向に向かう例は、これまで数多く見られた。やはり華人(ひいては中国人)の企業家一族の隠れた家長は母親だったのだ。

 巨万の富を築き上げたジョン・D・ロックフェラーの企業家としての振る舞い――合理性、節制、そして蓄財への傾倒など――は、福音派北部バプティストであった母親の強い影響によるとも言われているが、郭鶴年のみならず、成功した華人企業家とその母親の関係は、ロックフェラー母子の関係を連想させるに十分だ。こんな点からも華人(ひいては中国人)とアメリカ人の企業文化の共通性が傍証できるように思える。やはり中国人とアメリカ人の心性は似通っているのだ。

中国市場への果敢な進出

「振り返って見るなら、どのように経済建設を進めるべきかが分かってはいなかった。戦争の時代は英雄を必要とするが、戦争に勝利した後の政治の力点は経済建設と国民の日常生活向上に置かれるべきだ」と毛沢東を批判する郭は、母親に倣ってか鄧小平を高く評価する。

 文化大革命によって全中国が疲弊していた当時の1970年代半ばに2回目の訪中を果たした郭は、

「中国は激変していた。官僚主義は猖獗(しょうけつ)を極め、人々は猜疑心に固まっていた。多くの幹部はビジネスの経験がなく、資本家を中国の富を掠め取りにやって来たヤツと思い込んでいた。経済発展の方法を知らないにもかかわらず、経済運営を他人に任せる心算はなかった」。毛沢東思想の学習を続けてきた中国人からするなら、郭もまた「中国の富を掠め取りにやって来たヤツ」の1人だった、ということだろう。

 この逆境に、父親譲りの「経商頭脳」が動き出す。先んずれば人を制すとばかりに、彼は「風険投資(ハイリスク・ハイリターン)」に賭けた。すると「彼女世代の中国人の本質と考え方を知る」母親は、「成功したとしても、お前の成果は彼らによって完全に掠め取られてしまう」と反対し、「中国が犯した罪、歴代の政府と指導者の弱点を徹底して解き明かしてくれた」。

 郭は「毛沢東死後にこんなにも激しく変化するとは思いもよらなかった」という。「幸か不幸か私は華人に生まれていたし、それが一貫した私の誇りだった。中国の没落を耳にする度に、いずれの日にか中国は世界をギャフンと言わせるだろうと考」えた末に、「なんとかわが中国の同胞を手助けできないものか」と思い立ち、「先進的な経営思考と手法」を引っ提げて中国市場に乗り込む。だがあくまでもビジネスである。ボランティアではないから「相互が尊重しあう取引」、当然ながら儲けが大前提となる。

 毛沢東が農民を農村に縛りつけてきた人民公社制度が廃止された1982年、還暦目前ながら彼は中国ビジネスを本格化させる。「この年齢に差し掛かると、多くは引退を考え始める」が、35年余が過ぎた現在でも彼は経営の最前線に立ち続ける。

「中国各地で何百人もの関係者と付き合い、数千時間を過ごした。そこで貿易業務を主管している人々が、基本的にビジネスのなんたるかを徹底して理解していることを発見した。当初は中国で物事を処理する方法を身に着けようと努めたが、何年かの試行錯誤の末に壁にぶち当たってしまった。同じ民族であるものの、やはり中国の当局者を相手にするのは容易なことではない」

「中国の当局者を相手にするのは容易なことではない」のは、「共産主義体制下では、決定権が特定の政府当局に委ねられている」わけではなく、じつは「中国大陸においては他に無限の権力を持つ者がいる」からだと説く。中国において商機が開けるかどうかは、ひとえに「無限の権力を持つ者」を探り当てるかどうかなのだ。

 郭にとっての「無限の権力を持つ者」とは、かつては鄧小平であり、現在は習近平主席に違いない。

マレーシアとも「政商」的ビジネスで

 彼のビジネス手法が、多くの華人企業家と同じように政商色に染まっていることは否定し難い。中国市場においてもそうであるように、マレーシアにおいても同じであった。

 たとえば郭を「砂糖王」にまで押し上げるキッカケを作ったのが、父親を通じて人脈を築くことになったダトー・オンであることは周知の事実だ。ダトー・オンはマレーシアの前身であるマラヤ連邦建設運動を推進し、5月の選挙で敗北するまで一貫してマレーシアの与党を形成してきた統一マレー国民組織(UMNO)の創立者である。郭のビジネスを飛躍的に拡大させたといわれる1970年代初頭の「新経済政策」にしても、推進役はラッフルズ書院同級生のアブドゥル・ラザク首相(当時)だった。ラザクの後継者としてUMNOを率い政権を握ったフセイン・オンはダトー・オンの息子であり、ラッフルズ書院の同級生でもある。いわばマレー人有力政治家との人脈こそが、企業家・郭鶴年の"培養土"であったことは、大方が認めるところだ。

 マレー人優遇策を盛り込んだ「新経済政策」が実施される以前からマレー人を重用し、関連企業にマレー人株主・役員を迎え入れるなど郭の"先見性"を高く評価する声もあるが、郭は1970年代半ばにマレーシアで「醜悪な種族主義が台頭する」とマレー人優遇を批判する。アブドゥル・ラザク首相からは傘下海運企業の新発行株のマレー人枠の拡大を2度にわたって求められ、またフセイン・オン首相(当時)に向かっては国策の誤りを指摘して新経済政策の修正を進言した、と綴っている。だが郭の要求は受け入れられず、過重な税務負担を嫌って拠点を香港に移した。

最後の大舞台の幕開きか

 今回、郭鶴年の自伝が出版されるや、「醜悪な種族主義」に象徴されるマレーシア政府への批判に対し、ナジブ政権内のマレー系有力者から「政府の援助を得て莫大な富を築いたにもかかわらず感謝の意を示さない忘恩の徒」「飼い主に嚙みつく犬」などとの批判が起こる。総選挙が近づいた3月に入ると、郭が親族を経由してマハティール・ビン・モハマド元首相率いる野党連合・希望連盟(PH)の一角を占める華人系・民主行動党(DAP)へ資金提供し、華人政権の実現を狙っているとの声すら聞かれるようになった。与野党接戦状況に対する与党側の焦りの表れだったということだろう。

 これに対し華人社会から、仮に政府の支援を得ようとも郭の成功は彼自身の努力の成果であり、なんら批判されるものではないとの擁護の声が挙がる。

 5月9日の総選挙の結果、建国以来続いていたUMNOを中軸とする与党連合・国民戦線(BN)は敗北し、PHを率いたマハティールによる新政権が発足することとなる。

 一貫して親中国の姿勢を貫いてきたナジブ政権が倒れたいま、マレーシアの政財界に加えて華人社会に強い影響力を持つ郭鶴年は、習近平政権にとってなにものにも代え難い貴重な存在であるだろう。なぜなら気心の知れた「自己人(なかま)」であるからだ。

「華人はすべて生まれながらの企業家」であり、「華人は生まれながらにして世界中で最も優れた創業の因子を持」ち、「敢えて苦労を求める彼らこそ、地球上で経済的な奇跡を生み出せるアリのようなものだ」と説く郭鶴年は、マレーシアでは未経験の政治状況の中で、どのような「アリ」となって新政権に対するのか。これからのマレーシア、マレーシアと中国、ひいては中国の"熱帯への進軍"のこれからを見定めるうえでも、郭鶴年の動向が気になるところだ。

 はたして彼の自伝は、企業家人生の最後の大舞台の幕開けを告げるために自らが打った拍子木だったのだろうか。(樋泉 克夫)


樋泉克夫 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
関連記事 (2018年5月14日フォーサイトより転載)