「現職オバマ大統領」が大統領選に深く関与する理由

前例がない行動も同じ理由からと考えるべきだろう。

ドナルド・トランプ共和党候補とヒラリー・クリントン民主党候補との第1回大統領候補討論会が9月26日にニューヨーク州ヘンプステッドのホフストラ大学で行われた。沈着冷静であったクリントン氏は具体的政策についても豊富な政治経験と見識に基づき自らの議論を展開し、トランプ氏に対しても的確な反論を展開するなど、「優勢」を維持したまま第1回討論会を終えた。大統領選挙の本選挙キャンペーンは11月8日の投票日まで残りわずか40日余りとなった。ホワイトハウスを目指す両候補にとり、これからが正念場となる。

現職大統領「不介入」の伝統

今回の大統領選挙キャンペーンを過去のものと比較すると、極めて異例との印象を受ける点がある。それは、現職大統領であるバラク・オバマ大統領がクリントン候補を積極的に支援している姿である。米国では2期8年の任期を終えようとしている現職大統領が自らの後任を選出する大統領選挙には介入しない伝統があった。第2次世界大戦後では、ドワイト・アイゼンハワー、ロナルド・レーガン、ビル・クリントンといった大統領がそうだった。

これは現職大統領側の問題ではなく、むしろ、同一政党の大統領候補側の問題だった。候補者は自分自身の力で大統領選挙に勝利したいとの意欲があるため、現職大統領が自らの大統領選挙キャンペーンに関与することを避けたのだ。とりわけ、現職大統領の政権で副大統領の立場にあった候補にはそうした傾向が強い。副大統領として大統領選挙での勝利を目指した1960年のリチャード・ニクソン共和党候補、1968年のヒューバート・ハンフリー民主党候補、1988年のジョージ・H.W.ブッシュ共和党候補、2000年のアル・ゴア民主党候補は、それぞれ現職大統領と一定の距離を置いて選挙キャンペーンを展開した。

筆者がワシントンに勤務していた当時の2000年大統領選挙の民主党大統領候補であったアル・ゴア副大統領も、その典型であった。ビル・クリントン大統領は政権末期でも大統領支持率が6割を上回り、米国経済も堅調に推移し、米国は対外的にも重大な脅威にさらされていなかった。にもかかわらず、ゴア候補は大統領選挙キャンペーンでクリントン大統領に支援を求めようとはしなかった。

ゴア氏からすれば、クリントン大統領とは一定の距離を置いた上で、独自の力で共和党大統領候補であったジョージ・W.ブッシュ・テキサス州知事に勝利したい気持ちが強くあったと推察される。それと同時に、ホワイトハウスのインターンとのスキャンダルが第2期クリントン政権を襲ったため、共和党のクリントン大統領批判に巻き込まれることへの恐れもあったと考えられる。

結局、選挙キャンペーンの最終盤にブッシュ候補と接戦となり、自らが下院議員、上院議員として選出されていたテネシー州をはじめとする南部諸州でも勝利できない可能性が浮上してから、ようやくゴア陣営はクリントン大統領が南部諸州での選挙キャンペーンに加わることを認めたが、「時すでに遅し」で、ゴア候補はかつての地元テネシー州でも敗北し、南部で全敗を喫してブッシュ氏に僅差で敗北した。

クリントン氏がオバマ大統領を必要とする背景

クリントン候補は2000年のゴア候補とは異なり、副大統領としてホワイトハウスを目指す立場ではない。だが、第1期オバマ政権では国務長官という有力閣僚ポストに就任していた政治家である。民主党大統領候補指名獲得プロセスからクリントン氏が盤石な強さを示していたのであれば、現職大統領のオバマ氏の支援に頼ることはなく、独自性を全面に出して選挙キャンペーンを展開していたはずである。

だが、クリントン候補は脆弱性の方が顕著であり、オバマ氏に頼らざるを得ない状況にある。とりわけ、オバマ大統領は2008年、2012年の大統領選挙でそれぞれ若年層の圧倒的支持を獲得して勝利を収めたが、クリントン氏にとって現時点では若年層からの支持は十分ではなく、勝利に向けた大きな課題となっている。

大統領離任まで4カ月足らずとなったオバマ大統領の支持率が依然として過半数を上回っている点も重要だ。仮に、オバマ大統領の支持率が投票日を控えて、イラク情勢の悪化やリーマンショックの発生でブッシュ前大統領のように20%台後半にまで大幅に低下していたのであれば、クリントン氏はオバマ大統領の支援を受けることはとてもできなかった。

だが、オバマ大統領の支持率は2014年中間選挙で民主党が大敗する直前には各種世論調査で41%や42%といった低水準にあったが、現在は安定的に推移している。これもクリントン候補が現職大統領の支援を求める背景となっている(2016年6月6日「クリントン氏の『追い風』となるオバマ大統領の『支持率回復』」参照)。

「当選への道筋」のパターン

また、クリントン候補が当選するためにとるべき各州での戦い方が、オバマ大統領のそれに酷似しているという点も指摘する必要がある。クリントン候補が夫のビル・クリントン大統領の1992年、1996年の選挙のように、地元アーカンソー州やテネシー州、ケンタッキー州、ルイジアナ州などクリントン大統領が勝利できた南部で勝利するようなことは困難であろう。

過去20年以上の間に、それほどまでに南部の「共和党化」が進行してしまっている。クリントン候補のホワイトハウスを目指す道筋はビル・クリントン大統領よりも、むしろ、オバマ大統領の2008年、2012年の勝利に酷似しており、それを象徴するようにクリントン候補は自らの副大統領候補にヴァージニア州のリッチモンド市長、ヴァージニア州副知事、同州知事、そして、同州選出の上院議員であるティム・ケイン氏を指名している。

民主党を支持する有権者が近年増大している南部のヴァージニア州でオバマ大統領は2度勝利を収めたが、それ以前に民主党大統領候補が同州で勝利したのは1964年大統領選挙でのリンドン・ジョンソン大統領まで遡らなければならない。

民主党全国党大会で同党の大統領候補の指名を受諾した直後、クリントン候補はオバマ大統領とともに南部ノースカロライナ州で遊説を行ったが、ノースカロライナ州でオバマ大統領は2008年大統領選挙で民主党候補としては1976年のジミー・カーター以来実に32年振りに勝利を収めた。2012年大統領選挙ではミット・ロムニー共和党候補に敗れたものの、得票差2ポイントまで迫った州である。

オバマ大統領「クリントン支援」の狙い

オバマ大統領側にもクリントン候補を積極支援しなければならない理由がある。それはトランプ候補に対する強い警戒感である。万が一、トランプ政権が発足すれば、オバマ大統領が2期8年かけて取り組んできた医療保険制度改革(通称、オバマケア)をはじめとする政策の多くが正反対の方向へと巻き返される可能性が高い。オバマ大統領としてはそうした事態を何としても阻止する必要がある。そこにクリントン候補を積極支援する理由がある。オバマ大統領だけではなく、ミシェル夫人やジョー・バイデン副大統領夫妻もクリントン候補への選挙支援をしているが、この前例がない行動も同じ理由からと考えるべきだろう。

第1回大統領候補討論会の翌日、オバマ大統領は取材に応じ、討論会でトランプ氏が示した気性などについて、大統領に就任するには相応しくないと厳しく批判を展開するとともに、米国をどこに導いていくかについての両候補のビジョンも非常に対照的になったとの見解を示している。オバマ大統領はクリントン候補支持を訴える遊説への参加やテレビ広告への出演、政治資金集めを行う意向を示しているが、大統領選挙キャンペーン終盤において「接戦州」を中心としてオバマ大統領のクリントン支援態勢はさらに強化されることになる。

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足立正彦

住友商事グローバルリサーチ シニアアナリスト。1965年生れ。90年、慶應義塾大学法学部卒業後、ハイテク・メーカーで日米経済摩擦案件にかかわる。2000年7月から4年間、米ワシントンDCで米国政治、日米通商問題、米議会動向、日米関係全般を調査・分析。06年4月より現職。米国大統領選挙、米国内政、日米通商関係、米国の対中東政策などを担当する。

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(2016年9月30日フォーサイトより転載)

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