台湾「プユマ号脱線事故」根源にある「人的要素」と「構造的問題」--野嶋剛

2005年の福知山線事故を思い起こした日本人も多いようだ。
脱線したプユマ号
脱線したプユマ号
ASSOCIATED PRESS
脱線したプユマ号
脱線したプユマ号
ASSOCIATED PRESS

死者18人、負傷者約190人を出した台湾特急列車の脱線事故。台湾では過去最悪レベルの鉄道事故となった。台湾東部・宜蘭県の新馬駅手前で、規定の倍近いスピードでカーブに進入したことが事故原因と見られており、2005年の福知山線事故を思い起こした日本人も多いようだ。

入院中の運転士は、速度超過を防止するATP(列車自動制御保護システム)を切った、と証言している。しかし、安全運行の鍵となるATPを切った理由や、極端な超過速度で運行した原因など、事故をめぐる謎がまだ数多く残されている。

「人的要素が大きい」

事故を起こした特急列車は「普悠瑪(プユマ)号」という名前で、列車の目的地である台東に暮らす先住民プユマ族の名前からつけられた。この車両は「JR東海」の子会社である「日本車輌製造」が、「住友商事」を窓口にして2012年から「台湾鉄道」へ納入を始めた。台湾では2007年に開業した台湾新幹線(台湾高速鉄道)と並んで、日本鉄道技術の海外展開の成功例でもあった。

車両にはいわゆる「振り子」技術が用いられている。曲線に差し掛かった際に車体を内側に傾斜させ、遠心力を緩和して速度向上を実現するシステムだ。今回事故が起きた台湾の東部海岸路線には険しい山間部(宜蘭―花蓮間)があり、速度問題がネックになっていた。その解決への期待を込めて、振り子車両の利用に長い歴史を持つ日本の車両が導入されることとなった。

しかし今回、台北方面から南下するプユマ号が見せた走行は、振り子技術では到底、遠心力を吸収しきれない異常な過剰速度状態であった。

地元宜蘭県の検察当局はメディアに対して、プユマ号が新馬駅を通過しようとしたときの速度が時速140キロであったと明らかにしている。通常、プユマ号が高速運転を行うときは時速130~140キロに達するが、あくまで直線部分での話である。台北サイドから新馬駅に入っていくときには駅手間にカーブがあるので、指定速度は60~70キロとなっていた。140キロでそのカーブを曲がりきれるはずがなく、列車は慣性方向に脱線して激しく横転した。

車内はすべての座席が吹っ飛ぶほどの強い衝撃を受けており、無傷だった者のほうが珍しいぐらいの深刻な脱線事故となった。

事故を起こした男性運転士は1998年に任用され、現在は運行部門の副主任。通常は内勤をしているが、週末にだけサポートとして運転士の現場に出ていた。

検察側は、業務上過失致死傷の疑いで行われた運転士への聴取の中で、彼が「ATPを切った」と話したことを公表。「事故は人的要素が相当大きい」との初歩的判断を示している。しかし、それがいかなる「人的要素」であるのかの検証はこれからになる。

後回しにされた車両交換

事故は10月21日午後4時50分(現地時刻)ごろに発生した。台湾メディアの報道によれば、事故直前の台湾鉄道内のショートメッセージの連絡でプユマ号(6432次、樹林発台東行)の運行について、以下の内容が残されている。

【15:47 6432号(プユマTED2008)15:47から4分遅れて双渓駅を通過、双渓駅からエンジン車動力切断、進行速度鈍化、亀山駅を14分遅れで通過、宜蘭駅で車両検査を行う予定】

【16:34 6432号(プユマTED2008)双渓駅よりエンジン車故障により速度鈍化、宜蘭駅に14分遅れ(16:34)で到着、車両検査でも修理は不能、宜蘭駅を15分遅れで出発、花蓮駅で車両組み替えを計画】

だが、車両組み替えを行うことになっていた東海岸中部の都市・花蓮に到着することはなく、その手前にある新馬駅で大惨事は起きてしまった。

今回のケースの「動力切断」という状態は単なる異常ではなく、かなり深刻なものなので、だからこそ車内の運転士も異常を指令センターに伝えたのだ。そこで、次の主要停車駅の宜蘭で検査を受けるよう、指令センター側から伝えられたようだ。ここまでは非常に合理的な流れであった。

25日に台湾鉄道が行なった会見によれば、このショートメッセージに記されているエンジンの「動力」には宜蘭駅の点検で問題が見当たらなかった、という。列車はそのまま目的地に向けて出発した。

そして、どこかの時点でATPのスイッチが切られた。

運転士はスイッチを切るにあたって指令センターの承認を受けた、と証言していると伝えられるが、台湾鉄道本社側は否定しているという。今後の事故原因究明の鍵となりそうな部分である。

スイッチを切った理由としては、すでに運行に遅れが出ているので、スピードをあげて遅れを取り戻すためだったとの見方が出ている。台湾鉄道内部からは、運行遅れを取り戻すためにATPを切ることが恒常的に行われていた、という話が出ている。

しかし、新馬駅の手前では80キロ以下に減速する必要があることは運転士も知っていたはずで、140キロまで速度をあげてカーブに突っ込んでいった理由は謎のままだ。

台湾新幹線に奪われたドル箱

事故の背景には、構造的な問題もあるようだ。

台湾鉄道では2008年にATPが全面導入された。導入前は1981年と1991年にそれぞれ30人が死亡する事故が起きている。ここ10年は重大事故は起きていなかったが、小さな脱線事故などは相次いでいた。。

ただ、台湾鉄道は基本的に日本統治時代に施設された線路などの設備を戦後の中華民国政府が接収したまま使っているため、老朽化が目立ち、抜本的な改修が必要と指摘されていた。しかし、台湾鉄道は正式名称を「台湾鉄道管理局」と言い、中央政府が運営する公営鉄道だ。どの国でも同様だが、税収の伸び悩みで政府全体の予算が厳しくなるなか、台湾鉄道の予算も厳しい状況になっており、人員削減による現場の負担増が指摘されてきた。また、選挙民の反発を好まない立法委員らの圧力で、運賃が物価を反映しない形で安く据え置かれていることも経営を圧迫していた。

これに追い打ちをかけるように、2007年に開業した台湾新幹線によって台北―高雄間が最短1時間半で結ばれた。人口が集中する台湾西側のドル箱路線の乗客を台湾新幹線に奪われてしまった形で、台湾鉄道の収益体質はますます苦しくなっていた。

そんな中、台湾新幹線の走っていない東海岸の路線が、西海岸に代わる台湾鉄道の収益源として注目されるようになった。

台湾鉄道が日本からの高価な振り子車両の導入に踏み切った一因は、何とか東海岸路線に活路を見出したいという切実な事情にあったのである。

満員のプユマ号が風物詩に

台湾鉄道では、最もスピードが速い特急列車を「自強号」と呼ぶ。これは従来、約350キロの距離がある台北―花蓮―台東の東部海岸路線を4時間半で結んでいた。しかし、本数が多くなく、不便さが目立った。

これに対して、東海岸路線の「活路」として導入されたのが、今回事故を起こしたプユマ号やもう1つの新特急である太魯閣(タロコ)号である。この2つの特急列車は台湾鉄道の編成上は「自強号」にカテゴライズされているが、実際は従来の「自強号」よりワンランク上のもので、台北―花蓮―台東を3時間半で結ぶことになった。

折しも台湾では国内旅行ブームが起きており、これまであまり注目されなかった東海岸にスポットが当たるようになった。花蓮、台東へ訪れる人々が急増し、そのためプユマ号やタロコ号は週末になるとまったくチケットが取れないほどの人気列車となり、台湾鉄道の戦略がピタリと当たったかのように思われていた。

事故を起こしたプユマ号にも全席指定の乗客定員372人に対して366人が乗っていたが、満員のプユマ号は台湾の週末の風物詩となっていたのである。

しかしながら、台湾東部の路線はかなりの部分が単線であるため、列車の運行の調整は新特急の導入で一層複雑化し、遅延や故障などの対応にも苦心していた、と台湾メディアは報じている。それがいわゆる「人的要因」の遠因になっていたかどうかも注目されるポイントになる。

蔡政権は統一地方選を意識

今回の事故で、蔡英文総統や頼清徳行政院長(首相)は相次いで現地入りした。台湾では11月24日に、次期総統選に向けた重要な中間選挙と位置付けられる統一地方選挙が予定されており、ここで対応を誤れば、ただでさえ劣勢と見られる与党民進党がさらに苦境に陥ることになる。

それだけに蔡政権も慎重に事故対応に取り組む構えだ。検察側から事故原因に関する捜査情報がかなりスピーディーに公開されていることを見ても、事故に対する台湾社会の怒りが政権に向かないようガス抜きを心がけているようだ。

野嶋剛 1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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(2018年10月25日
より転載)

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