複数の人を愛することの正当性について

五人の子供を同時期に愛することは出来るが、五人の異性を同時期に愛することは出来ないと言うならその根拠は果たして何なのでしょうか?

現在の社会のルールでは、たとえば一人の男性が同時期に五人の女性を愛していると主張した場合、そんなにたくさんの愛など存在するわけがなくその男性は嘘つきで不誠実な人物だと受け止められます。

しかし一方、現在の社会のルールでは、一人の人が同時期に五人の息子や娘を等しく愛していると言うと、それはそうだろうと主張が受け入れられます。

ここで、

五人の女性を同時期に愛することが出来ないなら、五人の子供を同時期に愛することも出来ないのではないか?

五人の子供を同時期に愛することが出来るのなら、五人の女性を同時期に愛することも出来るのではないか?

という疑問が浮上します。

五人の子供を同時期に愛することは出来るが、五人の異性を同時期に愛することは出来ないと言うならその根拠は果たして何なのでしょうか?

おそらくここには「愛というのはこうあるべきだ」というある種の信仰のようなものがあるのだと思われます。

「愛というのは素晴らしいもので、親子の関係には常に愛が満ちているのだ」とか「愛というのは素晴らしいもので、愛によって結び付けられた男女の関係は永遠に続くものなのだ」といった信仰めいたものがあるわけですが、それらはいずれも根拠のない幻想に過ぎません。現実に関係の薄い親子はたくさんいますし、離婚する男女もたくさんいるのですから。

私の個人的な見解を述べると、一人の男性が複数の女性を愛せないというのは嘘です。複数の女性を同時期に愛してはいけないというルールが存在するために、常識的な男性は「自分は一人の女性しか愛せないはずなのだ」と自分自身に言い聞かせながら生きています。しかし現実として、男性は二人の女性を同時期に全力で愛することができます。そのため男性は常に倫理感と欲望との狭間で生きることになります。三人以上の女性を同時期に愛そうと思うと、三人の中の誰一人として愛することが出来なくなるか、いつのまにか愛情の順位をつくってしまうことになります。

子供がたくさんいる場合も同様に、一人か二人かのお気に入りの子供とそれほど気に入っていない子供とに振り分けられることになります。たくさんの女性を等しく愛するということもたくさんの子供を等しく愛するということもありえません。まあ、子供の側からするとべったり愛されて育つより、適度にほったらかしてもらった方が精神的に成長しやすいのかもしれませんが。

本来、親子の関係にも男女の関係にも正解はありません。お互いのことをどれくらい明かしあうべきなのか、どのくらいの距離感で接するべきなのか、といったことに答えはありません。愛という美しい言葉はまるでそこに正解があるかのような錯覚を与えますが、親子の関係がどんなに淡白でも異性との間に計算ずくの関係しか築けなくても、それは間違いでも問題でもありません。

さて、あなたはどう思いますか?

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(2014年7月8日「誰かが言わねば」より転載)

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