教育を本気で「再生」したいのなら

現政権が力を注ぐべきは一にも二にも景気回復だ。大学教育の問題も、景気が悪いことから生じているものは少なくない。就職活動の長期化などはまさにその典型例の1つだろうし、教育に予算が割けないのもつきつめれば国の財政が厳しいからだろう。経済成長が軌道に乗り、社会の先行きが明るくなれば、「夢」を追う若者たちも増えてこよう。

この記事。

参院議員・山谷えり子 大学再生に向けた提言への思い」(産経新聞2013年6月8日)

日本の国際競争力は、1990年の世界1位から、今や24位となった。わが国の潜在力発揮のためにも、大学院・大学などの高等教育の再生は急務である。現在、日本には大学が783校ある。語呂合わせでは、ナ・ヤ・ミとなるが、各大学が課題を直視し、国際競争力や地域貢献力を高めるなど特色に応じた教育が進むよう後押しが必要である。

政府の教育再生実行会議は、5月28日に「これからの大学教育等の在り方について」と題する報告書をまとめ、グローバル化への対応、教養教育の充実、地域活性化の取り組みなどを示した。

報告書というのはこれだろうか。記事には、この動きに呼応して自民党の教育再生実行本部が提言をまとめた中で、「大学・入試の抜本改革」部会の主査を務めた山谷えり子参院議員の意見が書かれている。

言いたいことはわからなくもないのだが、少なくともこの記事でみる限り、どうも根本からずれているとしか言いようがない。時間がないので手短に殴り書き。誤字などあったらご容赦。

記事中で議員は、高校の基礎学力不足を問題として取り上げているが、それは仮にあるとしても高校教育の問題であって大学の問題ではない。もちろんその背景には議員の指摘する通り「日本の私学の半数は定員割れ」という状況があるわけだが、定員割れの問題は大学の数の問題であって、大学の制度全体の問題ではない。

いずれにせよ、入試制度をいじればそれらが解決するという問題ではない。

解決策として挙げられている、高校在学中に複数科目の達成度を測るチャンスを複数回設けるという案は、趣旨としてわからなくもないが、このような考え方は、現在幅広く行われている推薦入学制度などを通して既に実施されており、それが機能していないのだとすればやはり一義的には高校教育の問題であろう。

入学試験制度は各大学がそれぞれのポリシーにもとづいて独自の工夫を競うべき分野であって、お上から押し付けられるべきものではない。AO入試や推薦入試など、現在行われているさまざまな入試方式は、大学自体の経営上の必要という面もあるが、基本的には大学が多様な学生を迎えようとする工夫の結果だ。それによって大学間で個性を出そうという工夫の余地に制約を加える考え方は好ましくない。

また、特に私立大学では、センター入試以外に一般入試として学力試験を複数回行うのが通例となっていて、1回の入試ですべてが決まるといった状況にはない。そもそも複数の大学に出願するのが当たり前の状況下では、学力試験が「一発勝負」という見方自体が実態を知らないものとしか思えない。

学力低下はよくいわれるが、専門家の間ではその存否自体に議論がある。低下しているとする研究もあればそうでないとするものもある。少なくとも、素人が思い込みで決めつけて「解決策」を論じていい分野ではない。同じく素人として私がいえることは、大学に関して言えば、たとえば30年前には25%程度しかなかった大学進学率が今では50%程度になっているという事実だ(参考)。学力分布の中で上から25%をとった場合と50%をとった場合とでは、たとえ学力分布がまったく変わっていなかったとしても、平均値などにちがいが出るのはむしろ当然だろう。

実感としても、「自分が大学生だったころは」などとよくいうが、たとえば同じ大学で比較するなら、大学が「レジャーランド」と呼ばれた30年前の大学生よりも、今の大学生の方がはるかにまじめに勉強しているのではないか、とほぼ30年前の大学生だった経験からはいえる。私の経験や実感が一般的なものかどうかはわからないが、似た意見の人はよくいたので、さほどずれてはないのではないかと思う。

また、大卒者の就職率が低いことを問題として挙げているが、それは卒業者に力がないからというよりむしろ、求人が少ないからだ。そんなことは、リーマンショック以降就職率が下がったことをみれば一目瞭然ではないか(参考)。「最近の若者はだめだ」論は古代エジプトにまで遡るらしいが、いわゆる居酒屋談義の典型であって、そんなものを政策提言の根拠に挙げられてはかなわない。

議員は「就職しても3年以内で3割が離職する中で、教育の中心に志と社会性を育てることを据え直すことである」とも発言しているようだが、3年間で3割が離職する状況は厚労省の資料でみる限り、少なくともこの30年ほどほとんど変わっていない。30年前の大卒というなら今50代の前半までの社員はこぞって「志と社会性」がないことになるだろうから、企業としてはまずそちらから正すのがスジだろう。

また、早期離職率30%が問題だとする主張自体もよくわからない。多様な働き方を可能にし、併せて解雇ルールを透明化することで、労働市場の活性化をはかる限定正社員制度などを導入しようとしている現政権の政策と、自分に合わないと感じた職場から去ることを問題視する発想は矛盾していないだろうか。労働市場の活性化をいうなら、むしろキャリア形成を複線的に行える機会があるととらえる見方もありうる。

仮に早期離職が問題だとしても、その責任が社員側にだけあると決めつけるのは明らかに短絡であり、その解決に「志と社会性」を持ち出すのは笑止としかいいようがない。すぐに精神論を持ち出すのは現政権の特徴のようにも思われるが、人の心のありようを縛るかのような主張はおよそ民主主義国家の政治家がやるべきことではない。精神論で制度をいじるのはやめてもらいたい。「志と社会性」を求めるべき先があるとするなら、それはまず企業経営者であろう。

インターンシップについては、学生側の参加意欲は高まっているが、同時に与えられる課題のつまらなさやフィードバックの不足など不満も多く聞く(参考)。むしろ大学側というより、受け入れ先の企業側の体制が整っていないことの方が問題であろう。政策支援を行うとすれば、インターンシップ実施企業への財政支援や、学生が休み期間にアルバイトに励まないでも学業が続けられるような給付型奨学金制度の充実などの方が本筋であって、大学に特定のやり方を押し付けるようなやり方はやはりおかしい。

同様のことは新卒採用についてもいえる。大学教育における大きな問題の1つは、就職活動に時間をとられて勉学の時間が充分とられていないということである。3年生の後期以降、この傾向は甚だしく、大学4年間のうち半分近くが就職活動のために費やされる状況となっている。

大学に教育の成果を求めるなら、学生の時間を就職活動で奪わない制度的工夫こそが求められるのではないか。この点に関しては、具体案を別の記事に書いた。就活解禁日をいつにするかといった、どうせ守られるはずもない糊塗策よりはるかに実効性のある対策だと思う。

その他、入試にTOEFLを義務付ける案についても書いている。

もちろん、全部がだめといっているわけではない。「財政支援の充実(1兆円)」は国際水準をいうなら当然含まれるべき項目で、大学だけでなく、教育にもっとしっかりお金をかけるという考えはいいことだと思う。専門学校をもっときちんと位置づけようという発想も悪くない。しかし、全体として、報道などで伝えられる政府方針は、自由に競争させるべき分野に口を出し、制度で支えるべき部分を野放しにしている部分が目立つように思われる。

繰り返すが、「志と社会性」を求めるべき先があるとするなら、学生よりまず企業経営者だ。ブラック企業といわれる企業については、必ずしもそのすべてが批判されるべきものかどうか議論の余地があるかもしれないが、まったく問題がないとはとても思えない。安倍首相は企業経営者に賃上げを呼びかけていたが、どのくらいの企業がそれに応じたのだろうか。そういう部分でこそ口を酸っぱくして「志と社会性」を呼びかけるべきだ。

現政権が力を注ぐべきは一にも二にも景気回復だ。大学教育の問題も、景気が悪いことから生じているものは少なくない。就職活動の長期化などはまさにその典型例の1つだろうし、教育に予算が割けないのもつきつめれば国の財政が厳しいからだろう。経済成長が軌道に乗り、社会の先行きが明るくなれば、「夢」を追う若者たちも増えてこよう。今、せっかく成果が出始めている(少なくともそのように見える)のだし、教育の再生を本気で考えるなら、教育自体よりむしろ、経済の「再生」にこそ注力すべきではなかろうか。

(この記事は、2013年6月8日のH-Yamaguchi.netより転載しました)

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