国立競技場フォーエヴァー-石原裕次郎23回忌ファン感謝の集い-

国立競技場は1958年に誕生し、東京オリンピック(1964年10月開催)など、"大舞台の聖地"として名をはせた。実をいうと、私は"栄光のフィールド"に1度だけ立った。

聖火台の両脇に、石原裕次郎のノボリが立つ。

国立競技場は1958年に誕生し、東京オリンピック(1964年10月開催)など、"大舞台の聖地"として名をはせた。実をいうと、私は"栄光のフィールド"に1度だけ立った。

■渡哲也の"想い"に深い感銘

2009年7月4日、テレビ朝日は石原裕次郎のために4時間10分の特番を企画し、後半は映画『富士山頂』を放送した。"映画は劇場で見るもの"という石原裕次郎のこだわりで、今まで石原プロモーション制作の映画は、テレビ放送を見合わせていたという。

『富士山頂』は約40年前(1970年)の映画なので、出演者はみんな若い。特に『水戸黄門』(TBSの時代劇)の印象が強い東野英治郎や中谷一郎の"現代劇出演"は新鮮だった。

放映後、渡哲也(当時、石原プロモーションの2代目社長を務めていた)の石原裕次郎に対する熱い想いに、私は深い感銘を受けた。2人の厚い友情と絆は、現在でも途切れることはないのだと。

都営大江戸線国立競技場駅。開業当時、可動式ホーム柵は設置されていなかった。

翌7月5日の11時44分、どんよりとした曇り空の中、東京都交通局都営大江戸線国立競技場へ。

この日、国立競技場で石原裕次郎23回忌ファン感謝の集いが行なわれる。以前、石原裕次郎が眠る横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺(そうじじ)(以下、総持寺)で10回忌が執り行なわれ、予想をはるかに越える来場者数を記録した。このため、今回の23回忌は、7月5日の「ファン感謝の集い」を国立競技場、7月17日の「法要」をホテルニューオータニでそれぞれ執り行なわれることになった。

23回忌ファン感謝の集いは、フィールドにホンモノそっくりの総持寺を建設し、耐水実験と一旦取り外した都合上、総工費は10億円以上かかったという。さすがやることがハンパではない石原プロモーションだ。

国立競技場へは、JR東日本中央本線で行くことも考えたが、下車駅は信濃町なのか、千駄ケ谷なのかよくわからず、都営大江戸線を選んだ。

国立競技場駅を下車し、係員の案内により、A1出口へ。エスカレーターは左右ともふさがれ、早く進めない。60代以上の方々が多く、"青春時代の「相棒」は石原裕次郎だった"ことを彷彿させる。

長蛇の列の多くは、石原裕次郎をよく知っている方々が多い。

長蛇の列は国立競技場を通り越して、明治神宮野球場(神宮球場)が折り返し地点となる。国立競技場では入場制限が行なわれており、なんと3時間待ちだという。夏の正午の3時間待ちはきつく、献花は22時まで受け付けていることもあり、夕方に出直すとしよう。

■石原軍団のあいさつ

いよいよ陸上の聖地へ。

17時12分、再び国立競技場青山門へ。大渋滞は解消され、中に入る。私が国立陸上競技場に入るのは最初で最後だ。

整理券は記念品にもなる。

まず入口で整理券をいただく。整理券はゲートナンバーが指定されており、私は左折して11番ゲートへ。フィールドの一部では撮影やケータイ使用を禁止している。

国立競技場のフィールドを眺める。

17時26分、11番ゲートに入る。そのあと空席を見つけて坐ると、フィールドは100メートル以外、大行列!! 献花をいただくところの付近では、みんなが寺を撮りまくっている。陸上競技場に寺が建つのだから、記念に撮りたい人の気持ちはよくわかる。

ベンチに坐ると、ここからが長かった!! あまりの人の数で待たなければならないのだ。私は最初からフィールドにダイレクトで行けると思っていたから、飲食類を持参していないので、唾液でノドをうるおすほかない。

18時を過ぎると、国立競技場のあかりが灯り、合唱団が石原裕次郎の名曲『夜霧よ今夜もありがとう』を熱唱する。歌声を聴き終えると、私は次第に空腹感を覚えるようになる。

石原軍団が壇上に立つ!! 男性の身長は全員175センチ以上だ。

18時15分、石原軍団の将来を担う5人の俳優、石原まき子夫人、神田正輝、舘ひろし、渡哲也が現れた。"大物"は前列、"若手"はSPの如く後列に並ぶ。場を仕切るテレビ朝日の渡辺宜嗣(わたなべのりつぐ)アナウンサーによると、早朝の開場からここまで、85,000人が23回忌ファン感謝の集いに駆けつけていただいたという。そのあと、"大物"たちは来場者に謝意を述べた。

●石原まき子夫人

「本日は、早朝から、もう12時間を過ぎていると思います。それでも皆様途切れなく、裕次郎を本当に供養していただきまして、御献花をいただきまして、本当にありがとうございます。この御恩は、裕次郎とともに、一生忘れません。本当に本日はありがとうございました」

●神田正輝

「本日は暑い中、長い時間、本当にありがとうございました。ただいままで85,000人を超す方々に、来ていただきまして、大変感謝しています。今日、この日を迎えられたことを、我々も嬉しく思っていますし、みなさんに、こんなに愛された裕次郎さんのもとで、働けたことを大変嬉しく思っております。ありがとうございます。感謝いたします」

●舘ひろし

「どうもありがとうございます。本当に長い時間、また暑い中、今日はありがとうございました」

「そして、トリは、やはりこの方です。渡哲也さんです」

渡辺アナウンサーが力強い声で、渡哲也を紹介する。

●渡哲也

「みなさん、こんばんは。本日は御多忙のところ、石原裕次郎の23回忌の法要に、御参列いただきまして、誠に、ありがとうございます。石原が亡くなって、22年。今もなお、このような方々に、愛され、なつかしみ、慕われる、石原。本当に、皆様のお気持ちに、心より、お礼を申し上げます。本当にありがとうございます」

この時間、国立競技場に駆けつけた人たちは、渡哲也に大きな拍手を贈る。すると、「ありがとうございます、ありがとうございます」と謝意を述べ、社員一同深々と頭を下げた。

■石原裕次郎の偉大さを再認識

ちょうどその頃、11番ゲートの整理券を持つ人たちは、献花の出番となった。

フィールドに向かうと、まるで天の川を描くような人の流れで混み合う。ありがたいことに、石原プロモーションは、参列者にポカリスエット1本の大サービス!! それを見た私は、『あぶない刑事』で舘ひろし扮するタカが愛飲したシーンを思い出す。

白い菊の花を一輪いただく。

18時39分、ついに国立競技場のフィールドを踏み、献花用の白い菊の花をいただく(献花用の菊は赤とピンクも用意されていた)。順調にトラック(競走用の走路)を歩き、いよいよケータイ&撮影禁止エリアへ。

ケータイ&撮影禁止エリアを抜け、お寺を撮る。

この日のために建てられたお寺で、石原裕次郎の遺影付近に献花を置き、合掌した。私がリアルタイムで見たのは、『太陽にほえろ!』のボス役のみなので、亡くなった時は"スゴイ人なんだ"と初めて知った。2009年7月5日、私は石原裕次郎を"偉大な日本人である"と深く認識し、心に刻みこもう。

なお、石原裕次郎23回忌ファン感謝の集いは約11万7,000人が参列した。

"もう陸上競技場のフィールドに足を踏むことはないだろう"と思い、しっかりと踏みしめ、19時03分、国立競技場をあとにした。当時、改築されるとは想像すらしていなかった。

■2019年に新しい国立競技場が完成

2019年に完成する新しい国立競技場でも、フィールドを歩きたい。

実は、私が陸上競技場のフィールドに足を踏み入れるのは、1988年以来21年ぶり2回目。1回目は学校の行事で行った。そこでは、やりたくもなかった100メートル走をイヤイヤ挑み、ゴールまで果てしなく遠く、長かった。観客席から見る100メートルは近いが、走者側にとっては"これが100メートルなのか"と思う。

今回もそういう思いがあった。今回は約300メートル歩き、想像以上に長い距離と感じた。日常の100メートルと、非日常(アスリート以外の人)の100メートルは、感覚が異なると思うのは私だけだろうか。

2013年秋、東京オリンピック2回目の開催が決まった。国立競技場はすでに建て替えが決まっており、2019年に完成する予定だ。名称は「新国立競技場」なのか、「(2代目)国立競技場」なのかはわからない。デザインは21世紀にふさわしいが、「伝説」という言葉は似合わない気もする。

★備考

(Railway Blog.「石原裕次郎23回忌」から転載。一部加筆、修正しています)

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