photo by Jim Pennucci
僕の会社は、有限会社ではあるけれど、いまだ、所詮、パパママストアである。
パパママストアといえば、前近代的な商売の代表格のように言われており、おそらく、野心溢れる若い人たちには、最悪のもの、もしくは、望んでするものではないという風に思われているのではないだろうか。
たしかに、そうなんだけど、案外、パパママストアも良い面がある。僕自身が50代ですでに野心も擦り切れて、幸せと感じるレベルが下がってきているからかもしれないが、それでも、捨てたもんじゃないと思うのである。
今日は、なぜ、今こそ、パパママストアが捨てたもんじゃないのか、ということを、僕の独断と偏見とたったひとつの体験から書いてみたい。
先に断っておくが、商売の形態、それぞれの能力、あるいは、夫婦の形は千差万別であって、僕がここに書くことが、すべてのパパママストアに当てはまることはない。あくまで、ひとつの例として読んでいただきたい。
1.家庭と仕事の目標がともに共有できる
嫁と仕事をはじめて13年になるが、いまでは嫁は、ふたりで様々な苦労、辛さ、感激を共有した「戦友」のようなものである。
19年会社勤めをしていた時と、その後の13年間で、その濃密さは、まったく異なる。それは、家庭と仕事の両方で、同じ目的をもって生きてきたから生まれたものに違いない。
2.お互いの能力を再発見できる、足りない分を補い合うことができる
一緒に働くまで、僕にどんなことができるのか、どんなことが得意なのか、しかし、どんなことは苦手なのか、は嫁充分には知らなかったと思う。
僕のほうでも、知らなかった嫁の能力を発見した。
いまの僕らの役割分担は、僕:システム、品物の目利き、マネジメント、経理、嫁:営業、顧客対応、英語、メンバーや職場環境の細かいケアという風になっており、どちらも互いができないことをやって、二人合わせてなんとか、今の事業が回っている。
3.大手にできない専門性や顧客サービスをつくるには夫婦という個性が役に立つ
たとえば、ECの世界では、価格と規模とシステム面で圧倒的に有利な大手と、大手にはできない方法で(参照ください)ファンをつくっていく小さな店の戦いになっていて、案外、小さな店にも戦い方があるという流れになっている。
その場合、夫婦という最小単位は、ふたりのキャラクターで、そういったものを作り上げやすいと思う。また、それをつくるには、長い時間がかかるので、夫婦という安定した基礎が役にたつように思えるのだ。
4.嫁と(あるいは夫と)ずっと一緒というのも案外悪くない
これは、僕の周囲でも、意見が真っ二つに別れる。同じ業界にいるのに、やり方をめぐっていつも意見が衝突するので、わざわざ、別ののれんで別々に商売をしている人もいる。
僕は会社を辞めるまでは、昼も夜もずっと嫁と一緒って、息が詰まるのかなと思っていたのだが、実際そういう境遇になってみると、案外そうでもない。
ふたりの関係が変わったからなのか、慣れたからなのか、わからないが、とにかく、ずっと顔を合わせていることに、良いも悪いも、特別な感情は何も感じない。
5.意見が異なったときの解決にルールができる
うちも最初の2,3年、やりかたを巡ってときどき壮絶な喧嘩になった。
で、自然とルールができた。
会社で起きることの最終決定権は、僕が持つ。
家で起きることの最終決定権は、嫁が持つ。
そうしてから、喧嘩もある程度で収まるようになった。実際、会社を設立した時も、持ち株の割合は僕の分を少し多くしておいた。
6.小さなマーケットであっても世界の表舞台につながっている
パパママストアの仕事は小さなマーケットでつまらないと思う人も多いと思う。
だけど、小さなマーケットであっても、それぞれの専門性を突き詰めたら、世界の表舞台につながっていたということは、そう稀なことではない。
竹職人の尊敬する高江さんは、その作品がスペインのシビラさんに認められて、ショップで販売されるようになったし、先輩のアンティーク着物のお店にはオノ・ヨーコさんをはじめ世界のセレブもやってくるという。
パパママストアだからといって、小さな世界に閉じ込められているというわけではないのだ。とくに、インターネットの時代には!
7.休暇や旅行をふたりで決めることができる
事業に望まれている制約はたしかにあるのだが、本気になってそれを計画すれば、夫婦で長い休暇をとることもできるし、どこかに長期の旅行をすることもできる。
また、何歳まで働くか、どこに住んで働くか、ということも、基本的には自分たちで決めることができる。
未来が自分たちの手の内にあるということは、なかなか素敵なことである。