スポーツ選手の喫煙くらいで世間が物申すことに覚える違和感

プロのスポーツ選手が余暇に煙草の1本や2本を吸ったくらいでメディアという名の世間がとやかく物申すことにもちょっとした違和感は覚える。アスリートは喫煙という行為と最も縁遠い存在であるべきなのかもしれないが、相手はプロフットボーラーなのだから、極論してしまえば、俎上に載せるべきはピッチ上のパフォーマンスであり、90分間走り続けながらピッチ上で違いを作り出せるちょっとしたパートタイム喫煙者の方が、70分間しか体力の続かない非喫煙者よりも優れているはずである

アーセナルのジャック・ウィルシャーがこの夏パパラッチされたヴァカンス先の喫煙行為について謝罪のコメントを出した。以下、ガーディアン紙の記事に掲載されていた本人のコメントの拙訳である。

「今回の件について後悔しています。以前も同じことを目撃されました。その際は、間違いをしたと述べましたが、また同じ過ちを犯してしまいました。人間は過ちを犯すものです。私は若く、この過ちから学んでゆきます。また、育っている盛りの子供たちに及ぼす影響の重大さについても認識しました。私にも子供がおりますし、子供たちには、父親が喫煙する人間で、フットボーラーが煙草を吸っても大丈夫なのだと思いながら育って欲しくはありません。それは間違っていることですから。それは容認されるべきものではなく、また私はその社会的重要性を受け入れ、邁進したい所存であります。

今回の件は、精一杯練習に励む発奮材料となりましたし、それは練習だけに留まりません。進歩したいというモチベーションに繋がったのは、多くの人が意見を言い始め、私のことを知らない人々が苦言を呈すようになったからであり、私にできるのは自分の脚に語らせることだけだからであります(後略)」

9ヶ月足らずという短期間のうちに二度にわたり紫煙をくゆらす姿が激写されてしまったのだから、しおらしく反省の弁を述べるのも頷ける話ではある。本当にこれが発奮材料となり、フットボーラーとしてもう一皮むけてくれれば、ウィルシャーという選手に更なる飛躍を期待しているぼくのような人間にとってもいうことはない、とも思う。

しかし、プロのスポーツ選手が余暇に煙草の1本や2本を吸ったくらいでメディアという名の世間がとやかく物申すことにもちょっとした違和感は覚える。アスリートは喫煙という行為と最も縁遠い存在であるべきなのかもしれないが、相手はプロフットボーラーなのだから、極論してしまえば、俎上に載せるべきはピッチ上のパフォーマンスであり、90分間走り続けながらピッチ上で違いを作り出せるちょっとしたパートタイム喫煙者の方が、70分間しか体力の続かない非喫煙者よりも優れているはずである(勿論、チームの規則や契約条項に違反したのであれば話は別で、制裁が加えられるなり、罰金が科せられるなりしても文句は言えないけれど、それは部外者がとやかくいう問題ではない)。確かに、著名人であれば軽はずみな行為は慎むべきであり、そういう意味では、ウィルシャーのくわえ煙草は軽率ではあったけれど、それだって別に試合のある日に歩き煙草でスタジアム入りしたのではなく、ヴァカンス中という完全にプライベートな状況でプカリと一服やったに過ぎず、ラスヴェガスで煙草を吸うウィルシャーの写真がその道のプロによって隠し撮りされたのか、あるいはスマートフォンを持ち歩く一般人によって撮影されたのか、その辺のところは知らないけれど、そういうごくプライベートな時間を過ごす人間の写真が衆目に晒されることに対し余り疑問の声が聞こえてこない世間の在り方の方に、ぼくは薄気味悪さを感じる。

恐らく要となっているのは(少なくとも向こうの社会では)、ウィルシャー本人も述べているように、子供への影響云々という件なのだろう。ぼくの知る限り、ウィルシャーの喫煙に対し、最もよく見られた批判はこの手のものだった。半ばメディアが煽動した格好になったとはいえ、世論がそういうことになっているのだから、ウィルシャーとしても、謝罪の言葉にこの部分に関する文言を盛り込むのは必須だったのだろう。全てのフットボーラーに聖職者のごとき品行方正のロールモデルを期待するのはどだい無理があるよなあ、とは思うけれど、実際的に著名人の行動が本当に子供の喫煙を助長するのであれば問題である。

しかし、そうなってくると、世の中問題だらけのような気がしてくる。例えば飲酒。スポーツ界では何かしら快挙を達成すると、選手たちはシャンパンを景気よく開栓し、豪気に呑みがちだ。あれだって「子供への影響云々」という観点からすると如何なものだろう。住む場所によって法定年齢に多少の差こそあれ、喫煙同様に子供の飲酒が禁じられている以上、シャンパンで馬鹿騒ぎする選手たちも、喫煙を目撃された選手と同断でなければならい。でもぼくは、これまでシャンパンで優勝なり偉業なりを派手に祝い、その姿が報じられた選手から謝罪や反省の言葉を聞いた記憶がない。

また、ワールドカップやチャンピオンズリーグの表彰式でよく見られるトロフィーへの無分別な間接キスも、衛生的な見地からは駄目なはずだ。あれだって、「子供への影響云々」を考えると、頗るよくない。もし、子供が集まってナントカロボの超合金に寄ってたかって代わる代わる口付けしている光景を親御さんが見つけたら、間違いなくこう言うはずである。「ヨシオちゃん、汚いからやめなさい!」と。それでも、トロフィーに次々とキスをしまくる選手たちはやりたい放題で、勿論、その不衛生な行為に対する謝罪の言葉は今のところ聞かれない。

自分でも馬鹿なことを書いているなあ、とは思うし、今回の一件は世界的な嫌煙ブームの風潮の標的になった感があるとはいえ、同時に、例えばトロフィーへの間接キスさえ世論に糾弾される社会が現実のものにならないとも限らない危うさを考えると、息の詰まる思いがする。恐らく、薄っぺらな綺麗事や上辺だけの品行方正が見抜けないほど今の子供も間抜けではないだろう。しかし、大人の側が善かれと思って盲目的にそうしたものを世の中に蔓延らせているのだとしたら、それは問題である。

たとえプロフットボーラーが喫煙する姿を目撃されてしまったとしても、法に抵触しているわけではないのだから、それを知った子供の近くにいる大人が煙草の害について言い諭せばよいだけの話であって、その当人を「子供への影響云々」から型通りの謝罪というどん詰まりに追いやるのではなく、「便秘気味だったので1、2本貰い煙草をしちゃいました。この禊はピッチ上で果たして見せます」くらいのコメントを出させる退路を用意する“あそび”はあって欲しいものである。

そうでないと、ぼくのように性懲りも無く同じミスを繰り返す下々の人間が困る。

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平床 大輔

1976年生まれ。東京都出身。雑文家。1990年代の多くを「サッカー不毛の地」アメリカで過ごすも、1994年のアメリカW杯でサッカーと邂逅。以降、徹頭徹尾、視聴者・観戦者の立場を貫いてきたが、2008年ペン(キーボード)をとる。現在はJ SPORTSにプレミアリーグ関連のコラムを寄稿。

(2014年7月28日「プレミアリーグコラム」より転載)

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