10日は板橋区役所にて「中学生長崎平和の旅」の解散式があり、私も末席でひとまわり成長した板橋区の中学生たちを迎えました。
中学生広島平和の旅・長崎平和の旅は、板橋区が毎年実施している事業で、全区の中学生の代表それぞれ20数名で、広島および長崎の平和記念式典に参加し、また原爆記念館を訪れたり、実際に被爆された方の体験談を聞いたりします。
そして毎年11月に行われる「板橋区平和のつどい」で、中学生たちが報告を行います。
今年は特に70周年という節目であり、また安倍政権が進める安保法案が大きな議論を呼ぶ中での訪問です。
中学生たちは、安倍首相の挨拶や広島市長・長崎市長の平和宣言を直接に聞いています。
また、現地の雰囲気も感じてきていることでしょう。
報道では伝えられないものをつかんできているはずだと思います。
解散式が終わったあと、引率の先生が生徒たちにこのように語っていました。
「平和の旅は終わったのではなく、今日が始まりです。おそらく、ずっと続く旅になると思います」
「まもなく、総理大臣の戦後70年の談話が発表されます。よく聞いて、考えてください」
答えを押し付けるのではなく「考えてください」と語るのが、あるべき教育だと思います。
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今日、たまたま図書館に立ち寄ったときに目に止まった本が「草の根の軍国主義」(佐藤忠男)でした。
2007年刊行の本ですが、まさにいま読まれるために書かれたがごとき本です。
前書きを一部ご紹介します。
『どうやら日本の軍国主義は、われわれ日本人の多数の途方もないほどの従順さによってこそ支えられていたと言わざるを得ません。警察国家だったからと言っても、日本の警察は国じゅうに強制収容所を作って不平分子を押しこむほど巨大ではなかったのです。
われわれはじつに従順であり、我慢づよく、さらには大いに付和雷同的でした。あの侵略的な軍に大いに喝采していたのです。軍と半ば一体化し、だから軍がまいったときには国民もまいったのです。残念ながら軍国主義は一部の軍国主義者たちだけのものではなく、草の根の広がりと深さを持っていました。
その時代の気分とものの感じ方、考え方について考えてみようと思います。われわれは戦後に努力して平和主義者に転向することに成功したけれど、じつは軍国主義を支えていた心のありようは根が深い。いまのわれわれの平和主義がそれ以上の根の深さに達しているかどうか、反省を止めたら恐ろしい。そう思うからです。』
自分の考えを他人に委ねてはいけない。
自分で考えて行動しなければ、取り返しのつかない結果をもたらす。
これが、あまりに高すぎる代償を支払って得た、あの戦争の教訓ではないでしょうか。
(2015年8月11日「中妻じょうた公式ブログ」より転載)