年初は家電見本市「CES」で賑わうラスベガス。その地元有力新聞社の買収劇を巡って、まるでサスペンス映画のような話が、年末から米メディア界で注目を集めている。
By josephdepalma (CC BY 2.0)
当初、身元が伏せられていた買収の主は、ラスベガスのカジノ王で共和党の大口献金元だった。
しかも、買収が明らかになる1カ月ほど前には、この新聞社の上層部から現場の記者に対し、カジノ王と法廷で緊張関係にあった地元判事に関する〝身辺調査〟の指示が出されたり、3000キロ以上も離れたコネチカット州のローカル紙がこの判事を批判的に報じるなど、不可解な動きがあったという。
米大統領選も年明けから予備選挙へと突入するタイミングで、序盤戦のカギを握る4州の1つ、激戦州ネバダを舞台にした、州内最大の新聞社の買収劇。
新オーナーは共和党の大物支持者とあって、注目度は高まる一方だ。
一体、この新聞社の買収劇の舞台裏で、何が起きているのか。
●正体不明の〝買い主〟
この買収劇の舞台となったのは、ラスベガスの有力地元紙「ラスベガス・レビュー・ジャーナル」。1909年創刊で、18万4000部とネバダ州最大の発行部数を誇る。
買収が明らかにされたのは12月10日。
レビュー・ジャーナルは他の週刊紙5紙とともに、ニューヨークの投資グループ「ニュー・メディア・インベストメント・グループ」から、新たに設立されたデラウエアの投資グループ「ニュース+メディア・キャピタル・グループ」に売却された、という。
レビュー・ジャーナルの運営は、引き続き「ニュー・メディア」傘下の運営会社「ゲートハウス・メディア」が担う。
一つは、買い主の「ニュース+メディア」には、〝メディア業界の専門知識がある非公開の財政支援者〟がいるとされた点。
もう一つは、「レビュー・ジャーナル」の買収は2015年に入って2度目だった点だ。前回の買収は3月。
この時、同紙の他に日刊7紙、週刊65紙を含み、買収総額は1億250万ドル(123億円)。
ところが、今回の買収は同紙と週刊5紙で1億4000万ドル(168億円)。9カ月で4割近くも価格がつり上がっている。
●ラスベガスのカジノ王
そして、買収公表から6日後、「ニュース+メディア」の〝非公開の財政支援者〟が明らかになる。
それがラスベガスの〝カジノ王〟、シェルドン・アデルソンさんだった。
アデルソンさんは、カジノリゾートの運営会社「ラスベガス・サンズ・コーポレーション」の創業者で会長兼CEO。
サンズは、ラスベガスの有名ホテル、ヴェネチアン、パラッツォのほか、世界最大といわれるヴェネチアン・マカオ、サーフボードのような外観で知られるシンガポールのマリーナ・ベイ・サンズなどの大型カジノリゾートを展開する。
フォーブスの長者番付「フォーブス400」では2015年15位、純資産247億ドル(3兆円)の億万長者だ。
また、アデルソン家は共和党への最大級の献金元としても知られ、ハフィントン・ポストによると、前回2012年の大統領選では1億5000万ドル近い献金をおこなったとも見られている。
●調査報道と社説
買収公表以降、うわさベースではレビュー・ジャーナルを含む各メディアがアデルソンさんの名前を挙げていたようだ。
匿名の新オーナーの名前を断定したのは、レビュー・ジャーナル自身の調査報道だった。
今回の買収の実務は、ラスベガス・サンズの上級副社長で、アデルソンさんの義理の息子にあたるパトリック・デュモンさんが、アデルソンさんの代理として行った、と詳細をスクープした。
ただ、速報で先んじたのは、フォーチュンだったようだ。
ハフィントン・ポストによると、レビュー・ジャーナルでは、記事の配信に先立ち、発行人の最終的な了承を得る必要があったが、移動で機中にいたため時間がかかったのだという。
同日午後7時半すぎ、ネットに記事を配信した後、筆者の一人、ジェニファー・ロビソンさんは、ツイッターに「やったね」というコメントとともに、カジノのチップを手にした自身と仲間の写真を投稿している。
この記事には、「アデルソン家からの声明」と題する一文も寄せられている。
この中で、アデルソン家がレビュー・ジャーナルを買収したことを認め、その素性を非公開としてきたことについては、米大統領選の共和党候補者らによるテレビ討論会が、この前日にラスベガスで行われたことを挙げている。
「(選挙戦の)邪魔になるような発表をしたくなかった」と。
その会場は、まさにサンズが経営するヴェネチアンだった。
声明ではまた、買収の理由について、「ラスベガスの地域振興」を挙げている。
ただ、アデルソンさんとメディアとの関係は、これまでかなり緊迫したものだったようだ。
レビュー・ジャーナルのコラムニスト、ジョン・スミスさんはアデルソンさんを取り上げた著書をめぐって訴えられた経緯がある。後に訴えは取り下げられたが、その間に、スミスさんは自己破産してしまったという。
また、これ以外にもデイリー・メールが敗訴、ウォールストリート・ジャーナルは訴訟が継続中という。
だが、話はこれで終わらない。
レビュー・ジャーナルは、さらにインパクトのあるスクープを掲載する。
●「判事を調査せよ」
この2日後、「アデルソン訴訟の判事、レビュー・ジャーナル買収の渦中に批判にさらされる」と題したスクープが配信される。
アデルソン家による買収が明らかになる1カ月以上前、レビュー・ジャーナルの運営会社ゲートハウスの経営陣から、同紙の発行人ジェイソン・テイラーさんを通じて、3人の記者に奇妙な特命が下ったのだという。
「すべての仕事を中断して、2週間をかけて(ラスベガスのある)クラーク郡の3人の判事のすべての言動を調査せよ」
対象となった判事の1人が、エリザベス・ゴンザレス地裁判事。
マカオのカジノを運営するサンズ・チャイナの元CEOが、アデルソンさんとラスベガス・サンズを相手取って「不当解雇」を訴えている裁判の担当判事だ。
この裁判で元CEOは、サンズと中国の犯罪組織との関わりや政府関係者との癒着を断とうとしたため、解雇された、と主張しているようだ。
また、この訴訟は曲折を経ている。
ゴンザレスさんは、2012年には弁護士の偽証によりサンズとサンズ・チャイナに罰金2万5000ドル、15年には資料の非開示のためサンズ・チャイナにサンズチャイナに罰金25万ドルを課している。
15年5月に行われたアデルソンさんに対する尋問では、回答を拒否するアデルソンさんに対し、「私と議論する権利はありませんよ」とゴンザレスさんが叱責する場面もあったという。
さらにネバダ州最高裁は11月4日、サンズ・チャイナが、クラーク郡の裁判所、すなわちゴンザレスさんにこの訴訟の管轄権はないとした訴えを退けていた。
レビュー・ジャーナルの記者たちに、ゴンザレスさんら3人の判事の調査が命じられたのは、その2日後のことだった。
●1万5000語のメモと小さな記事
ゲートハウスからの指示は、その目的について何の説明もなく、同紙の経営陣の反対を押し切って行われたという。
ただ、調査する3人の判事の名前についてまでは、直接の指示はなかったようだ。
ゴンザレスさんについては、レビュー・ジャーナルの上層部が、アデルソン訴訟などビジネス関連の著名事件を担当しているとの理由から選び、残る2人は担当記者が選んだのだという。
「調査」の項目は、訴訟指揮の様子から、弁護士の扱い、さらには開廷時間の正確さにも及んでいたようだ。
担当記者からのメモは11月半ば、編集局次長が紙面化の予定もないまま1万5000語の報告書にまとめ、同紙発行人のテイラーさんと同紙の顧問弁護士に提出したという。
奇妙な展開は続く。
レビュー・ジャーナルよりも前の11月初め、判事を調査せよ、との同じ指示が、ゲートハウスの副社長からやはり系列のフロリダ地元紙、サラソタ・ヘラルド・トリビューンの編集長にあったのだという。
ただ、同紙の編集長は人繰りがつかない、としてこれを断ったようだ。
さらに、報告書の提出から半月後の11月30日、ラスベガスから3670キロも離れた東海岸、コネチカット州の、小さな地元紙「ニュー・ブリテン・ヘラルド」が、特にアデルソン訴訟における罰金支払い命令などを取り上げ、ゴンザレスさんの訴訟指揮を疑問視する記事を掲載する。
ヘラルドはゲートハウス傘下ではなく、直接のつながりはなかった。
●執筆した記者は誰?
さらに、この記事の筆者「エドワード・クラーキン」さんにも謎が残る。
署名記事は、これ以外には数本のレストラン評と書評ぐらいしか見あたらず、レビュー・ジャーナルの記者は、この人物に連絡を取ることもできなかったようだ。
この記事から10日後、レビュー・ジャーナルの買収が公表された。
買収を行った投資グループ「ニュース+メディア」のマネージャーとして、レビュー・ジャーナルの社内会議に現れたのが、マイケル・シュローダーさんだった。
「セントラル・コネチカット・コミュニケーションズ」という会社のオーナーであり、同社が発行しているのが、ゴンザレスさんを取り上げたニュー・ブリテン・ヘラルドだった。シュローダーさんは、同紙の発行人でもある。
この件に関して、買収先の「ニュース+メディア」マネージャーのシュローダーさん、売却元であり、レビュー・ジャーナルの運営会社ゲートハウスの親会社でもある「ニューメディア」のCEO、マイケル・リードさんら、関係者はみな、口をつぐんでいるようだ。
ただ、謎の記者「エドワード・クラーキン」さんについて、コネチカットでニュースサイトを運営するクリスチン・スチュアートさんが、奇妙な一致を発見した、という。
「ニュース+メディア」のシュローダーさんのミドルネームは「エドワード」といい、その母親の旧姓は「クラーキン」だ、と。
●激戦区での買収
この買収がメディア界の関心を集める理由の一つは、その舞台が2016年米大統領選で注目の激戦区、ネバダ州だからだ。
メディアアナリストのケン・ドクターさんが、「ポリティコ・メディア」で大統領選への影響の観点から、この買収劇を読み解いている。
ドクターさんも、まずその買収額に着目。
2015年3月の買収時の金額1億250万ドルのうち、発行部数からみたレビュー・ジャーナル及びネバダ州内の地元紙の割合を5割とし、その価値を5200万ドル程度と見積もる。
今回の買収額1億4000万ドルはその3倍近い値段であると指摘。
さらに「ニュー・メディア」のリリースによれば、この買収額はレビュー・ジャーナルなどのEBITDA(金利・税金・償却前利益)の7倍。
ドクターさんは、中規模新聞社の買収では3~4倍が相場で、ジェフ・ベゾスさんによるワシントン・ポスト買収(17倍、2013年)のようなケースを除けば、例外的な高さだと見る(ちなみに日経によるフィナンシャル・タイムズの買収<2015年>は35倍)。
ベゾスさんによるワシントン・ポスト買収や、「ボストン・レッドソックス」オーナー、ジョン・ヘンリーさんによるボストン・グローブ買収(2013年)など、億万長者の新聞社買収はこれまでにもあった。
それらと、今回の買収劇は何が違うのか。
ドクターさんは、その買収の狙いを、大統領選との関連から推測する。
富豪が政治的な影響力を狙って新聞社買収に乗り出す例として、記憶に残るのはコーク兄弟の動きだ。
米保守派の草の根運動「ティーパーティー」の資金源とされるコーク兄弟が2013年、トリビューン傘下のロサンゼルス・タイムズ、シカゴ・トリビューンなど8紙の買収に動き、注目を集めた。今回の買収劇でも一時、兄弟の名前があがっていた。
ポリティコの見立てでは、全米50州のうち、民主党、共和党いずれの優位も定かでなく、大統領選の行方を握る激戦州は7州。
選挙人の数(総数538人)では民主党247人対共和党206人。
共和党が過半数270人に届くには、残りの激戦7州85人のうち、64人を獲得する必要がある。
大選挙区のフロリダ州(29人)、オハイオ州(18人)をおさえたとしても、さらにあと17人が必要だ。
その一つ、ネバダ州(選挙人数6)は、予備選挙・党員集会の4番目の開催地(2月23日)であり、序盤戦の要でもある。
一方で、各州で影響力のある新聞社の買収額として、10年前に比べて10分の1程度まで下がっていて〝買いやすい〟候補の一つが、ネバダ州のレビュー・ジャーナルだった、という。
アデルソンさんは、すでにイスラエルで無料の全国紙「イスラエル・ハヨム」のオーナーでもあり、ネタニヤフ政権支持でも知られているようだ。
●闘争宣言と編集長の辞任
レビュー・ジャーナルは20日付の社説で、「レビュー・ジャーナルは読者の信頼を裏切らないため、日々闘っていきます」と題して、こう述べている。
もしアデルソン家が、ある話題の取材を命じたり、やめさせたり、手心を加えさせたりして、報道をねじ曲げようとすれば、レビュー・ジャーナルの編集者と記者は闘います。それを確かめる術は? その一例として、本紙の買収をめぐる謎についての報道の仕方をご覧いただければ。私たちは、掘り下げ、取材の中止を拒否しました。私たちは読者の信頼のために闘います。来る日も、来る日も。
だが、編集長のマイク・ヘンゲルさんは、その紙面の写真をツイッターに投稿した2日後、早期退職勧奨を受け入れ、辞任すると発表する。
レビュー・ジャーナルの記事によると、ヘンゲルさんは、やめさせられるのではない、と述べたという。
別の動きもある。
ニューヨーク・タイムズによると、ネバダ州法はカジノのオーナーが犯罪組織の構成員と関係を持つことを禁じており、サンズ・チャイナの不当解雇訴訟に絡み、米証券取引委員会(SEC)や司法省が調査に動き出しているという。
また、レビュー・ジャーナルによると、ネバダ州の賭博管理委員会が、今回の買収について、賭博規制法令に基づく調査を進めているという。
目が離せない。
(2015年12月31日「新聞紙学的」より転載)