ニューヨーク・タイムズの編集局特命チームが、編集主幹、編集局長らにあてた編集局デジタル改革レポートを、ニュースサイト「キャピタル・ニューヨーク」が報じていた。
レポートを取りまとめた10人の改革チームのリーダーは、アーサー・グレッグ・サルツバーガーさん。タイムズのサルツバーガー会長の長男で、2009年入社、まだ30代のサラブレッドだ。
ジル・エイブラムソン編集主幹とディーン・バケット編集局長連名の社内向けメモによると、昨年7月にチームの人事が公表された当初、与えられたミッションは新たな課金プロダクトの開発だったという。だが検討を進めるうち、サルツバーガーさんらは編集局そのもののデジタル化が急務と直訴し、今回のレポートに至ったようだ。
新商品開発を命じたら、組織改革案が出てきた――こういうことは、新聞社に限らず、およそ普通の組織ではあり得ないようにも思えるが、そこはサラブレッドのなせるわざか、タイムズの文化なのか。
特命チームは、半年がかりで50のメディア企業、テクノロジー企業、および社内を含む300人以上からの聞き取りを行い、それをもとに5つの提言を行っている。
1.編集局への読者開発チームの設置
2.編集局への分析チームの設置
3.編集局への戦略チームの設置
4.ビジネス部門の読者関連部署とのコラボレーション
5.デジタルファーストへの移行支援のためのデジタル人材採用の重視
つまり、「紙の新聞を前提とした発想では、新たな可能性を見逃してしまう。新たな読者を開発せよ。そして、すぐに組織改革に着手すべきだ」と。
●その逆ではない
サルツバーガーさんらは、元ワシントン・ポストのエズラ・クラインさんが立ち上げた「ヴォックス(Vox)」 やイーベイ会長ピエール・オミディアさんが出資し、スノーデン事件をスクープした元ガーディアンのグレン・グリーンワルドさんらが参加した「ファースト・ルック・メディア」など、新興ニュースメディアが次々と登場し、既存メディアも変革に動き出した今のメディア環境を、こう位置づける。
「ヴォックス」や「ファースト・ルック・メディア」のような、ベンチャーキャピタルや個人投資家によって支えられているベンチャーは、デジタル界に適した編集部をつくりあげている。バズフィードや、フェイスブック、リンクトインは編集者を採用してジャーナリズムへの関与を深め、ニュース読者を狙った新サービスを公開している。ウォールストリート・ジャーナル、ワシントン・ポスト、フィナンシャル・タイムズ、ガーディアンといった伝統的な競合社は、〝デジタルファースト〟に向けた組織改革に積極的に動き出している――つまり、デジタル報道の結果として紙の新聞をつくるのであって、その逆ではない。
そして、編集局の改革の方向性をこう述べている。
この変化の中で、編集局はより多くの時間とリソースを割いて、適切なデジタルの機能とテクノロジーを築き上げていかねばならない。読者開発、ソーシャルエンゲージメント、ページ最適化、ユーザー体験、コンテンツ管理システム(CMS)といったフレーズは、伝統的なジャーナリストには専門用語のように響くかもしれない。だがこれらは、多くの編集局で標準的な語彙になりつつある。
改革は、デジタルファーストにとどまらない、とも言う。
ウェブファースト、モバイルファーストの編集局になるだけではすまない。我々はその時々のニーズに継続的に適合できる、フレキシブルな編集局になる必要がある。テクノロジーが変化すれば、常に新たな可能性を考え直していく。読者の行動が変化すれば、常にサービスが届いているかどうかを評価し直していく。そして、これらの作業を、決して面倒な雑用と捉えてはいけない:我々のジャーナリズムをより高いレベルに引き上げ、読者へのリーチを広げ、読者によりよいサービスを届けることを可能にするのだ。
●1.編集局に読者開発チームを設置する
サルツバーガーさんらは、「読者開発(Audience Development)」の必要性を説く。
これは、『アントレプレナーの教科書』で知られるスティーブ・ブランクさんが提唱する「顧客開発(Customer Development)」を意識しているのかもしれない。
タイムズは長らく読者開発、つまりジャーナリズムを読者のもとに届けることを、そのミッションの中心だと考えてきた。宅配の実績は、タイムズを読者に読んでもらうために、我々がどこまで力を注ぐかという証しだ。
だが、読者のリアルの玄関先に届ける努力ほどには、デジタルの玄関先にリーチする努力は払ってこなかった。
編集局にとって、主たる読者開発戦略とは、良質なジャーナリズムを生み出すことだった(そして、実際の多くを生み出している:日に300本のデジタル版記事、それらはすでに1500万本ある過去記事に追加されていく)。しかし読者開発には、他のツールや戦術の洗練された組み合わせが必要だ。それは例えば、ソーシャルメディア上で記事をプロモーションしたり、新しいプラットフォーム用にパッケージし直したり、検索エンジンに最適化させたり、読者のニーズに合わせてパーソナル化したり、電子メールやコメント欄で読者と直接エンゲージメントをしたり、ということだ。
レポートは、ガーディアン米国版のデジタル読者を過去6年間でを急拡大させた中心人物、編集長のジャニン・ギブソンさんのこんな言葉を紹介している。
「読者は、黙っていても獲得できるわけではない。私にとってもっとも難しかったのは、その事実を理解することだった。紙の新聞の出身者は、編集者さえ通過すれば、記事は印刷され、そのまま読者に届くことを当然だと考える。デジタルジャーナリストにとっては、これが全く逆の話だ。まず自分の読者を見つけなければならない。読者は黙っていてもやってきて、記事を読んでくれるわけではない――それを理解するのは、まさに人生観が変わるような体験だった」
ハフィントン・ポストの元幹部は、ニューヨーク・タイムズとの違いを、端的にこう述べている。
タイムズの読者数をほんの数年で追い抜いたハフィントン・ポストの元幹部は、リーチを広げたければ、記事を発行することの意味について、考え方を変えなければならない、と述べた:「ニューヨーク・タイムズでは、記者や編集者にとって、記事が発行されればそれで終わりだろう。だがハフィントン・ポストでは、記事が発行された時がその命の始まりだ」
「もしそれが重要なニュースなら、ニュースが私を見つけるだろう」という、2008年に流行った名言も、サルツバーガーさんたちは意識しているようだ。
ホームページは、読者にタイムズのジャーナリズムを届ける主要なツールであり、毎月数百万もの読者がそこに押し寄せた。だが、あらゆるニュースサイトのホームページと同様、その影響力は落ちている。タイムズのホームページをみるのは、読者の半分以下だ。多くの読者は、タイムズを見つけ出そうとするのではなく、フェイスブックや電子メール、ニュースアラートを通して、タイムズの方が読者を見つけ出すことを期待している。
●2.編集局に分析チームを設置する
分析チームはすでに、デジタル化した編集局にとって要となる存在だ。ウォールストリート・ジャーナル、ワシントン・ポスト、アトランティックといった伝統的な競合他社は、分析を取り入れている。ハフィントン・ポストやバズフィードといったデジタルの競合他社は、成長戦略の中核にデータを位置づけている。データから探り出すインサイト(洞察)は、読者へのリーチとエンゲージメントの改善に役立っている。ガーディアンの編集者は、このように表現している:「編集者は最初のフィルター、読者は2番目のフィルターだ」。何世代にもわたり、編集者は読者の要望を推測する必要があった:今の編集者は、その推測が正しいかどうかを判断できる能力を手にした最初の世代だ。
当ブログでも「『マネーボール』理論をニューヨーク・タイムズに応用してみた」で紹介しているが、タイムズはすでにデータジャーナリズムで知られるアーロン・フィルホファー編集局次長(デジタル戦略担当)が先導して、記事に対する読者の反応のデータ解析に取り組んでいる。
レポートではさらに、それを編集局内の常設チームとしてしっかりと組織に組み込め、と提言している。
●3.編集局に戦略チームを設置する
従来の編集局幹部には、ほぼ完全に紙の新聞に集中できる贅沢が許されていた。今日、ニューヨーク・タイムズの編集局を運営するということは、紙の新聞だけでなく、幅広いウェブの運営、拡大を続けるモバイル向けサービス、ニュースレター、ニュースアラート、ソーシャルメディアのアカウント、さらには国際版、動画、そして多彩なその他のサービスに目配りすることを意味する。
編集局で日々のニュースに対応しながらでは、とても長期的戦略を検討する時間的な余裕がない。専従のチームが、ニュースの業務を離れて対応すべきだ、との指摘だ。
●4.ビジネス部門の読者関連部署とのコラボレーション
このデジタルレポートを次のレベルに引き上げるのに必要なスキル、インサイト、トレーニングは、すでに社内に存在している――ただし、多くは編集局外に。
ニューヨーク・タイムズでは、すでに編集局が開発者など、社内各部門の人材を局内に取り込み始めているようだ。
プロジェクトマネージャーのエリン・グラウは、週の一部を編集局で過ごし、デジタルプロジェクトの優先度の判断に協力している。最近では、開発者のチームが技術部から編集局に引っ越し、配信システムの修理、改修に素早く対応する態勢になった。そして、これは一方通行ではない――インタラクティブニュースにいたブライアン・ハマンは、今では新規開発チームの主要メンバーだ。
この取り組みを、さらに積極的に推進せよ、とサルツバーガーさんらは提言する。
●5.デジタルファースト移行を支えるためのデジタル採用を重視する
いくつかの新聞社はデジタルファーストへの移行を目指して〝破壊的イノベーション〟に取り組んで来た。フィナンシャル・タイムズは、紙の版立てを3つから1つに減らし、200人の夜勤の製作スタッフを日勤に移した。その一方で、エンゲージメント、データ、速報チームを立ち上げ、紙の新聞については少人数の編集者グループに権限移譲した。USAトゥデーは、開発者やソーシャルエディターといったデジタルのスタッフを各部に統合し、紙の新聞製作は少人数のグループに委ねた。「ネットにおける最良のジャーナリズムが1日の終わりに紙に印刷されていく」とデビッド・キャラウェイ編集長は言う。「ただ、紙だけのためのものは一つもない」
新聞社の構造改革は、米国で激しさを増している。そして、肝になるのはデジタル人材の採用と活用だ。レポートでは、競合他社などからの採用と合わせて、社内人材の活用についても提言している。
●〝破壊的イノベーション〟に立ち向かえるか
評価はこれからだが、それに伴うデジタル投資は、収支にそれなりのインパクトを与えているようだ。
4月に公表された今年第1四半期の業績を見ると、売り上げは3億9000万ドルで前年同期比2.6%増だ。このうちデジタル版の売り上げは4000万ドルで、13.6%増。デジタル版読者は3万9000人増え、計79万9000人になったという。
だが営業利益は2210万ドルで、同年前期比で21.3%減だった。タイムズは、デジタル投資など「戦略的成長構想に関わる投資が主な要因」と説明している。
今回のレポートについて、メディアブログ「ギガオム」のマシュー・イングラムさんは、こんな辛口のコメントを披露している。
〝破壊的イノベーション〟の導師であるクレイトン・クリステンセン教授のファンなら、伝統的な編集局と紙の新聞をベースとしたマネージメントを、デジタルファーストの文化と組み合わせようという試みは、まず間違いなく失敗する運命にある、と言いたいところだろう。なぜなら、組織の紙側の人間たちは、自らの破壊につながるようなことには、関わろうとしないからだ。
一理ある。
デジタル化で先頭を切っていた全米第2位の新聞チェーン「デジタル・ファースト・メディア」が、デジタル最適化プロジェクト「サンダードーム」を頓挫させ、50人を超す担当チーム全員を解雇した件は、タイムズのレポートでも触れている。
デジタル化を進める新聞社にとっては、トラウマのような〝事件〟だ。
だが、進まない、という選択肢も、ないだろう。
(2014年5月13日「新聞紙学的」より転載)
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