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2018年03月19日 09時17分 JST | 更新 2018年03月19日 09時17分 JST

支援団体間で行われるソフトボール大会に価値づけをする。

つらつらと考えた、感覚的有効性を三つあげてみます。

JR青梅線牛浜駅から徒歩5分。僕が子どものころ「牛浜球場」と呼んでいた福生野球場への道のりを急ぐ。少し遅れてしまった。音や声は聞こえて来ない。

目的は、育て上げネットの「ジョブトレ」と青少年自立援助センターのソフトボール対戦だ。絶対負けられない戦いがそこにある。遅刻してるけど。

そんな音も声も聞こえて来ない場所に向かうことに不安はなかった。ひとは大きな声を出し合い、仲間とチームになるのに時間がかかるからだ。恥ずかしがり屋もいれば、普段から大きな声を出すことがない若者もいる。野球やソフトボールが初めてということもあるだろう。

それにしても静かだ・・・

静かすぎる・・・

小走りで野球場に到着する。

誰もいない。

いや、ひとり、管理のおじいさんがグランドを整備している。

何かが違う。

スマホを取り出し、対戦相手の監督に電話をする。

「あー、そっちは午後なんだよね。午前中は加美平球場なんだよ」

これがアウェーの洗礼ってやつだ。情報を錯綜させることで、本来の力を出しづらくするやつ。ここでメンタル崩すようだと世界では戦えないんだ。

一度冷静になって、「そっちに向かいますね」と加美平球場へ。

加美平球場に到着すると、戦いはすでに3回に入っていた。

誰も遅れてない・・・

アウェーの洗礼であればアウェーチームが不具合を起こすわけだが、ホームチームもアウェーチームも大きな声、指示、歓声で盛り上がっている。20人くらいのギャラリーも。洗礼を受けたのは僕だけだった。というか、勝手に会場を間違えた疑惑しか残ってない。

さて、ウチ(育て上げネット「ジョブトレ」チーム)は負けている。野球は苦手だ。ボールを扱うスポーツは比較的やりやすい(バスケを除く)が、道具とボールとなると極端にうまくいかない。テニスとか。身体ひとつで勝負する陸上競技はもっと苦手(つまりサッカーしかできない)。

でも、監督から声をかけてもらう。「でます?」と。

「代打、俺!」

ということで、革靴にビジネスカジュアルで打席に立つ。ホームランが出たら追撃ののろしになるな、と思いつつ。何事も打席に立たないと状況は動かない。打席に立つことが重要だ。そんなことをつらつら思いながら、バットを振る。

コキン(音小さめ)

サードを強襲することなく、ぼてぼてと球が転がっていく。

セーフ。ソフトボールだからね。

そして、盗塁を成功させ、次のバッターのセンター前ヒットでホームに生還する。誰もが笑顔で迎えてくれ、拍手もあるが、ハイタッチがない。ので要求すると、みんな恥ずかしそうにハイタッチしてくれた。

受け入れられている気がした。そのとき、ヒットを打ったバッターが、相手がもたつく間にホームイン。ホームラン。一気に仲間の目線と歓声がそちらに行く。そして僕の存在はかすむ。

みんなで続けてハイタッチ!

1打数1安打1盗塁1ホームベース帰還。悪くない。

チェンジとなり守備の時間となったとき、監督から「ピッチャーやります?」と言われるが、キャッチボールの時点で球数制限を超えてたので回避。戦況を見守る。

残念ながら、5回までの試合は5回裏に相手のサヨナラヒットで幕を閉じる。悔しいし、残念だった。

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さて、こんなどうでもいい話にお付き合いいただきありがとうございます。若者の就労支援の活動のなかで、ソフトボールやフットサルは鉄板のコンテンツです。その歴史は40年近くまでさかのぼりますが、僕がさかのぼれるのはそこまで(現40歳)ですので、もっともっとずっと前から存在していると思います。

なぜ、存在しているのか。有効性を数値化したひとはいないと思います。それでも脈々と支援団体同士(ときに外部のチャレンジャーも!)の交流と対決が受け継がれているのは、そこに意味や価値があるからのはずです。

今回、ソフトボール大会に参加しながらつらつらと考えた、感覚的有効性を三つあげてみます。

【身体性の確認】

社会との接点がなくなると、意識的・主体的でない限り、身体を動かすことから離れます。子どもなら親と、学校なら体育で身体を動かします。ではそれ以降はどうでしょうか。会社やサークルを通じて、または自分たちでそういうコミュニティを運営しているひともいるかもしれません。そういった社会的所属を持たない限りにおいて、通常は孤立すると運動から遠ざかります。

身体を動かすというのは、現状の自分を身体性の面から確認することです。いま走れるのか。自分のイメージと本来の身体がどの程度合っているのか。息は切れるのかそうではないのか。身体を動かし、汗をかいたあと、食事や睡眠はどうなのか。そういう身体性の確認は、日常生活において非常に重要かつ、自分でやることも難しく、また、人数をかけてやるチームスポーツはなおさら難しいわけです。

【集団と自分を計る」

フットサルにせよ、ソフトボールにせよ、プレーヤーでも応援団でも、その場においてはみんなチームの一員です。集団の一員として、どこに自分を位置づけるかは自分で決めればいいんですが、ある程度定期的にこういう機会があると、最初は見ているだけだったとしても、ちょっとやってみたいなということがあればすぐに、できるところから、ちょっとずつチャレンジすることが可能です。そういう意味で、集団と自分の距離感を計ったり、自分の立ち位置を確認したりすることができます。

学校や企業の一員であれば、嫌が応でも距離感や立ち位置を考えながら、ときにストレスを抱えながら、自分を動かしていきます。それとは異なり、こういう支援団体の活動の場合では、そもそもソフトボール大会への参加について選択肢が提示されます。参加したくなければそれでいですし、参加してみようと思えば参加をすればいいのです。応援だけでもいいですし、その場所に行きたくなければストリーミングで観戦することも技術的にはまったく難しくありません。

集団と自分を計ることのできる機会が選択方式で、かつ、安全・安心な環境下において提示されるというのはあるようで、なかなかないのではないでしょうか。

【適当であることを体感する】

勝負なので得失点があり、勝ち負けはあります。ただし、ルールはゆるく、みんなが参加できるような変更はいくらでもできます。平等ではないかもしれませんが、公平な場にするため、適当にルールが変わっていったりします。今回は大きく変えたものはないですが、ピッチャーの手をボールが離れてから盗塁をしたのかどうか、そんなことは厳密に見ません。

この「適当さ」というのは、自分たちの仲間内では作れますが、学校や企業では簡単ではありません。遅刻を容認したり、期日を守らないことを「まぁ、いいよね」という風にはなりませんし、個人の状況に合わせて個別ルールが設定されることに対する許容力が社会にあるかわかりません。

ただし、私たちの生きている社会は何もかも厳密性を持って動いているわけではなく、人間関係となれば、その在り方も多様です。所属コミュニティーや生きている地域、国が変わればそこらへんは曖昧であったり、全然異なるルールがあったりします。

適当な世界もあるなぁ(適当過ぎるなぁ)と思うことで、厳密な世界と適当な世界を知ることができ、若者によっては安全で安心感を獲得することにつながります。ひとつの安全な場を持っているというのは非常に大切なことだと思います。

支援団体によってフットサル、ソフトボールの強さは異なります。その時、その時代に所属する職員や若者によっても左右されます。そんなとき、間を取ってキックベース大会にしたとき、フットサルとソフトボールのどちらに強みを持っているチームが有利になるのか、この疑問は解決されていません。

フットサルかな?とか思ってたりするんですけど。

※両監督の采配の差が勝敗を分けました。

(2018年3月17日若者と社会をつなぐ支援NPO/ 育て上げネット理事長工藤啓のBlogより転載)