大塚家具問題は『ナウシカ方式』で解決しよう!

大塚家具の話をしたいと思っています。いまさら?と言うなかれ。

大塚家具の話をしたいと思っています。いまさら?と言うなかれ。

あれだけ話題になってもあっという間に流れ去ってしまう忙しい世の中なので、「いまさら?」感は確かにあります。(すぐにブログを書こうと思っていたんですが、ウィークディは何かと忙しく、週末には家族旅行で離島に行ったり結婚記念日にクルーズ船に乗ったりと、前から決まっていた予定が詰まっていて書けなかったんですよ。)

しかしこれだけたってから書いて良かったと言えることがひとつあります。

それは時間があいて冷静になることで、父の勝久会長と娘の久美子社長の「2つの相容れない全く違う世界観」だと思われていたものが、実はそれほど違うものじゃないように見えるようになったことです。

というのも18日から大塚家具の「一連の騒動」への「感謝セール」があったんですよ。行って来ました。ニュースにもなってましたが、かなりのお客さんが来ていて、私もはじめて大塚家具に入ったんですが、「これはうまく行けば化けるかもしれないな」と思いました。

これから久美子社長と「勝久会長派の抵抗勢力」さんが長所を出し合えるように持っていければ、日本の家具市場の流れに一石を投じる存在になるかもしれないとすら思いました。

それについて書きます。タイトルに"大塚家具問題は『ナウシカ』方式で解決しよう!"と書いていますが、キモはこの絵です。

はい、全国のジブリファンの皆さん、この絵に「セリフ」をアテてください。

そうですね。

ほらね 怖くない。ねっ? おびえていただけなんだよね?

目次は以下の通りです。

1●久美子社長の方針は誤解されている。(イケア&ニトリ路線ではない)

2●家具市場の大きな変化と大塚家具の新戦略との関係

3●新戦略の可能性が本当に解放されるには、「ナウシカ的繋がり」が必要。

4●日本社会は改革への分水嶺を超えられるか?

1●久美子社長の方針は誤解されている。(イケア&ニトリ路線ではない)

「父娘対決」がヒートアップしていた時は、それを眺めている外野も「どっちかに肩入れ」して見がちでした。

・父の勝久会長の路線は時代遅れ。もうそんな時代じゃない。

・娘の久美子社長の路線は結局ニトリやイケアに勝てない。

俺あんま興味ないし、という人もいるにはいましたが、かなり広範囲の日本人が「どっち派」のようなポジションを取って見ていたように思います。

ちなみに、日経ビジネスオンラインの両者それぞれへのインタビューでは、久美子社長の記事の方に勝久会長氏の10倍弱の「いいね!」がついていました。フェイスブック的価値観からすると断然久美子社長派が当然という雰囲気で。

近年まれに見る意識高い系を自認するワタクシも、まあ賛成反対というより、時代の流れ的に久美子社長の圧勝で終わるんだろうな、と最初は思っていたんですが、その後ある機会に2ちゃんねるの関連スレッドを見るとかなり父の勝久会長派が多い印象で、かつ株主総会直前には「勝久会長有利」という観測ニュースすら流れていました。

結局久美子社長の辛勝だったわけですが、真剣にこのニュースをフォローして、久美子社長側が作った中期経営計画(コンサル風のプレゼン資料)まで読んでる人以外は、久美子社長は会員制を辞めてニトリやイケアのような安売り路線を目指してるんだろうと思っている人が多かったように思います。

もしそういう「ニトリ&イケア的安売り路線」を目指しているのであれば、「それだったら別ブランドでやればいいじゃん」とか、「大塚家具辞めて自分で別の店やればいいじゃん」、というよくある反対意見も意味を持ってきます。

でも、実はそうじゃないんですよね。さっきリンクした中期経営計画の資料はなかなか面白かったです。

「ニトリやイケアのような安売りを目指す」のではなくて、

・会員制を改めて気軽に入店してもらえるようにする

めっっちゃ高いものしか置いてないイメージを改める

中価格帯から高価格帯の幅広い品揃えをアピールし、単品の買い替え需要を取り込めるようにしていく

方針だそうです。全体的に「大津家具の元々持っていた良さを変えることなく、より広い範囲の人に見てもらえるようにする」というような路線だということがわかる。

この8ページとか良かったな。(クリックで拡大します)

2●家具市場の大きな変化と大塚家具の新戦略との関係

だいたい、男は(特に日本人の男は)伝統的に家具に興味ない人が多かったような気がします。いや別にこれはディスってるのではなくて、観察的事実としてね。

あるコンサル会社に所属していた時に、10年ほど前ですが中国に視察旅行に行ったことがあるんですが、そこで中国の超巨大家具店に行きました。

中国は家は真っさらなガワだけの状態で売っていて買ったら内装から家具から一新するのが彼らの風習らしく、だから日本よりも「家具」に使うお金が大きい印象なんですよね。

で、中国のことですから超巨大なスペースの中に、中国伝統式やヨーロッパ風、モダン風、ヴィンテージ風・・・とありとあらゆる世界のスタイルの家具が陳列されていて、彼の国の人々の家具への情熱をヒシヒシと感じる時間だったんですが、一緒に行った男の社員たちの手持ち無沙汰感といったらなかったです。

これはまあ当時の私も含めてなんですが、「これをどう楽しんでいいかわからない」ような感じで。でも概ね、一緒に行った女性社員の皆さんは目を輝かせて色々見てることが多くて、「へえ、こういう楽しみ方の世界があるんだなあ」とボンヤリ思ったことを思っています。

シリコンバレーで働いているある知人が言っていたのですが、彼女の現地での友人で何かのIPOで億万長者になった男の家に行ったら、内装の何もないでかい部屋の真ん中にベッド用のマットレスだけがボンと置いてあって、そこらじゅうにビールの空き缶と宅配ピザの包装が溢れていて、ほとんど家具らしい家具はなく、でもガレージには超スーパーカーやらスノーモービルだったかそういう"マシン"がズラズラ並んでいたそうで、「ギーク(技術オタク)の男だけに世界を任せるとこうなるという見本」だと感じたとか。

そこまで極端でなくても、「良い家具を選んで配置して暮らす楽しみ」というのはある種の人生に対する余裕が(金銭的なものも含めてですがそれだけじゃなくて)必要で、私を含めて過去20年の「デフレ時代」日本においては、大阪のミナミを闊歩するオバちゃんのような「このテーブルなんぼやと思う?安かったんやで!自慢こそが至上」みたいな価値観の中で、そういう余裕はかなり抑圧されてきた類のものかもしれません。

しかし、最近は色々と価値観も揺り戻しが来ていて、さっき引用した「中期経営計画の8ページ」のような市場の流れは確実にありそうです。

「10の資金があったら、10ギリギリまで"家のハード部分(あるいは自動車)"に投入してしまって、そこに入れる家具はあわてて最安値のものを適当に揃えてしまう」という価値観

から、

「10の資金があったら、そのうちの6〜7ぐらいまでの家を買ったり賃貸にしたり中古住宅のリノベーションにしたり(自動車も安いのにするかそもそも買わない)して、余剰資金で良い家具を買って住むのがいい」という価値観

への変化は確実にあります。

若い世代だけじゃなくて、子供が巣立ってある程度お金に余裕ができた世代も、昔は「とにかく安いものを」と思って買った家具が気に入らなくて、車の買い替えを一回辞めてでも良いソファーとかダイニングテーブルで暮らしてみたいと野心を燃やしているオバ・・・お姉さんがたが沢山いらっしゃるように思います。

そういう方々の思いは、「"家のガワと車"重視の価値観」から抑圧されてきた「"良い家具とダイニングテーブル"重視の価値観」による正義の復権!ぐらいの「野心」とか「怨念」とか言うレベルで燃えていることが多く、どうやってこの家庭内の分からず屋どもを懲罰してやろうかという内紛のネタにもなっていそうな感じで。

かくいう私も昔は家具の楽しみなんか全然わからない人間で、今住んでいる家は「ニトリ&イケア的」な家具で溢れているんですが、1年ほど前にたまたま妻と街を歩いていて、全く商業地でもない裏通りに突然超マニアックな家具屋さんを発見して休憩がてら入ってみたら「凄い面白い!」と思ったということがありました。

「家具ってこんなに楽しいのか」

的発見があったというか。時間かけて「ニトリ&イケア的な家」からリプレイスしていってやろうという野心が最近は燃えています。

別にこれは私がハイセンスで時代の最先端を行くイケてる男だからじゃなくて(それは否定しませんが)、やはり時代の変化とともに、10年前は「巨大家具屋にポカンとしてた男」だった自分も変わってきたんだなと思う部分があります。

地元の神戸にいるいわゆるマイルドヤンキーの友人も、10年ほど前に、話題はなんだったか忘れましたが

「それにそんだけ金払うとか俺考えられへんわ、だってエンジン付いてへんねんで!」

という名言を残したヤツなんですが、その後何年かしたらヴィンテージ風の超オシャレ部屋を作って純粋インドア人間になっていてその変化に驚愕したということがありました。

昔の男が車のスペックカタログに血道をあげていたような思いが、「ちょっと良い家具」の情熱へ変わっていく流れも確かにありそうです。たとえエンジンが付いてなくても生活が上質になる投資ってのはあるんだな!という感じ。

でも、大塚家具には「高い」というイメージはあっても、そういう「良い家具」を売っているイメージは全然ない、オシャレ感が全然ないというのは結構重大な問題であったように思います。

勝久会長の個人のイメージの問題もあるんでしょうが、この騒動がニュースになっていた頃、大塚家具にそういう「新しい価値観のオシャレな家具」イメージがあったか、っていうと全然なかったです。むしろ、「時代錯誤に大きい婚礼家具風のものが置いてある店」ぐらいの印象があった。

高級家具というのは、「実に権威主義的でオッサン臭くて押し付けがましいイメージ」と、「毎日の生活を大事にする舞台装置としてのイメージ」の両極端に振れてしまうところがあって、大塚家具の個人的イメージは明らかに前者でした。

でもね、実際に店に行ってみたら、全然そんなことないんですよ。むしろ、会員制によって守られてきた聖域の奥で、「上質ってこういう感じですよね」というような価値観が守られた売り場があって、よく教育された店員さんがいて、しかもあれだけの巨大さですから、見て回るだけで「啓蒙」される可能性がある。

「ケッ!おれは日本男児だよ・・・家具なんて使えりゃいいんだ。ニトリとか通販で適当に安いの買ってくりゃいいんだよ。なのに今日はカミさんにわざわざこんな店までついて来さされて・・・(トクン)・・・あれ?なんか俺、今楽しいかも・・・」

みたいになる可能性、十分あります。私がたまたま裏通りで入った小さな家具マニア店に"負けてない"空間で、しかも超巨大だから見ててほんと楽しい。

価格帯ごとに売り場が別れてますけど、やはり高いところのゾーンに行ったら「こりゃ凄い、なんかほんと凄いわ」って感じになります。「安い方のゾーンのもので十分」それどころか「ニトリで十分」と思ってたけど、「高い方のゾーン」に行ったら今まで気づいてなかった欲望が刺激されちゃう!ってことが十分ありえる。

「家具に高い金払うなんてアホ」というそもそもの価値観がだんだん揺さぶられてくるぐらいのパワーがある。

「めっちゃ高い家具で、重苦しい婚礼家具みたいなのを売っている会員制の店」のイメージだったら明らかに来店すらしない客が、「とりあえず繁華街に出た買い物ついでに入ってみて店内をフラフラ見て回ったら、今まで考えもしなかった楽しみに出会えてしまう店」みたいになる可能性は十分あります。

で、最高級品を見たら「すげーな、やっぱすげーな!」と思ったけど値札見て唖然として、でも「それに似てるダウングレード品(それでもニトリとかと比べると結構高い感じ)」をついつい買っちゃったぐらいのことは十分ありえる空間だと思います。

ある種のニヒリズムに繋がるような「底辺への競争」的デフレ世界を変えていくキッカケになる、そういう可能性を秘めていると言ってもいい。

3●新戦略の可能性が本当に解放されるには、「ナウシカ的繋がり」が必要。

ここまで、家具をめぐる時代の変化と大塚家具の新戦略が合致していく可能性について書いてきましたが、しかしこの「実現」というのは色々と「うまく回る」ことが必要です。

特に、「高齢層に特化したチラシを撒いて会員制で囲い込む」ようなハードなタイプの戦略から転換すると、「一対一対応にこうすればこうなる式」の経営ではうまく行かなくなります。

つまり、「理想像」と「本当の売り場」がちゃんと合致するように、日々色んなトライアンドエラーをしていくことが必要になる。意識高い系に言うと「PDCAサイクルを高速に回すこと」が、あるいは古風に言うと「カイゼンの積み上げ」が必要になってきます。

パワーポイントにすれば「同じ戦略」だけど、実際に実現した店舗は月とスッポンほど違うということがありうるというわけですね。

で、そこで重要なのが、冒頭に書いたナウシカ方式なんですよね。

関係無いようですが、最近、ミャンマーの経済発展が凄いという話があります。長年軍事独裁政権がガッチリ鎖国していた状態から突然開国したので、「独裁政権時代に保持された社会の安定感・密度感」を「オープンなシステムとの接続」が一気に開花させて発展するということがあるんですね。

で、(独裁政権というものへの政治的是非はともかくとして)この流れ全体を見た時に、「閉じた世界」と「開いた世界」の「どっちかが完全に善で、どっちかが悪」という風に見るのはよくありません。

「閉じた世界」が持っていた共同体の安定感があるから、「外資の導入」での経済発展にある程度まで政情不安にならずに耐えられる・・・というメカニズムがあるからです。

今、「閉じた世界」から「開いた世界」へ飛び込んだ大塚家具の店には、瞬間最大風速的に「閉じた世界が培った密度感を、広い世界にアピールすることの驚き」の価値があります。

「一見さんお断り」だった京都の老舗料亭がツアー客を受け容れることにした、というような状況なので、それをうまくアピールできれば大きな潮流を生み出すことすらできるでしょう。

でも、これがちょっと油断して上滑りをしていくと、「ニュースヴァリューがある間の客数」では結構な反応があっても、だんだん中身自体が「安かろう悪かろう」みたいになっていく可能性は十分あります。

今ですら、ニュース映像で「昔の方が良かった」と言っているオジサンも見ました。そりゃ誰でも入れるようになったら店内の雰囲気はガチャガチャしてきますし、油断すると結局高いけど中身はニトリやイケアと変わらんよね・・・というようなゾーンに落ちていく可能性がある。

特に、久美子社長のように「コンサル&ファンド的キャリア」の人間がトップにいると、よほど気をつけていないとだんだん「現場の体力」的なものを削っていってしまうことも多い。

結果として、ある一個の方針をトップダウンに推し進めることで一時的に最高益を更新したりしつつ、数年後そのボスがいなくなったらガタガタになっていたという、某巨大外食チェーンのような「現場の理屈疲れ」に陥る可能性もある。

特に今回のような「家具の楽しみ自体をわかってもらうような店作り」をするには、「頭」だけで全部やろうとしても実現しないんですよね。

経営戦略の方向性には、「9割の戦略的発想と1割の単純明快な実行」がハマるタイプのものと、「1割の戦略的発想と9割の現場的蓄積」が必要なものとあります。

今回の大塚家具が乗り越えなくてはいけない道は後者に近いです。

それには、久美子社長やその周囲にいる「ファンド&コンサル型」の人材と、勝久会長と一緒にズラリと並んで会見するような「現場レベルの人間」との間のコミュニケーションをいかに円滑にするかということが鍵になってきます。

私は「そういう問題」をなんとかすることに取り組んできた経営コンサルタントなので、こういう時に注意すべきことを3つあげさせていただきます。

1・「戦略」を考えて意図決定する時に現場の意見を聞きすぎないこと

2・久美子社長の周囲と「現場」との間に「青クサくて具体的でないフワッとした会話」をする時間を意識して多く取ること

3・「浸透させた大方針」に対応する「現場発の提案」を大げさなぐらい積極的に取り上げ、試し、効果があればヨコ展開しまくること

これに対してよくある失敗は、

1・「戦略」を考える段階で「現場」レベルの人の意見を聞きすぎて混乱し、よくわからない折衷案みたいなものになってしまうこと

2・「現場」レベルの人に妙に具体的な議論を吹っかけて対立が激化し、結果として久美子社長の周囲と現場レベルの社員との間のコミュニケーションが断絶してシラケムードになってしまうこと

3・外部の「うまく行ってる事例」のプロを連れてきて(そのこと自体は否定しませんが)、問答無用に現場のプライドを押しのけて細部までその連れてきたプロの言うとおりにさせること

です。

「ファンド・コンサル」的なキャリアの人間は、「具体的な解決策につながらない話」をするのがとても苦手です。「コンサルとして優秀になると奥さんの雑談をもロジカルに整理して嫌がられる」とかいう業界ジョークがあるぐらいなので、ましてや仕事の場で「青クサくてふわっとした具体性のない話」をするという文化がない。

でも、「現場レベル」の人間からすると「コミュニケーションはコミュニケーションすること自体が目的で、内容は二の次」ということがあります。

「方向性」は明確に示して欲しいが、あとは「接触時間」をちゃんと取っていればその具体化のための取り組みに魂はだんだん篭っていくわけですね。そしてその「話のついで」に出てくる現場からの提案についてはバンバン取り上げてやればいい。

多くの「現場的感性」の人間にとっては、戦略というのは「戦略の内容」があるんではなくて、「久美子さんが言っていること」という「感覚」だけがあるんですよ。

だから、パワポの資料を見ても反応はないが、「久美子社長の言ってること、なんとなくわかってきたわ」と思う人間が増えると、一個一個の打ち手への反応力が劇的に変わってきたりもする。

そこで出てきた提案が、ちゃんと「取り上げられてどんどん実行」されたら、現場にとってこんな面白いことはありません。お家騒動のしこりなんて笑い話として吹き飛ぶでしょう。「こっちの方が断然いいじゃん」という「ウソじゃない感覚」が満ちてくる。

ニュースヴァリューがあって客足が途絶えていない時期にそういうサイクルが回り始めたら、「会員制時代に培った蓄積」と「オープンなシステムとの接続」の両輪で、大塚家具は「化ける」可能性もあります。

そういう手順を意識して踏まないと、「戦略1割に現場的蓄積9割」で実現する「良い店」にはなりません。

その時に大事な気分が、何度も書いてきた「ナウシカ方式」なんですよね。

「反対してきた人たち」には「守りたいもの」があって、ただ「怖がっていた」だけなんだと理解して敬意を払うことができるかどうか。「敬意」が払われているのを感じれば、そりゃ時代に合致したオープンな流れの中で思う存分活躍したくない人なんていませんからね。

私のクライアントにも「同族企業の継承者」がいるんですが、「現場と理屈のバランス」を取りながら新しいビジョンを実現していく時に、実は「同族企業」であることは非常に有利であることが多いです。

「現場の強み」がある企業で出世する人間は「あまりに現場的」すぎることが多いので、「同族だから」という理由で「コンサル&ファンド気質」のインテリ人間が落下傘的にトップに座ると、うまく行けば「現場と理屈の最適ミックス」になりえる、本当の意味での「異質との結合」が可能となる組み合わせが実現する可能性があるからです。

そして、「外部から全然関係なかったファンド&コンサル型人材が入ってきた時」にありがちな、生え抜きの人間に一切スキを見せられないから過剰に理論武装して現場をなぎ倒してしまう・・・ようなことを、「同族の跡取り」はしなくて済むという最大の利点があります。

今までの日本では「同族会社」であるというだけで否定的に見る、ある意味で"サヨク的"論調も多かったですが、「上場企業としての適度なガバナンス」と、「同族企業ならではの強み」を両方発揮できる形が実現していけばいいですね。

4●日本社会は改革への分水嶺を超えられるか?

大塚家具という一企業の問題がこれだけ多くの人の興味をひいたのは、これが「多くの日本人の今」に共通する問題だからですよね。

日常的に「こういう対立」は無数に起きていて、自分は「久美子社長派」なのか「勝久会長派なのか」を問われ続けているところがある。

でも

大事なのは、「勝久会長的な価値観で守ってきたものを、久美子社長的な価値観の中でちゃんと育てていくこと」

ですよね?それができたら「改革派」と「抵抗勢力」みたいな話は必要なくなる。

小さな揺り戻しはあろうとも、今後日本社会は、「久美子社長側にリード権を渡していきつつ、勝久会長的な価値観で守られた価値を壊さずに伸ばしていく」チャレンジをしていくことになります。

こういうことは、10年前には、あるいはほんの5年前ですら難しかったことだと私は感じています。

なぜかというと、以前は「どっちの派閥ももっと意固地」だったからです。

「久美子社長側」にいるようなファンド&コンサル価値観の人間は、もうとにかくありとあらゆる「日本的」なものを「焼き払え!(巨神兵に命じるクシャナのセリフ)」的な感じで生きていました。

今は多少「良識的」になった経済評論家さんたちも、ほんの5年前まではもっと無理やりな市場原理主義の極論をいかに言えるか競争みたいな感じでしたし、コンサル業界の中身も、10年前は「いかに日本企業がグローバルベストプラクティスから遅れているか」的なことを言えば言うほど儲かるみたいな感じでした。

でも最近そういうのは「出羽守(欧米"では"こうなのに日本はそうなってないからダメだ、日本人はカスだという話ばかりする人)」とか揶揄されるぐらいには成熟してきています。

「アメリカがこういう点で優れているのはわかった。じゃあ日本の良さを失わずにその価値を取り入れるにはどうしたらいいか」という中立的でマットウな問いが共有されるようになってきている。

ちょっと直感に反するようですが、そういう「マットウな問い」が成熟してくると、「日本の抵抗勢力サン」たちに本当の意味で「退場していただく」ことが可能になるんですよね。

日本はアメリカみたいに「ほんの数%のトップがめちゃ活躍する環境を整えるためにスラム街はほんど絶望的なスラム街になってもいいという決断をする」ようなことはできない国なんですよね。

だから、「改革派」が無理筋な出羽守しかいないと、「バカ殿様」が大量にノサバる結果になったとしても「あらゆる改革に反対して何もしないためならなんでもする」世界になる必要があったとも言える。

でもね、バカ殿様(勝久会長がそうだと言いたいわけではなりのですが一般論として)のお守りをするのって、多くの日本人だってやりたくてやってるわけじゃないわけですからね。ちゃんと「自分たちの本当の良さ」が消えない形なら、バカ殿様よりクールな女社長にリードしてもらいたいとみんな思ってるんですよ。

記者会見に狩り出されて一列に並ばされたりするのは嫌だけど、コンサル&ファンド文化の奴らがあまりに現場のことわかってない状態だったらそうせざるを得ないから仕方なくやってる・・・的な人間が大勢なので。

あと何歩か前に進んで、「成功事例」がちゃんと出てくれば、ちゃんとグローバルなフルオープンのシステムに無矛盾に接続していきながら、自分たちのユニークネスを嘘くさい日本礼賛論や歴史修正主義でない形で提示していこうという流れがちゃんと立ち上がってくるでしょう。

そういう流れに、一歩ずつ動いていきたいですね。

そしてこういう時代の変化は、ここ数年の「アメリカ一極支配の退潮」の結果として生まれてきているんですよね。

数年前までの「アメリカが無敵だった時代」には決してできなかった改革が、「今」ならできる可能性がある。幸薄い対立を超える方向性を日本が持てる可能性がある。

そういう方向の、今回の記事をより広い見方から肉付けした話については、私の近著「アメリカの時代の終焉に生まれ変わる日本」をお読みいただければと思います。

倉本圭造

経済思想家・経営コンサルタント

・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/

・ツイッター→@keizokuramoto

次回は、この「経営」レベルの話を今度は「政治・経済」レベルの話に展開したいと思っていますが、例によっていつ書けるかわからないので、更新情報はツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

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