いくら技術のマネジメントが大事なったからと言って、この答えは明らかで、もちろん技術が先で経営が後。
ところが、最近の「人物重視」の大学入試改革のように、知識がおぼつかない学生に対しても、「課題解決力」を求める風潮が強まっていてどんなものかと思っています。
ということで、もう年末になりましたが、今年最後の日経テクノロジーのコラムです。
このように大学入試改革で人物重視に変えようとする方って、ご自身は勉強を頑張った学歴エリートで、自分も更に幅広い活動をしておけばよかった、と思っているのではないですかね。
それはある意味で正しくて、自分自身を考えても、若い時にもう少しマネジメントの勉強をしておけば良かったと思う。
ただし問題は、現在のAO入試を見ても「人物重視」になると、結果として「学力軽視」になってしまい、「学力+人物」にはならないこと。
そこが、大学改革をしようとする方々はご存じない。いわば、教育現場を知らない人が「改革」をしようとしているのではないか。
大学の入試の改革に関して、企業は「人物重視」で採用しているから大学入試も同様に、という趣旨のようですが。
企業の採用では、学力はどこの大学(高校)出身かで評価しているわけで、決して「学力」を見てないわけではないでしょう。
もし「人物重視」だけで企業が採用するのならば、大学名を一切見ないで採用するわけで。
結局、教育現場での感想としては、どこの大学でも学生の学力が下がっているのに、入試が人物重視に変わって、これ以上基礎的な学力を軽視してどうする、ということです。企業から15年ぶりに大学に戻った人間の、率直な感想です。
一方、世界で戦えている日本人、例えばアメリカで高い処遇を得ている日本人は技術系が多いでしょう。
入試改革で「人物重視」にしたい人は、アメリカ人のMBAのようにしたいのかもしれないけど、実際にMBAを体験してみても、日本人が頑張っても限界がある。日本人は自分の強みを自覚して大切にしないと。
自分の場合は、今の大学改革が目指すような「人物重視」の入試をかいくぐって、スタンフォードのMBAに入り、「輝かしい活動歴を誇るエリート」の中で揉まれたけど。
正直言って、価値観、宗教、社会、全て違うので、あれを真似ても、でき損ないができるだけ。逆に日本人の強さを生かそうと痛感しました。
スタンフォードのMBAの中で、アメリカ人の白人エリートのようになろうとするアジア系の人は痛々しく、かわいそうだった。
凄く頭が切れても、最後は人種の壁もあって。ひどい表現だけど、バナナとか言われて。世界の舞台で戦うほど、日本人は日本人の強みを生かすことの大切さを痛感するはずです。
今回の「人物重視」の大学改革が的外れだと思うのは、少々のことをやっても、絶対にアメリカのエリートのMBAみたいにはなれないと思う。
アメリカが良く見えるから日本にも導入しよう、という感覚で中途半端なことをやり、日本が元々持っていた学力の強みを捨ててどうする、と思うのです。
「人物重視」の大学入試改革に限りませんが、この手の役所主導の改革がうまくいかないと思う根本的な原因は、相変わらず、政策で画一的に決めようとしてること。
役所が決めて、右に習え、の時代遅れ感。
大学ごとに自由にやらせて、それぞれの意思でサバイバルするのが一番良い。その上で、自らの意思で「人物重視」の入試をやる大学があってもよいのではないでしょうか。
(2014年12月25日「Takeuchi Laboratory」より転載)