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2018年10月01日 16時20分 JST | 更新 2018年10月01日 16時20分 JST

時間と日付のない暮らし

そこには、果てしない自由の感覚がある。

原生林と川と湖と氷河に囲まれた南米チリのパタゴニア地方で暮らす私たちの日常のストーリーを綴っています。今回は、その25回目です。

「シンプル・ライフ・ダイアリー」11月10日の日記から

「ニャオ」

タビーの遠慮がちな声に起こされて、目が覚めた。ドアを開けてタビーを外に出すと、辺りはもう明るかった。時計を見ると、5時半。太陽はまだ、山の向こうに隠れていて、あたり一面、ほのかな藍色に染まっていた。

低く垂れ込めた霧が、川面の上を流れて行く。鳥たちの歌声が、湿った空気の中に響いていた。ほんの数日前まで、この時間、辺りは、まだ真っ暗だった。日が長くなっていくのが、目に見えてわかる。夏至は、もう、すぐそばまでやって来ているのだ。冷たい空気を一気に吸い込むと、もう一眠りしようと、ベッドに戻った。

再び、目覚めたときには、太陽が燦燦と輝いていた。サンルームへ行き、野菜の苗たちに水をやっていると、「ズズズ」と音がした。視界の隅に、小さな物体が垂直にホバリングしたのが見えたかと思うと、次の瞬間、それは飛び立ってしまった。

「ハチドリだ!」

微笑みながら、ひとりごちた。今季、最初の訪問者だ。ほんの一瞬、その姿を捉えただけだったけれど、「ハロー!戻って来たよ」と挨拶に来てくれたみたいで、嬉しかった。

Paul Coleman

「まだ、ハチドリ見てないねえ。いつも、今頃、シルエリヨの花が満開になる頃にやって来るのに」とポールと話していたのは、昨日のことだった。私たちの会話を聞いていたみたいに、今朝、ハチドリが現れたのだから、まるで、魔法のようだった。

ハチドリたちは、夏中、ずっとここにいて、ズズズズという羽音を立てながら、あちこち、忙しく飛び回り、花の蜜を吸う。夏の最後、4月にフーシャの赤い花が散ってしまうまで、彼らの可愛らしい姿を見ることができる。

パタゴニアに住んでから、カレンダーによってではなく、自然の移り変わりによって、月日を知るようになった。メリモヨ火山のちょうど真後ろに太陽が沈んでいくのを見て、「ああ、11月に入って一週間経ったんだ」と気づいたり、昨日は、太陽が火山よりずっと南側に沈んで行ったので、太陽の動きの早さにびっくりした。

Paul Coleman

日本に住んでいた時には、太陽の動きを気に留めることなど、ほとんど、なかった。でも、ここでは、太陽の動きに気づかずにはいられない。たとえば、夏には、太陽の軌道は、頭の真上を通り、一日が、とても長い。12月の夏至の日の夜明けは午前5時、日の入りは、午後10時で、午後11時までは明るく、懐中電灯なしで外を歩ける。

反対に、冬になると、太陽の軌道は、北側にある森の上を、ほとんど平行線に動いて行き、一日が、とても短い。6月の冬至には、朝の9時まで明るくならないし、夕方は、5時前に真っ暗になってしまう。ソーラーパネルを購入する前は、電気がなくて、ロウソクで暮らしていたので、冬の夜が果てしなく長く感じたものだ。きっと、古代の人々も、こうして、太陽や月の動きを見ながら暮らしていたのだろう。春分や秋分、夏至や冬至に、古代の人々が儀式をしていた理由がよく分かる。

私たちの生活も、季節や天気に合わせて営まれていく。天気が良ければ、外で仕事をするし、嵐が来れば、家の中で仕事をする。天気が変わりやすいので、前もって計画することもあまりなく、朝起きて、外の天気を見て決めるという具合だ。

今朝も、朝食後、ポールが尋ねた。

「今日は、何するの?」

「うーん、今日は天気が良いから、一日、畑仕事をしようかな」

私は、一輪車を押して、丘を下り、羊歯の葉を集めに行った。ポールが以前、森の中の小道を覆っていた羊歯の葉を刈り取ったものが、道沿いに積んであった。羊歯の葉を集め、一輪車を押して丘を上がり、畑にマルチをするために、羊歯の葉を分厚く敷いて行った。これを、数回繰り返すと、最後には、息が切れた。

腰を伸ばして、丘の上から見下ろすと、フェンスの向こうの草原では、赤ちゃん羊たちが、母親を探して、「ンギャー、ンギャー」と鳴いていた。子羊の鳴き声は、人間の赤ちゃんにそっくりで、初めて聞いた時には、森の中で赤ん坊が泣いているのかと思って、本気で心配したほどだった。

マルチを積み終えると、次は、笹の葉をカマで削ぎ落として、グリンピースの支柱にした。キティーは、私の後をついて回り、何をしているのかと、興味津々に眺めていた。グリンピースは、みるみるうちに大きくなって、蔓を伸ばし、まるで、「何か、掴める物をくれ!」と言っているかのようだった。

私が畑仕事をしている間、ポールは、家の周りの雑草を刈っていた。雑草も、マルチになるので、ちょうどいい。草を熊手で集め、野菜の畝に厚く敷いた。ポールは、地面ぎりぎりのところで草を刈るので、刈り終わった所は、まるで、毛皮を刈り取られた羊のように見えた。すぐそばでは、タビーが、ペパーミントのガーデンの上でゴロゴロと転がっていた。

「ポール、羊の毛を刈ってるみたいだね」

私が言うと、「今、ちょうど、同じことを考えていたところだった!」と、ポールが笑った。

タビーは、仰向けになったまま、土の上で眠ってしまった。

Dragon Tree An

夕焼けは、美しかった。火山の上にかかった雲は、オレンジとピンクに染まり、金色に縁取られていた。太陽が沈んでしまうと、急に気温が下がった。家に入って、ポールが蒔ストーブに火を付け、私は、トルティーヤを作った。グリーンサラダにリフライド・ビーンズ、サワークリーム、目玉焼きなど、トルティーヤにくるんで食べると、お腹が一杯になった。

夜、外に出ると、満天の星空だった。庭の真ん中に立って、きらめく星たちを眺め、池の周りで合唱する蛙の声に耳を傾けながら、ポールが、今日、言ったことを思い出していた。

「考えてみたら、僕らは、今日が何日か、とか、何曜日か、ということも、知らずに暮らしているよね。それって、すごく、いいことだと思うんだ」

本当にその通りだった。よく、二人で、「今日は何曜日?火曜日?」、「ええ?水曜日じゃないの?」などという会話をしていることがある。

目覚まし時計のない暮らしをするというのが、ずっと私の夢だった。学校や仕事に行くために、目覚まし時計の音で起きるというのが、まるで、拷問のように思えた。よほど、ストレスだったらしく、ほんの数年前まで、学校の試験に遅れる夢を見たり、大事なミーティングに送れて、冷や汗をかく夢を見たりしていた。

日付や時間は、ずっと、私の生活の一部だった。けれど、自然の中で暮らすようになってから、日付や時間は、社会の中にある一つの決まりごとのようなもので、人々が、合意するために必要な約束事のようなものなのだということに、気がついた。ここでは、日付と時間が必要なのは、他の誰かとの約束がある時だけで、それも、頻繁にあるわけではない。

今では、猫の静かなニャオという声に起こされるくらいで、時間も日付もなく暮らせるのだから、本当にありがたい。そこには、果てしない自由の感覚がある。

菊池木乃実オフィシャルウェブサイト

「Beautiful Life 世界の果てで暮らしてみたら」菊池木乃実著