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2018年05月02日 14時43分 JST | 更新 2018年05月02日 14時43分 JST

黒田総裁と日銀のこれまでの5年と今後

今後の黒田総裁のリーダーシップに期待したいと思います。

黒田日銀総裁が再任され最初の金融政策決定会合が4月26、27日に開かれました。日銀総裁の再任は57年ぶりのことだそうですが、正副総裁3名のうち再任されたのは総裁の黒田さんだけでした。その理由として考えられるのは黒田さんが行政官として極めて優秀な方だからでしょう。もちろん私は黒田さんを直接は知らないのですが、時々拝見した政策決定会合後の記者会見には黒田さんの人柄の良さが現れているように思えます。金融政策は合議によって決まるものですが、それを主導していく黒田総裁の柔軟さと大胆なリーダーシップをより高く評価しているので、私自身は黒田総裁再任には納得しています。

しかし、以下に書くようにこの5年間の日銀の金融政策については、私の評価は決して高いものではありません。日銀は世界に先駆けて政策金利をゼロまで下げなければならない状況(ゼロ金利下限)に陥り、それから長い間苦闘しています。そんな前例のない状況では、過去の金融政策を顧みるだけではどうにもなりません。今、金融政策に必要なのは行政官の手腕以上に経済理論からの知見であり、この意味では金融政策決定会合には平時以上に経済学者の知恵が必要な時だと考えています。

物価上昇目標と黒田総裁の下でのこれまでの5年間

黒田総裁が2013年に就任してからの日銀は、最初の金融政策決定会合で物価上昇2%目標(ただし、この導入時はまだ白川総裁)と量的緩和の組み合わせを主とする、異次元緩和と呼ばれる金融政策が打ち出され、量的緩和のためにマネタリーベースが操作目標とされました。以上で述べたゼロ金利下限に対して、この新しい金融政策手法は、物価上昇期待を起こすことで(予想)実質金利を下げること(リフレーション政策)にあったのは明らかです。(「日銀の総括的検証、何のため?・前篇」参照。)つまり、異次元緩和を始めた当初の日銀にとって、物価は実質金利を下げるための手段か少なくとも中間目標であり、この金融政策が波及していく起点だったはずです。だから物価上昇目標には、日銀独自に2年という期限を設定したのでしょう。でないと物価予想が定着して、企業が設備投資の計画の修正や決定には更に半年から一年はかかるので、政策が総需要や生産に波及するのに5年では足りなくなるかもしれません。

物価上昇2%目標は、政府と日銀の間で交わされた政策協定ですが、この日銀独自の目標が政府との間で共有されたものとは思いません。(「日銀の総括的検証はどう検証されたか?」参照。)一方、異次元緩和で物価が上がる理由は、そもそも経済理論的にはほとんど見当たりません。(「日銀の総括的検証、何のため?・後篇」参照。)デフレは貨幣的現象と言われますが、デフレ(物価)は貨幣価値に関する概念ですからそれはある意味当然です。しかし、だからマネタリーベースを増やせば直ちに物価が上がると主張するのは、あまりにも短絡的で論理に飛躍があります。

原油価格下落などで物価が下がる兆しが生じた2014年の10月には、マネタリーベースの増加ペースを年6070兆円から80兆円とすることを主な追加政策とする措置が打ち出されましたが焼石に水で、2年経っても物価は上がりませんでした。また2016年に入ると、為替レートが急激に円高に振れます。そこで導入されたのがマイナス金利政策ですが、それはたったマイナス0.1%だけでした。

結局物価目標の達成が先送りされ続け、2016年月に日銀はその検証を迫られます。日銀検証の資料には

日本銀行による「(マイナス金利付き)量的・質的金融緩和」は、主として、名目金利の低下と予想物価上昇率の上昇による実質金利の低下を通じて、わが国の経済・物価にマクロ的なインパクトを与えたと考えられる(補論p. 8

とあります。この日銀の検証では、マクロ経済モデルを用いて黒田総裁就任後の実質金利の低下が金融政策によるとして、それが需給ギャップを縮小させた効果(総需要増加率と思われる)を20131415年度でそれぞれ0.10.40.6%と推計しています。実質GDP成長が大きかったのは13年度ですが、それは金利低下の効果は直ぐには出ない一方、政府支出と消費税増税前の駆け込み需要が大きかったからでしょう。1415年度で少しの実質金利低下でもこれだけの効果生んだとすれば、やはり金利政策には効果があるということです。しかし、しかし、異次元緩和が実質金利の低下を早めたようには見えません。そして、これまでの実質金利の低下では十分ではありませんでした。

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平成29年度版「経済財政白書」第1章 緩やかな回復が続く日本経済の現状の第3節 財政金融政策の動向の1 長短金利操作付き量的・質的金融緩和と実体経済への波及 第1-3-4図 (p.74)より

日銀の検証は、実質金利以外に円安や株価上昇を、金融政策が波及した結果だとすれば、もっと政策効果があったことを報告しています。しかし、私は円安や株価上昇の全てが日銀の政策によるとするのは無理があると考えています。為替レートは日本だけでなくアメリカなどの外国金利の影響を受けますし、実際2012年の半ば頃から既に円安に転換しています。株式市場も地球規模で連動しつつあり、私達はアメリカなどの市場の変動を受け、翌日の東京市場が激しく連れ高、連れ安するのを何度も目の当たりにしてきました。にも拘らず株高の全てが日銀の政策やアベノミクスのお陰というのはやはり無理があり、為替レートや株式市場は日本の金融政策以外の多くの要因によることを認める必要があります。

結局、インフレ目標や大量のマネタリーベース供給による量的緩和には、単に期待されたようにインフレ期待を高める効果がなかったということでしょう。日銀は期待が適合的であり、それまでの長い間に物価が上がらなかったことが物価目標を達成できなかった要因としていますが、しかし日銀の検証でも当初は円安などを受けて期待インフレが起こったとしていますので、言っていることは矛盾しています。(「日銀の総括的検証から:日銀は期待に働きかけることはできたのか?」参照。)

また、消費税増税が物価上昇(増税分を除いたコア・インフレ)に悪影響したという人もいるようですが、そうであれば物価も貨幣的な変化だけでなく、実物的な変化を経て変動するということです。しかし、8%への消費税増税では物価は2%上昇したと考えられていますが、それが実質所得を低下させてコア・インフレ自体の上昇を妨げるなら、リフレで物価が年率2%上昇を暫く続けたとき、同じように実質所得を低下させることを、リフレのどのような効果で相殺するのか説明している人は見当たりません。

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日本銀行ホームページより、最近のコアインフレはリーマンショック直前と比べて上昇しているわけではない。

消費税増税の悪影響は、過大視され過ぎるきらいもあります。(「2014年の消費税増税はどのくらい景気に影響しているか?」参照)実際、日銀コアで見る限り消費税増税が(増税分を除いて)物価をそれほど大きく下げたようには見えません。また、一度限りの消費税増税に対して、マネタリーベースはその後も増え続けましたが、増税の影響を相殺したようには思えません。更に、消費税増税が物価上昇を妨げたのに、金融政策の効果で雇用が増加したという人もいますが、その根拠もよく分かりません。いくら雇用が改善したように見えても、金融政策が雇用に波及する理由がなければ、金融政策で雇用が改善したというのは無理があります。(「雇用指標改善の真相」「最近の雇用状況について -平成29年度版「経済財政白書」を参考に-」を参照して下さい。)

黒田総裁は増税したい財務省出身で、増税に肯定的だったから異次元緩和は上手くいかなかったと荒唐無稽のことを言う人までいます。そのような意見は、レジームチェンジやコミットメントについて言っているのだと思いますが、私には異次元緩和で期待が変わらなかったことをレジームが変わらないとか、コミットメントが毀損した、と言いがかりを付けているようにしか聞こえません。レジームやコミットは、中央銀行が望ましい行動から逸脱することを合理的に制約できる制度的仕組みであって、中央銀行に権限の無い増税に関することが、中央銀行の行動を制約するとは思わないからです。黒田さんは日銀総裁として、政府の経済財政諮問会議の委員になっており、政府が財政健全化を目指している以上それに肯定的な発言することは驚くようなことではありません。

新黒田日銀のこれからの課題

ゼロ金利下限に対して、異次元緩和でも物価は上がらず実質金利を下げることには失敗しました。私は日銀検証の結果、日銀はレフレーション政策、つまり物価上昇を政策波及の起点とすることを諦めたと感じています。(「日銀の総括的検証から:マネタリーベースは何処へ?」参照。)更に今回の金融政策決定会合の公表文章では、これまで言及されてきた物価上昇2%目標の達成見通しが削除されました。しかし、重要なことは量をいくら増やしても、実質金利を下げることに失敗したのであって、金利が下がったにも拘わらず金融政策の効果が出なかったとは違います。従って、効果がなかった量的緩和の縮小は、いわゆる金融緩和の出口に向かうことではありません。まだ金融緩和を進める余地は十分にあると考えられます。

日銀検証から打ち出されたのがイールド・カーブ・コントロールです(「日銀の総括的検証と金融緩和の新しい枠組み」参照。)つまり、白川さんが総裁の時に政策協定が締結された当時のように、日銀が物価目標の意味を景気回復の結果として物価が上昇するという最終的な目標に戻したということでしょう。また、マネタリーベース・コントロール以前の短期金利の操作に戻すだけでなく、長期国債金利も操作の対象に加えるというものですが、私は長期金利の変化を解釈するのが難しく、操作できたとしてもその適正水準を知るのは難しいと考えています。

この枠組みの中でも期待できる緩和策は短期金利をマイナスに深く誘導することです。このマイナス金利政策は世界の研究者や中央銀行関係者の間に次第に注目されている次世代の金融緩和策です。(「マイナス金利政策は何故次世代の金融緩和なのか」参照。)物価上昇目標2%への賛成は実質金利をマイナス2%にまで下げるべきという合意ととれます。そうであれば、消費税増税やら過去の金融政策の失敗が原因などと言って思考停止に陥り、目標達成を先送りするのではなく、名目金利をマイナス金利2%まで誘導すべきでしょう。一体、政策委員は、ゼロ金利下限に対してどのような政策効果が上げられたと考えているのでしょうか?異次元緩和開始当初、その前の政策決定会合で量的緩和の強化に反対した委員の多くが、その時は賛成に回りました。また、大手銀行がマイナス金利に反対するなか、銀行系出身の委員は銀行に忖度することのないようにすべきです。

私はマイナス金利についての日銀政策委員の方々のコメントから、マイナス金利導入は黒田さん自身のリーダーシップによるところが大きかったのではないかと想像しています。量的緩和は規模の大きさはともかく、2001年から06年の間導入された経験がありますが、日銀がそれまで決して試したことのないマイナス金利政策に踏み込むのには大変勇気が必要な決断だったでしょう。理想を言えば、少なくとも日銀の物価上昇目標の期限の2年で達成しないかった段階で、マイナス金利導入の可能性を日銀は言及すべきだったと考えます。マイナス金利が批判された背景の一つに、法律・会計などの諸制度、あるいはソフトウェアなどの実務的準備ができていないまま、いきなり導入されてしまったこともあります。とは言え、実際に導入されなければ、準備が進んだかどうか分かりませんので、取り敢えずたったマイナス0.1%の民間の金融取引にはほとんど波及していない段階で一年以上も経てば制度的な準備が整い、今後深堀りしても大きく混乱しないで済むかもしれません。

当初の期待に働きかける政策手法を失敗と判断し、直ぐに新しい政策手法を試す柔軟さと大胆さはむしろ称賛に値します。しかし、せっかくイールド・カーブ・コントロールを導入して、量から金利へと操作手法を戻したにも拘わらず、その後金融政策に動きはありません。その理由の一つは、潜在成長率が減速し総需要がそれに追いついてきたという判断があるのかもしれません。しかし、金融政策には金利の切り下げによって投資を誘発し、資本増強によって潜在成長率を増やす第二段階の効果もあります。(「金融の役割再び -平成29年度版「経済財政白書」を参考に-」参照。)それは人手不足を解消する効果もあるでしょう。

しかし、イールド・カーブ・コントロールが導入されても日銀の金融政策は現状維持を続けているだけで、新執行部体制となった今回の決定会合でもそれは変わりませんでした。アベノミクスの第一の矢として大胆な金融政策が掲げられていますが、最近の金融政策は大胆とは程遠い状況です。日銀自身は大規模な金融緩和の継続と言っていますが、実際に実質金利誘導の観点からは大した緩和にはなっていませんでした。このままでは、大きく円高になったり、内外での金融危機などがない限り、マイナス金利を深堀りしようとはしないかもしれません。そういう大きなショックは起こって欲しくはありませんが、それでマイナス金利政策の効果が認識されて金融政策手法の中心となれば、このまま現状維持を続けるより早く適正な成長経路に戻ることができるかもしれません。今後の黒田総裁のリーダーシップに期待したいと思います。