イギリスのTPP参加?ーーまずは「ソフトBrexit」実現が優先課題

TPPに対する英国の立場も必ずしも明確ではない

来年3月30日に迫った英国のEU離脱に向けて、同国の環太平洋パートナーシップ(TPP、厳密にはCPTPP、いわゆるTPP11)への参加をめぐる議論が注目を集めている。メイ首相以下、関係閣僚やその他英政府高官からもTPP参加への関心がたびたび表明されている。

これに対して日本では、英国のTPP参加を基本的に歓迎する声が多く聞かれる。今年10月に英Financial Times(FT)紙とのインタビューに応じた安倍晋三首相は、英国のTPP参加を「両腕を広げて」歓迎すると述べた。

英国のTPP参加は、EU離脱後の同国が内向きにならいことの象徴になるかもしれない。外に開かれた通商政策やアジアへの積極的な関与の継続は、日本が望むものでもあり、そうした方向を歓迎する外交的メッセージの発出は、日本の国益に合致するといえる。日英関係の強化にも資するだろう。

しかし、この問題はそれほど単純ではない。EU離脱後の英国がTPPに参加できるようになるか否か、すなわちEU離脱の形態自体が日本に大きな影響を及ぼすからである。

なお、EU離脱問題をめぐる英国政治の極度の不透明化により、ここでの議論の前提も今後大きく影響を受ける可能性がある。しかし、英国のEU離脱という基本線が変わらず、また、いわゆる「合意なしの離脱」でなく、EUと英国との間で何らかの離脱協定が締結されるとの前提にたつ限り、TPP参加問題をめぐる論点の構図は変化しないだろう。

両立しない英国のTPP参加と「ソフト離脱」

そこで最初に確認すべきは、英国がTPPに参加できるのは、EU離脱後の英国が包括的なFTA(自由貿易協定)を締結できるほどにEU関税同盟・単一市場から独立する場合のみだという事実である。これは通常「ハード離脱(ハードBrexit)」と呼ばれるものであり、EUとの可能な限りの緊密な関係の維持を目指す「ソフト離脱」と対置される立場である。

もっとも、英国内がEUからの離脱の形態について激しく分裂している状況を踏まえれば、日本のような第三国の政府が「ハード」や「ソフト」に直接言及することは得策ではない。そのため、冒頭で触れたFT紙とのインタビューでも安倍首相は、「いわゆる無秩序な離脱」を避けて欲しいとの言葉遣いにとどめている。

そこでの主眼は、英国に進出している日本企業が英国のEU離脱によって悪影響を受けないようにすることである。これが当面の最優先課題であり、安倍政権もこの点を強調し続けてきた。

EU離脱の悪影響を最小化するためには、EU離脱後、さらにいえば移行期間後も英国が可能な限り緊密にEUとの関係を維持することが不可欠となる。英国がEU単一市場および関税同盟に残留、ないしはそれに極めて近い状態、すなわちそれらに「ほとんど」参加しているような形態が、英国とEUとの間の障害のないモノの移動を確保するために必要である。製品の基準認証などに関しても同様であり、英国とEU市場との間の高い統合度合いの維持が期待されている。

これがいわゆる「ソフト離脱」である。英国にとってはEU市場へのアクセスが保証される一方で、自らの政策の自由度は制約される。単一市場の各種規則を受け入れることに加え、詳細は今後の交渉次第だが、EUの共通通商政策・関税同盟からも自由にはなれない。TPPのような包括的なFTAを独自に締結することは想定されないのである。

それに対して、EUとの統合度合いをより限定し、離脱後の英国の自由度を増すべきだとの考え方が「ハード離脱」である。EUの共通通商政策・関税同盟から明確に離脱すれば、TPPを含め、世界の国々と自由にFTAを締結できるようになる。他方で、EU市場へのアクセスには制限が加わり、英国経済や英国に進出している企業にとっての損失は大きくなる。

つまり、英国は「ハード離脱」になった場合のみ、TPPに参加することができるのだが、それは日本の利益とは異なる。英EU離脱交渉に関する日本の利益と、英国のTPP参加が可能になる状況は相反するのである。

一点付け加えれば、メイ政権による2018年7月の「チェッカーズ提案」や、同年11月のEUと英国との間の離脱協定に関する暫定合意が、「ソフト離脱」か「ハード離脱」のいずれかであるかは一概には判別できない。

意思決定以外において英国が事実上EU加盟国であり続けることを意味する2020年末までの移行期間の設定や、北アイルランド国境問題への対処として、EU関税同盟への英全土の暫定的な事実上の残留という、移行期間終了後に導入される可能性のある暫定措置(バックストップ)は、明確に「ソフト離脱」の側面を有するものの、それらの終了後は独立した通商政策の実施が謳われているからである。

TPPに対する英国の立場も必ずしも明確ではない

メイ政権は、独立した通商政策の遂行を、EU離脱後の新たなビジョンとしての「グローバル・ブリテン」の前提の一つに据えている。しかし、政治的スローガンとしてはともあれ、EU単一市場・関税同盟との統合度合いと、独立した通商政策が可能な範囲は完全にトレードオフの関係にある。この構造は変わりようにない。

このなかでの実際の選択は、EU離脱後の将来の関係構築に関する交渉をつうじて今後決定されることになる。今年11月に暫定的に合意された離脱協定では、まだ方向性が見えないのである。しかし、TPPに参加可能にするためには、EUとの統合度合いを大幅に引き下げる必要があり、それが一般に解釈される「ソフト」の範囲を超えることは明らかである。

そのため、TPP参加に関連して英国では、それを懸念する声が根強いのである。安倍首相の「英国のTPP参加を歓迎する」との発言を大きく報じたFT紙は社説で、EUとの関係縮小の損出を補う観点でTPPは、何もないよりはよい程度の「ささやかな慰め」に過ぎないと指摘している。加えて、事業者にとっては英国のTPP参加後もEU市場の方が重要であり続けることから、TPPは無視される結果になるかもしれないとも述べている。

いずれにしても見落とされてはならないのは、英国にとっても、経済効果という観点ではEU関税同盟・単一市場との可能な限りの緊密な関係を維持することが重要だということである。

こうした背景があるからこそ、今年7月の「チェッカーズ合意」(白書)は、TPPへの参加について「潜在的に追求する(potentially seek)」と述べているのみであり、今年11月12日のメイ首相による演説もこれに沿ったもので、TPP参加の「機会に潜在的に喜んで応じる(potentially embracing the opportunity)」と表明している。いずれも、TPPへの参加意思を示すには何とも迫力に欠けるといわざるをえない。

これらは当然のことながら考え抜かれたぎりぎりの表現であろう。英国としても、EU単一市場との緊密な関係を維持する方が経済的利益になることが痛いほど分かっているが故に、TPP参加に突き進めないのである。このことは、繰り返し使われる「潜在的に」という言葉に凝縮されているといってもよい。

またメイ政権は、独立した通商政策の実現を、EU離脱におけるポジティブな側面として強調しているが、何をもって独立した通商政策というかの定義を示したことはない。単に国内で合意がないだけともいえるが、自らの首を締めないための意図的な曖昧戦術という部分もあるだろう。

イギリス内政上の対立に利用されるリスク

英国のTPP参加問題を議論する際のさらなる注意点は、EU離脱の形態に関して極めて深刻な対立が生じている英国内政の現状である。英国内の分裂状況が深刻である結果、英国のTPP参加問題に関する日本からのメッセージは、発言者の意図に関係なく、英国国内の文脈で使われる、さらには誤用・悪用される懸念が高いのである。

先に触れた安倍首相のインタビューも、全体のなかでのTPP問題への言及はごくわずかだったが、「英国は両腕を広げてTPPに歓迎される、と安倍首相」との見出しが踊った。英国のTPP参加を歓迎するとのメッセージは、意図に反して、英国内の「ハード離脱」、さらには離脱交渉決裂も辞さずという「合意なしの離脱」派をも勢いづかせる効果を有してしまいかねないのである。

EU離脱交渉が大詰めを迎えるなかで、英国の国内状況は騒然としており、あらゆる発言や材料が、国内対立の文脈で、メイ政権の方針への批判や党内の駆け引きの材料として使われかねない状況にある。11月14日に英・EU間の離脱協定の暫定的合意が発表されたことは大きな前進と受け止められたものの、閣僚の相次ぐ辞任など、メイ政権の存続自体が危ぶまれる状況になっている。そうした状況では、どのようなメッセージを発したとしても、意図に反した伝わり方を防ぐことは事実上不可能であろう。

もちろん、TPP参加問題は、あくまでも移行期間や、北アイルランド国境問題に付随する関税同盟に関する暫定措置(バックストップ)が終了した後の話だということも、議論の整理としては正しい。しかし移行期間や暫定措置の終了後に関しても、英国がモノに関する関税を含め、広範なFTAを独自に締結できるようになる状況は、英国に進出している日本企業にとっては避けて欲しいシナリオである。

「ハード離脱」後の損害限定策としてのTPP参加

冒頭で触れたように、英国の将来的なTPP参加は、EU離脱後の英国の外向きな姿勢の維持や、アジア太平洋地域への関与の象徴として、日本として歓迎すべき要素もある。「グローバル・ブリテン」への期待もあるだろう。加えて、TPPという視点で考えれば、貿易大国である英国の参加がプラスであることも当然である。TPPの参加国拡大は、米国へのメッセージにもなるかもしれない。実際、今年12月にも見込まれる協定発効後には、新規参加国の受け入れについての議論が始まることになるだろう。

しかし英国は、繰り返しになるが、日本などが利益を見出せない「ハード離脱」にならない限りTPPに参加できない。これが現実である。そのため、日本にとっては、TPP参加を促すよりも、まずは「ソフト離脱」を目標に、EU単一市場・関税同盟と可能な限り緊密な関係を維持することを期待し続けることが、現時点の最優先課題になる。

加えて上述のとおり、英国自身が、他の考慮との関係でTPPへの参加にまだ逡巡しているのが現実である。そうであれば、この段階で日本が英国のTPP参加を促すことが、ほとんどありえない選択肢であることも自明である。

そのため英国のTPP参加は、日本にとっても英国にとっても、移行期間後を含めた「ソフト離脱」が実現しなかった後にアジェンダにのぼる損害限定策の一つという位置付けになる。

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