itatemura

放射能で不安な住民の気持ちに寄り添うことと、科学的判断とはどう両立するのだろうか。そして、政治家として「まちを守る」こととは?退任した飯舘村の菅野典雄元村長に聞いた。
東京電力福島第1原子力発電所事故の避難指示解除から、まもなく7年半の福島県相馬郡飯舘村の比曽地区に、鮮やかな高原の花々がよみがえった。
  菅野義人さん(65)を再訪したのは昨2017年12月10日。仙台から常磐自動車道を南下し、相馬市経由で国道115号を走った。よく晴れた冬の朝だったが、峠を越えた飯舘村にはうっすらとした雪景色があり、標高の高い比曽に通じる山あいの道は真っ
政府による6年ぶりの避難指示解除を記念する「おかえりなさい式典」が催されたのだ。
「今まで支援してくれた人たちに出させてもらった」
標高400~600メートルの福島県飯舘村はいま、田んぼの土が凍り付く厳寒の中だ。村の中心部に近い松塚地区の雪原になった水田に、電線を張った牧柵に囲まれた一角がある。
「遠慮したり、『無駄だ』などと思わずに、すぐに相談してください」(飯舘村教育委員会)
古居監督は、「放射能で生活をうばわれた人たちとパレスチナの人たちがどこかで重なった」と話します。