内部の論理と遵法精神:研究員の眼

洋の東西を問わず企業不祥事は起こるものである。

昨年一年を振り返って印象に残るのは、稼ぐ力を取り戻す「攻め」のコーポレートガバナンスが唱えられる最中にあって、「守り」のガバナンスに関わる残念な事案がいくつも発生したことである。事案に関する調査報告書等を見ると、ある共通する発生理由を見出すことができる。

それは、不正に関与した役職員は自らの私利私欲ではなく、会社や組織を守るという意識で不正行為を正当化していたとされる点である。現場の会社や組織に対する忠誠心も、外部から見れば、社会一般では通用しない会社内部の論理に過ぎず、実際に不適正行為が発覚すれば企業へ与える悪影響は計り知れない。

日本伝統の価値基準では本来、正邪や善悪を行動の基準にせず、共同体の中での「義理」「人情」といった価値観を大事にしてきたという指摘もある。日本企業に、善悪より会社内部の論理が勝ってしまう性向があるならば、歴史や規模に関係なく、いずれの会社においても同様の事象が起きる可能性が内在しているといえる。

洋の東西を問わず企業不祥事は起こるものである。コーポレートガバナンスを含めた企業内の仕組みを、性善説にとどまらず性悪説にも耐えられるよう構築しておくという視点が大切ではないだろうか。真性に性善説的な組織や個人は、そもそも性悪説的仕組みに抵触しないはずだ。

さて、コーポレートガバナンス・コードは、経営者は放っておくと自己の効用を最大化すると考える欧米の経営者性悪説が背景にある。経営者は、株主や取締役会の監督に服する建付けである。当然ながらこの建付けは日本の経営者には評判が良くない。

しかし、性悪説的に厳しい仕組みを構築していれば、結果的にコンプライアンス事象によって損害を被ったとしても、仕組みを構築する責任の観点では意思決定の合理性を担保し、結果的に経営者自身を守ることにもつながるだろう。

例えば、不適正事象の社外取締役への直接レポーティングの仕組みは、不適正事象の重大化を未然に防ぐ牽制の仕組みとして、事象発生時に逸早く組織の自浄作用を発動させる契機ともなりうるのではないか。

ただ、仕組みは仕組みとして性悪説を前提に構築しながらも、真に有効な手立ては、組織全体に遵法精神を涵養する以外にはないことは言うまでもない。これも「形式」から「実質」ということになる。この点について、コード(以下、コード)は、次のように言及する。

【原則2-2.会社の行動準則の策定・実践】 

上場会社は、(中略)健全な事業活動倫理などについて、(中略)その構成員が従うべき行動準則を定め、実践すべきである。取締役会は、行動準則の策定・改訂に責務を負い、これが国内外の事業活動の第一線にまで広く浸透し、遵守されるようにすべきである。

補充原則2-2① 取締役会は行動準則が広く実践されているか否かについて、適宜または適切にレビューを行うべきである。その際には、実質的に行動準則の趣旨・精神を尊重する企業文化・風土が存在するか否かに重点を置くべきであり、形式的な遵守確認に終始すべきではない。

裏を返して言えば、行動準則を組織・個人に実装させることはたやすくなく、取締役会が経営マターとして本気性を示して取組まなければ、形式に流れてしまうということだろう。

しかし、行動準則の定着、ひいては遵法精神の涵養に対する不作為が不適正事象まで惹起すれば、今や「ワンストライク・アウト」で市場からの退出を迫られる。

昨今の不適正事象が、日本的組織が持つ危うい性向も含めて示した教訓は貴重であり、これらを他山の石として実質的な遵法精神の徹底が望まれる。

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(2017年12月29日「研究員の眼」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

金融研究部 主任研究員

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