魂の宿る森の劇場-農村舞台と風力発電:研究員の眼

人里離れた中山間地での公演にも関わらず、200人程の観客が集まった。

大型連休の5月3日、徳島県神山町の農村舞台「小野さくら野舞台」で現代アートと浄瑠璃人形、音楽を融合させた公演が行われた。タイトルは「魂の宿るところ」。

農村舞台は、五穀豊穣を願い、豊作を祝うため神社の境内の一角に建立され、農民自身の手によって歌舞伎や浄瑠璃が奉納された野外劇場である。

江戸から明治にかけて全国各地に約2,000棟が存在したという。今ではその大半が失われてしまったが、長野、岐阜、愛知、兵庫、徳島にはかなりの数が残されている(*1)。

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全国的にはほとんどが歌舞伎舞台であるのに対し、徳島では現存する100棟近くのほとんどが人形浄瑠璃の舞台であるのが特徴だ。

しかしいずれも傷みがひどく、実際に活用されている農村舞台は多くない。2006年に開催された国民文化祭で、数棟が改修・整備された。神山町、天王神社境内の「小野さくら野舞台」もその一つで、今では人形浄瑠璃の公演が定期的に行われている。

「魂の宿るところ」は、従来の人形浄瑠璃ではなく新しく創作された作品だ。文楽座に長年在籍し、現在はフリーの立場で文楽人形の新しい可能性を求めて活動する勘録さんと木偶舎の人形、地域の環境問題とも向き合いながら阿波和紙で作品を創り、徳島を活動の拠点としてきた楡木令子さんの舞台美術や流木のオブジェ、そしてタイを中心にユーラシア大陸で音楽活動を展開し、独特の世界を作り上げるKEIJUさんの音楽。

さらには朗読やヴォイスパフォーマンスも加わり、まさしく鎮守の森の劇場で神秘的な世界が描き出された。

人口5,600人の神山町は、地域創生で大きな成果をあげ、今ではつとに有名な町となっている。1999年に始まった神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)をきっかけに、改修した古民家へのIT企業のサテライト・オフィスの進出、若年世帯の移住や起業、「地産地食」による農業の活性化なども進んでいる。

その特徴は、観光や大型イベントに力を入れて交流人口を増やし、地域経済の活性化を図る、ということではなく、現代美術のアーティストやIT技術者など、クリエイティブな人材を国内外から招き入れ、新たな価値やビジネスを生み出し、それを町の活力につなげていくというものだ。

人里離れた中山間地での公演にも関わらず、200人程の観客が集まった。KAIRに滞在中のアーティストだろうか、外国人の姿も混じっている。

夕闇に覆われた森の劇場でKEIJUさんの音楽に包まれ、人形の動きに目をこらしていると、自然の豊かさとそこに漂う神秘的な空気感が、この町にクリエイティブな人材を惹きつけているのではないか、と思えてくる。

勘録さんの語りで、そんな神山町が風力発電の候補地になっていることを知った。自然保護か開発か。その答えを出すのは容易ではない。ましてやクリーンエネルギーを生み出す風力発電は、大局的には環境保護に寄与するだけになおさらだ。

徳島県の資料によれば候補地の山林面積は約5,000㎡。発電機器が設置されればその山林が切り倒される。かといって、その開発で地元に雇用や産業が生まれる訳ではないだろう。何より巨大な風車の出現が、現在の神山ならではの価値を損ねるのではないか、と不安になる。

そう言えば、行楽地に行く途中、使われなくなった農地に、突如、広大な太陽光パネルが現れて驚くことがある。筆者はエネルギー問題の専門ではないので、このことを深く語る資格はないが、クリーンエネルギーも諸手を挙げて歓迎できる訳ではないということを今回の舞台は教えてくれた。

ともあれ、農村舞台とその活動は守るべき文化資源であることは間違いない。そのことに取り組んでいるのが、NPO法人阿波農村舞台の会である。「魂の宿るところ」も、同会とKAIR実行委員会の尽力によって実現した。

同会の中心メンバーの一人で今回の事業を企画した佐藤さんの挨拶が心に響く。農村舞台という素晴らしい文化資源を何とか保存・活用できないか、と10年ほど前に細々とはじめた活動が徐々に広がり、今回の舞台作品に結びついたというのだ。

作品を見ながら、自然と文明、都市と農村、過疎と高齢化など、様々なことが頭をよぎる。が、それ以上に、かけがえのない文化を残し、後生に伝えたいと願う人々の魂が宿る舞台だった。

(*1) 特定非営利活動法人阿波農村舞台の会、阿波人形浄瑠璃と農村舞台、2007年11月30日

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(2018年5月11日「研究員の眼」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

社会研究部 研究理事

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