赤瀬川原平さんが亡くなった。77歳だったそうだ。そうなのか、もう77歳になられていたのか。訃報を聞いて最初に思ったのは、そんなことだった。
赤瀬川原平さんは考えてみると、存在そのものがサブカルチャーだったと言えるような人だった。カウンターカルチャー性もしっかり帯びていた。というより、おそらくご本人はサブでもカウンターでもないつもりなのに、おのずからサブになりカウンターになってしまう。そういう活動をしていたと思う。
宮沢師のラジカルにハマった少し前の頃、赤瀬川原平さんにもハマった。『超芸術トマソン』これには影響を受けた。衝撃を受けたと言った方が正確かもしれない。
その死を悼んでいると、某出版社の友人がソーシャルメディア上でこんなことを書いていた。
赤瀬川さんは最高の「先生」だ。
過去形じゃないぞ。現在形だ。これからも。
誰もが赤瀬川さんの「生徒」になれる。
そんな「生徒」たちから過去もいまもこれからも
すごいひと、すごいコンテンツ、たのしい見立てがどんどん生まれる。
実際、すでに生まれた、とっても素敵に楽しいことが、
日本のいろんなところにいっぱいある。
赤瀬川さんを知らないひとも、赤瀬川さんの生徒なんだ。
いやまったくその通りだ。赤瀬川さんの本質を言い当てている。不思議と、先生なのだ。80年代の一時期、ぼくはまちがいなく赤瀬川さんの生徒だった。会ったことは結局なかったけど、日々教わっていた。たぶん、それぞれの時代に、それぞれの活動を通して、それぞれの生徒たちに赤瀬川さんは何かを教えていたのだと思う。
ぼくが教わった授業は(つまり本などを通して学んだという意味だが)『超芸術トマソン』だ。その説明は難しい。Wikipediaのトマソンの説明ページはよくできている。パパッと知りたい方は読んでみるといいと思う。→Wikipedia「トマソン」解説ページ
頑張ってぼくなりに説明すると、街のなかに誰か意図したわけでもないのに目的不明の不可思議な状態で残されている建築物や造形など。・・・うん、まったくわからないよね、これでは。
トマソンの原点は四谷階段だ。建物の壁に数段の階段がついている。左右どちらからでも昇り降りができるようについている。ところが、昇りきったところにドアがない。何もない。ただ壁がある。ということは、階段をたんたんたんと数段昇っても、何の意味もないのだ。ドアはなく、建物に入れないから反対側へ降りるしかない。・・・いったいこの階段は何のためにあるんだ!・・・こういうのをトマソンという。赤瀬川さんが名づけたのだ。
なぜトマソンか。赤瀬川さんは巨人ファンだ。その当時、巨人に在籍した外国人選手でゲーリー・トマソンという選手がいたそうだ。鳴り物入りで来日した元大リーガー。なのに、三振の山を築いた。存在意義がない。無用の長物。でも元大リーガーなので存在感は発揮している。
先の無意味な階段は、トマソン選手を想起させる。赤瀬川さんにとってはそうだった。そこで、トマソン。無用の長物とおぼしき意味のない建築造形をそう呼ぶことになったのだ。トマソンなどとふざけた名前を付けておいて、赤瀬川さんは本気で、本格的に研究をしてしまう。冗談なのか真面目なのか、わからなくなる。
赤瀬川先生と、読者達の間でトマソン探しがはじまった。その集大成が『超芸術トマソン』と題した書籍にまとめられた。ぼくが出会ったのはその書籍としてまとまった時だった。衝撃を受けた。一連のトマソンは表現物ではないのだ。誰かが意図して制作したわけではない。当然、四谷階段だって元はドアがついていたのだろう。何らかの理由でドアがなくなり、なぜか階段は撤去されなかったのでそれだけが不思議な形で残った。
その経緯はわからないので、突然、意味のない階段だけを提示される。その衝撃。いや、そんな不思議が日常の中に何の変哲もないたたずまいで潜んでおり、それを発見する視点が衝撃だったのだ。そんな物の見方があるとは。世界が違って見える。トマソンを提示されると、世界をトマソン探しの視点で見てしまう。すると、意外に自分の身近にもあったりする。言われるまで気づかなかったのに、トマソンの名称とその定義を与えられると世界が違って見えるのだ。なんてことだろう。自分はこれまで、世界をなんと凡庸に見てしまっていたのか。
明らかにぼくは、赤瀬川先生に「自由な視点」を教わったのだ。自由な物の見方とは何なのか、例えばどういうことなのかを知ることができた。
赤瀬川さんの授業はもう一つ受けた。『外骨という人がいた』宮武外骨という明治大正期のジャーナリスト、雑誌発行人だ。この人がまたスーパーすごい人なのだが、どんな人かは知りたければ調べてもらえばいいと思う。
さらに赤瀬川さんからは重要な影響を受けた。文章の書き方だ。赤瀬川さんは尾辻克彦のペンネームで小説も書いていて芥川賞をとっている。でもぼくが影響を受けたのは赤瀬川原平の文体だ。
話すように書く。あるいは文字を使って話している。
あたかも目の前に聞き手がいて、その人に話しかけるように。聞き手が何か反応して、その反応に対してさらに文章を続けるように。はっきりと誰かに対して書いているのだ。だから読みやすい。読みやすいし面白いのでどんどん読み進む。
その書き方からも自由について教わった。のびのび、思ったように書く、しゃべるように書く、文字で書く文章としての体裁を整えようとはせず、思ったことをそのまま、どんどん書く。間違ったことを書いても、文章の中で、あ、いま書いたこと間違ってましたすみません。と文章の中で謝ってしまいまた書き進める。
ああ、文章を書くってなんて自由で楽しいんだ。そう書いてはいなかったけど、そういうメッセージが読み取れる気がした。
面白いので真似をした。真似をしていたらおそらく、ぼくの文章の血となり肉となったのだと思う。だからぼくの文章の中には少しだけ、赤瀬川原平が存在しているのだ。ぼくはその後、言葉を書き連ねる仕事につき、いまもこうして他人様に読んでもらう文章を書いている。そこに、赤瀬川さんのDNAがあるはずだ。電子顕微鏡か何かでぼくの文章を見るとどこかに、赤瀬川さんの遺伝子が埋め込まれているにちがいない。
会ったこともないのに、授業を受けてたくさんのことを教わった赤瀬川さん。血はつながってもいないのに、何か大事な物を受け継がせてもらった赤瀬川さん。ありがとうございました。お疲れさまでした。
ご冥福を、お祈りします。
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コピーライター/メディアコンサルタント
境 治
sakaiosamu62@gmail.com