嵐やAKB48のサインを家族で偽造してヤフオクなどで販売したとして、「一家」三人が詐欺の疑いで逮捕されるという事件があり、妙に興味をひかれたので、これについて少し。
1 事案
『スポニチ』の「嵐、AKBのサイン偽造..."家族"でコツコツ製作し販売」によると、「2012年6月ごろから、インターネット上で見た実物のサインの筆跡をまねた色紙など約3300点を販売し約400万円を売り上げていたとみられ」るという事案です。
なお、"家族"となっているのは、妻と元夫と長女の3人で行っていたためで、妻と元夫は離婚してからも同居をしていました。
「偽物の出来が精巧だったのか、購入者はいずれも本物と信じていたようで、販売実績が多いにもかかわらず被害届などは出ていなかった」ものの、「千葉県警のサイバー犯罪課が、ネット上の不審な取引などを監視するサイバーパトロールで、同じ人間が多数のサインを出品していることを確認し、発覚した」ものです。
捜査担当者が「被害者から提出を受け、所属事務所やタレントに本人のものか確認をしたところ、その後"本人が触ったのなら偽物でも返してほしい"という被害者もいた」そうです。
2 判断
今回のこの事件を見て本当に思ったのが、「本物」とは何かという点です。テレビでは「開運!何でも鑑定団」等の番組が報道され、鑑定額が表示され、はっきり偽物か本物か判断されておりますが、果たしてそこまで単純に分け切れるのかというのが今日の趣旨です。
これにはいろいろな意味があり、単純に偽物の出来の良さ、悪さという意味もあります。つまり簡単に偽物と看過されるようなものもあれば、専門家ですら判断に迷うものがあるのが現実です。
3 永仁の壺事件
実際、これまで何度か偽物を本物と鑑定して話題となった事件はあります。日本の例でいえば何と言っても永仁の壺事件でしょう(村松友視『永仁の壺』などがお勧めです)。
これは、「永仁二年」の銘が刻まれた壺(正確には瓶子)が1959年に見つかり、これが、鎌倉時代の古瀬戸の傑作であるとして、小山富士夫文部技官・文化財専門審議会委員の強力な後押しで、重要文化財に指定されました。
ところが、この瓶子は陶芸家加藤唐九郎による贋作ということが判明し(一説には加藤の長男による贋作という話もあり詳細は不明)、結局2年後に重要文化財の指定を解除されてしまいました。
結果、この重文指定を推薦した小山技官が引責辞任し、人間国宝に指定されていた加藤の人間国宝の認定が取り消しとなる等、一大スキャンダルとなりました。
小山技官はその後、一切、これに関して意見を述べていないので、彼の心中はわかりませんが、重要文化財に指定される程の作品(偽物)を造れるとして、加藤唐九郎の評判は逆に高まったという話もあるので、何とも言えません。
4 権威
何が言いたいかというと、これほどの専門家でも判断を誤ることがある以上、一般の人がどれだけ真贋を区別できるかという話です。
それに、これが重要文化財に指定された時は、その「重要文化財」ということ(権威)をして、ありがたがって見ていた方もいるわけです。
当該壺は指定以前から、その形のまま何1つ変わっていないわけで、指定から外れようが指定されたままであろうが、「壺」に言わせれば何一つ変化はありません。ただ、偽物となれば、どうしても人はそういう目で見るだけだという話です。
5 真贋
斯様に判断の区別に迷う程のものもあれば、ある骨董を見た時、どうしてもそれを判断する方の主観が入ってくるので、単純に偽物・本物と区別できるのかという話もあれば、持ち主がそれを、どう思っているのかという話も出てきます。
これは本当に難しい話ですが、こうしたことについては、小林秀雄が自分の経験も踏まえながら『真贋』というエッセイで大変興味深い論を展開しております。如何にも小林らしい言い回しで、私の最も好きなエッセイの1つです。
実際、今回の事件でも偽物とわかっていても、アイドルが触ったものなら、それだけで本物同様と考えるファンもいたということなので、最後は持ち主の気持ちという面は否定できません。
「知らぬが仏」ではありませんが、本人がそれで満足していれば良いのではないかというのはそのとおりで、有る意味、何も無理をして白黒つける必要もないのではないかとも思っています。
こうした発想は、私がこれまで散々主張してきたこの世に「真実」などは存在せず、あるのは「真実らしさ」だけだという発想とかなり相通じるものです(領土問題における「真実」らしさの重要性、このブログは「公平」「中立」を重んじている?)。
6 最後に
実際、すぐ売れる様なものならともかく、あまり高すぎるものは売れないわけですし、本物だからと言って、すぐ売ろうと思う方がどれだけいるかという話です。
それにあまりに高額のものとなると、相続の問題も出てくるので、本物だったから必ずしも良いことばかりでないというのも本当のところかと思っています。
念のため補足しておきますが、私は贋作作りを擁護するつもりは毛頭ありません。特にパクリ大国と呼ばれる中国だと、粗悪品のひどさばかりが目に付きますし(飛行機の毛布の使い回し)、模倣という他人のふんどしで勝負をするのはどう考えても卑怯だと考えます(中国での「クレヨンしんちゃん」関連グッズ販売を巡る争い)。
(この記事は、2013年11月8日の「政治学に関係するものらしきもの」から転載しました)