おびただしいオートバイが信号のない大通りを埋め尽くす。夜になっても気温は下がらず、半袖一枚で出歩くことができた。
ベトナム、ホーチミン・シティ。午後7時。
約束の場所は、観光客にも人気のレストランだった。店の外壁や、店内に活けられた花など、いたるところに黄色が使われている。この国では吉兆を示す色だ。
「仕事を作ることを仕事にしています」と彼は言った。「ホーチミンの事務所は、私と現地採用のスタッフの2人で運営しています。初めての部下がベトナム人になるとは思っていませんでした」
郷土料理の数々を私に勧めながら、川村泰裕さんは爽やかに笑った。1984年生まれの29歳。現在は人材育成系コンサルティング会社の駐在員を務めている。しかし4年前にベトナムの地を踏んだとき、彼は「カネ無し・コネ無し・経験無し」の状態だった。
「昔からベトナムに興味があったんですか?」
私が訊くと、川村さんは首を横に振った。
「学生時代は『ベトナム? どこそれ?』状態でした。当時は中国に興味があったんです」
彼が就職活動をしていたのはゼロ年代の半ば、リーマンショックの前だ。当時はBRICsの台頭が叫ばれており、北京オリンピックをひかえた中国は飛ぶ鳥を落とす勢いで経済成長していた。
日本では就職氷河期がようやく雪解けのきざしを見せていた。団塊世代の退職にともない人材の需要が高まり、2010年ごろには雇用情勢が回復するだろうと囁かれていた。
当時の川村さんは「技術があって営業が少ない中小メーカー」を中心に就職活動を行っていたという。もとから大企業指向ではなかったようだ。高い技術を持っているメーカーは、営業担当者が少なくても仕事が取れる。そういう企業のなかでも、とくに海外展開を視野に入れているところを選んで採用面接を受けていた。
2008年4月、川村さんは社員数200人規模の産業用機械メーカーに就職した。
ところが同年の秋にリーマンショックが起きる。
ニューヨークを震源地とした金融危機は、世界を不況のどん底に突き落とした。テレビには連日のように職を求めて列を作る人々の姿が映し出された。日本でもリストラの嵐が吹き荒れた。
「200人いた社員が、50人ぐらいまで減りました」
そして川村さんも、嵐から逃れられなかった。
失業した直後、川村さんは「世間からの疎外感を覚えた」という。
失業は、ただ収入の手段を失うだけではない。世の中とつながる方法を失うことだ。自分は世の中に必要ない人間なのではないか──。そんな気持ちになっても無理はないだろう。
そんな時、ベトナム行きの話があった。
日本語学習者の多いフエで、2ヶ月間だけボランティアで働かないか。現地の大学生に日本語を教えてほしい。そう誘われた川村さんは2010年4月にベトナム入りする。
「何もできない自分に愕然としました」
言葉も分からなければ、気候も食べ物も違う。ベトナムの大学生たちは勉強熱心で、意思疎通には困らないほど日本語が上手かったという。しかしそれでも、フエで暮らしはじめた当初は一気に体重が落ちたそうだ。
「フォーの1つも作れない自分に、ほんとうに愕然としたんです。いい野菜の選び方も、いいエビの見分け方も分からない。今までの自分を見つめ直す機会になりました」
地元の同級生には、中卒や高卒で就職を選んだ人も多いという。失業と渡越を経験してようやく、そういう人を「すごい」と思えるようになった。普通に大学を出て、普通に就職した自分は、リスク回避的だっただけではないか。そう考えるようになったそうだ。
2ヶ月のボランティア期間が終わり、川村さんは公立フエ外国語大学で職を得る。最初に受け取った給与はいわば寸志で、金額は10万ベトナムドン──日本円でわずか400円ほどだった。
「こっちで働き始めたばかりのころは、年収30万円ぐらいでした」
実家で自分の現状を報告したとき、父親と殴り合いのケンカになったという。
川村さんと食事をしながら、私は「同世代としての視点」を強く感じた。
もともと理系だった私が経済学に興味を持ったのは、リーマンショックがきっかけだ。連日の悲惨なニュースを見て、自分たちがどうしてこんな目に遭わなければいけないのか経済学に答えを求めた。そして川村さんがベトナムに行くことになったきっかけもリーマンショックだ。私たちの世代の人間は、みんな多かれ少なかれ世界金融危機の影響を受けている。
リーマンショックと失業を通じて、川村さんは「雇用」の大切さを思い知ったという。すでにある雇用の椅子を奪い合うのではなく、椅子を作り出したいと考えるようになった。また、ベトナムに渡り「自己決定」の大事さを学んだという。親や教師に決めてもらうのではなく、上司に決めてもらうのでもなく、自分で決めたことで誰かの役に立つこと。自分の作った仕事で人を喜ばせることを考えるようになった。
そして川村さんはベトナムで「仕事を作る」ことを始めた。
まず手始めに、日本人学生向けにベトナムの大学生と過ごすツアーを企画。これが川村さんの作った最初の仕事になったそうだ。この企画は今でも続いており、年に数回、両国の学生に交流の場を提供している。
現在の川村さんは人材コンサル系企業のベトナム駐在員をしており、日本企業の進出支援や現地採用の支援等を行っている。たしかに働き方は変わったかもしれないが、「仕事を作る」という軸はブレていない。
仕事は作れるし、増やせる。
私見だが、この感覚を持っている人は意外と少ない。
社会人類学者ジョージ・フォスターによれば、閉鎖的な農村を背景とする社会では「限定された富のイメージ」が蔓延するという。社会の富の総量は増やせないし、豊かになるためには他者から奪うしかない。金持ちは誰かから富を奪っているに違いない。そういう錯覚のことを「限定された富のイメージ」という。
実際には、現代の日本人はわずか数日分の労働でルイ14世よりも豪華な食事を楽しむことができる。17世紀の一般庶民は一生働いても口にできなかった食事だ。疫病の脅威も少なくなった。私たちの社会は豊かになり続けている。私たちは他者から奪わなくても豊かになれる。
また、しばしば技術革新は「仕事を奪う」と言われる。
これは「労働塊の誤謬」と呼ばれる錯覚だ。
自動織機は織物職人の仕事を奪い、貨物コンテナの発明は波止場人足の仕事を奪い、電卓は計算手の仕事を奪った。現在はコンピューターの発展により、恐ろしい早さで仕事がなくなっている。「だから技術革新は忌むべきだ」と考える人がいるらしい。
しかし、これも仕事は増やせないという発想に縛られている。
技術革新は一時的に失業者を出すかもしれないが、同時に新しい産業を作り出す。新しい産業が失業者を吸収するため、社会全体で見た場合、技術革新が仕事を奪うわけではない。
たとえば日本の農業人口は1960年代には総人口の約30%を占めていたが、現在は約2%まで減った。一方、食料自給率は生産額ベースで68%、カロリーベースでも39%を維持している。これはトラクターや田植え機などの普及によって生産効率が高まり、機械が農業従事者の仕事を奪ったことを意味している。
しかし、農業機械のせいで大量の失業者が溢れたりはしなかった。農村を離れた労働者たちが、都市部で仕事を得たからだ。
技術革新は失業をもたらさない。
それどころか、新しい雇用をもたらす。
つまり、技術革新がありながら失業が増えるのならば、それは技術革新が悪いのではなく、新たな産業を作り出せない社会構造の側に問題がある。
限定された富のイメージは錯覚にすぎないし、技術革新は新しい産業をもたらす。
仕事は作れるし、増やせるのだ。
「いい時代に生まれたと思います」
追加で春巻きを注文しながら、川村さんは言った。
「私はブログやTwitterを通じて、ベトナムでの活動を発信してきました。それが新しい仕事につながっていきました。ネットがない時代にどうやって仕事をしていたのか、想像するのも難しい」
ブログの記事を公開しておくだけで、地球の裏側から連絡がある。国際電話料金を気にせず、いつでもビデオ会議ができる。人類史上、今ほど仕事をしやすい時代はないはずだ。
「川村さんから、日本にいる同世代や若者に向けて何かメッセージはありますか?」
彼は少し考えると、言葉を選びながら答えた。
「自分たちの持っているモノに気づいてほしい、ですね」
ベトナムで暮らし始めてから、たくさんの人が川村さんを訪ねたという。旅行代理店の人や、学生、バックパッカー......。最終的に100人以上の日本人とベトナムで会ってきた。
「そして、日本に対してネガティブな印象を持っている人が多いと分かりました」
沈みゆく経済大国、少子高齢化の進む将来の暗い国──。たしかに私たちは、否定的な文脈で日本を語りがちだ。
「けれど日本人が持っているモノって、とても大きいと思うんです。ベトナムに来て実感しました」
この国で日本人として働くとき、よほどのことがない限りイヤな顔はされないという。それは日本が、この国にたくさんの面で貢献してきたからではないかと川村さんは言う。
たとえばホンダやヤマハのオートバイが街を埋め尽くし、ドラえもんなどのアニメが親しまれている。メコン川には日本のODAでかけられた橋がある。ベトナムには日本語学習者が2万人いて、いつか日本人と一緒に働く夢を追いかけている。
「そんな『日本の資産』のおかげで、私はこの国で仕事をさせてもらっています」
自分の持っているモノに気づけば可能性は広がる。新しい仕事を作ることも不可能ではなくなる。大切なのは、誰かに決めてもらうのではなく、自分の決めたことで人の役に立つことだ。
しみじみと川村さんは言った。
「ベトナムで最初に稼いだ400円は、初任給の20万円よりも嬉しかったです」
※参考リンク
(2014年2月3日「デマこいてんじゃねえ!」より転載)