スポーツ関係者への提案を意図した前回の記事が、思わぬ反響を呼びました。
ちょうど週末は外出しており、月曜日にパソコンを開いて状況を知りました。各方面の方々にブログやツイッターで取り上げていただき、ただただ驚くばかりです。
心屋仁之助『■宝石なんていらない、わたしは今だって十分幸せよ』
貧しかった経験をして生きてきた男が家族との時間をとる間もなく、必死に働いてお金を儲けることだけを考えて高価なものをプレゼントしようとする。それが、彼にとっての…
■提案をしたかった
記事の先生が間違っていたか正しかったかは、自分にもわかりません。というより、正解を決めつけてはいけないと考えています。
放課後の時間を割いて熱心な指導をした素晴らしい先生とも言えるでしょう。
苦行を共用しただけのダメ教師とも捉えられるでしょう。
ここで意図したのは「提案」です。あなた自身だったらこの状況でどうしますか?という疑問を投げかけたかったのです。
先生の行動を批判するのも、女の子に同情するのも自由です。しかし大切なのはネット上での批判・感想ではありません。今まさに目の前に鉄棒の苦手な女の子が居たら、あなたならどうしましたか?という具体的な行動をイメージして欲しいかったんです。
■考え続ける、という習慣
記事のケース以外にも「教える」という活動には答えに窮する場面がいくつも出てきます。しかし人間同士が関わる活動である以上、そこには絶対の正解はありえません。
あ、やばい空気・・・
教える途中に感じたことのある方も多いと思います。しかし決断をするしかありません。何とか答えを捻り出すしかないのです。場合によっては相手の一生を左右することも覚悟し、受け入れる必要があります。
ここではたとえ正解で無くとも、自らの考えうる最善の答えを捻り出すことが大切だと思います。そのために「考え続ける」ことが必要です。刻々と状況も相手も変わるのです。答えを1つに決めつけてはいけません。
■まとめ
教える側、教わる側、どちらも同じ人間です。ときに熱が入りすぎ判断を誤ってしまうこともあるでしょう。
この結果を見て「こうすればよかったのに」「考えが浅はかだ」と言うのは簡単です。たとえ後に批判を浴びる判断だったとしても、その瞬間に必死に最善を考える人、を応援したい。これは勇気ある決断の出来る人の姿勢だからです。
改めて「あなた」だったらどうしますか?
(2014年11月26日「シルクドソレイユ 日本人アーティスト 縄のまっちゃんのブログ」より転載)