こんにちはー。
縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。
自分は好きな「縄跳び」を仕事にしてますが、ここにあまりビジネスを持ち込みすぎたくないなぁ、と考えています。
ここでいうビジネスとは端的にいうと「お金」の判断のこと。企業ではどれほどやり甲斐があろうと、採算の取れない事業やプロジェクトは改変、もしくは中止せざるを得ないですよね。やり甲斐だけでお金が生まれるなら、倒産する企業はありません。
この考え方はビジネスとしては当然だと理解しています。
でも、非効率で採算は取れないけど価値のある活動というのもあると思うんです。
「お金」をベースにする悲しさ
冬場は毎日のように出張指導で学校に訪問していました。これはボランティアではなく、きちんと謝礼を頂いてパフォーマンスや指導をします。
この時「値段差」というジレンマが生まれるんです。
たとえば小学校Aは「100万」出せるとします。でも小学校Bは「1万円」しか出せないとしましょう。どちらの小学校の拘束時間は一日。もしビジネスとして考えるなら、即決で「小学校A」に訪問するべきです。
でもこの判断には、どこか悲しさを感じるんです。小学校Aのほうが予算があるから呼べて、予算が無いから呼べない。つまりはお金がある学校や地域にばかり「機会」が集中するのを間接的に手助けしてるコトになると感じるんです。
どちらの小学校の子どもにも違いは無いはず。でも値段差のジレンマを目の前に、いつも判断をせざるを得ません。
生活する、という縛り
「それなら謝礼を貰わなきゃ良いじゃないか!!」という声が聞こえてきます。本音をいえば「マジで理想」です。
謝礼を貰わなければ、どこの小学校にも分け隔てなく訪問することができます。物理的、時間的な限界はあるにしろ、ビジネス的な判断は無くなります。
しかし、自分達も生活をしなければならない。霞を食べて生きれるなら良いですが、衣食住、なわとび、シューズと音楽、そしてトレーニングが無ければ小学校訪問の活動を継続できないんです。当たり前ですが収入を得なければいけない。
つまり、小学校訪問の活動をしたい!!
→でも生活するために収入が...謝礼を収入にするしかない
→値段差のジレンマ...
という感じの堂々巡りを繰り返しています。
価値があると思える活動を続けたい
世の中には「採算が取れないけど価値ある活動」が沢山あると思うんです。自分は小学校の出張指導やパフォーマンスもこれに入ると考えています。
本気の縄跳び演技を見ると、子どもの目が変わります。教科書やYoutubeでは伝わらない「生きた体験」は多くの子どもに影響を与えます。
ではどうやってこのジレンマを解決するか。それには「生活をする」に振り回されず、価値あると思える活動を続けられる状況を作るしか無いんですよね。
こんな状況を達成できる人がもっと増えたら、少しずつ学校や地域を変えていけると思うのです。
(2015年9月22日「なわとび1本で何でもできるのだ」より転載)