今日は息子の学校のキャリア・デー(職業体験の日)だった。どこの7歳児とも同じく、彼はMinecratfのためにに生きていて、将来はゲームソフト開発者になりたがっている。そこで今日はお気に入りのMinecraft Tシャツを着て、お気に入りのゲーム開発者、Markus Perssonとして誇らしげに登校した。しかし、先生の考えは違っていた。彼女は息子にその日の活動に参加しないように言った。ゲーム開発者はまともな職業ではないかららしい。
そう、その通り。私は激怒している。
知らないものを拒否することは無知な態度であり、アメリカ中核地域に蔓延する病の一つだ。私はミシガン州の中心部に住んでいて、ここではブロギングは趣味であって仕事ではない ― 今でも私はいつ本当のオフィスへ働きにくのか聞かれる。このあたりではゲーム開発者は夢物語であって憧れの職業ではない。中西部で技術的仕事を学ぶ学生たちに期待されているのは、形のある物を作って修理することであって、バーチャルなものではない。
何らかの理由によりプログラミングは偽りの職業と見られており、最も高給で最も需要のある仕事であるそのステータスは、祝福ではなく冷笑されている。皮肉なことに、われわれが住むフリントは、アメリカの中でも特に良い仕事が切望されている地区である。
私はコーディングとハッキングに苦闘しているが、すばらしいGoogleの技術のおかげで何とか単純な作業をこなせている。学校ではBASICとMavis Beaconを習った。Flashで何かを作るやり方はMacromedia Flashだった頃に我流で覚えた。しばらくコーディングはしていないが、習うのは一瞬で極めるには一生かかることは知っている。
何年か前に私は、2人の子供たちは流暢なプログラマーになると心に決めた。MinecraftやCrossy Roadの裏にはコードのフレームワークがあると知っていることは、プログラミングの仕方を知っているの同じくらい重要だ。こうした知識はコンピューターの神秘性を取り除く。iPadのゲームは魔法で作られているのではない。あれは私の子供たちが自分だけのプログラムを作ることに憧がれて理解した数学と論理によって作られている。
プログラミングは初等教育で教える必要がある。今やそのスキルは数学や文法と同じくらい重要だ。米国の学校は明確な期待に答える圧力に晒されているが、その期待とは雇用状況の改革を表すものだろうか? 私はそう思わない。
そして先生、どうかうちの子供に彼のやりたいことは本当に仕事ではないなどと言わないでください。この調子 ― 遠隔教育の発展とSTEM(Science、Technology、Engineering、Math)教育の改革 ― でいくと、先生の考え方は先生自身を絶滅させるかもしれませんよ。
[原文へ]
(翻訳:Nob Takahashi / facebook)
(2015年3月23日TechCrunch Japan「先生、ゲーム開発者は本物の職業です。祝福してやってください」より転載)
【関連記事】