本の"プロ"たちが注目する、イチオシの一冊を紹介するこのコーナー。今回は、スティーブ・ジョブズをして「国宝」と言わしめたポラロイドカメラの父、エドウィン・ランドを追った『ポラロイド伝説』を紹介する。
撮影したその場で写真が見られる。長らく、ポラロイドカメラ独自の魅力として定着していたが、デジタルカメラの登場以降は"日常当たり前"の風景になった。本書は、技術の力と人々の視点を融合させ"イノベーション"を生み出し続けたポラロイド社と、1970年にはモバイルの登場を予期し将来の"日常当たり前"を見据えていた創業者のエドウィン・ランド、双方の歩みを詳細ながらもコンパクトにまとめた一冊だ。
本書を企画し、編集を手がけた実務教育出版の岡本真志さん、本コーナーでおなじみの青山ブックセンターの書店員、柳瀬利恵子さんに本書の魅力を聞いた。
ジョブズがリスペクトしたエドウィン・ランドとは?
――本書で初めてエドウィン・ランドを知りました。岡本さんは以前からご存じだったのですか?
岡本 真志さん
株式会社実務教育出版
岡本さん:
実は私も知りませんでした。
一昨年、スティーブ・ジョブズの伝記が刊行されましたよね。その中で、たびたびエドウィン・ランドについて触れられていたんです。ジョブズはランドの「文系と理系の交差点に立てる人にこそ大きな価値がある」という言葉を好み、彼自身、そう生きようとしました。ランドをリスペクトしていたんです。
ジョブズの伝記を読んで「ランドってどんな人物なんだろう?」と思っていたところ、昨年、ポラロイドの歴史とランドの魅力に迫った本書が出版されることを知り、早速原書を取り寄せて読んだのが制作に至る第一歩でした。
――ジョブズがなぜエドウィン・ランドをリスペクトしていたのか、本書から読み取ることはできましたか?
岡本さん:
ジョブズの伝記を読んだ人はもちろん、アップル社とジョブズを知っている人であれば、二人に「繋がり」「共通点」のあることが本書から見えてくると思います。
アップル社とポラロイド社、アップル製品とポラロイドカメラ、そしてジョブズとランド。他を圧倒するイノベーションを起こし、デザインにも徹底的にこだわる。世の中で認められ、訴訟問題や確執が起こり、波にもまれていく。ジョブズの人生はランドにそっくりです。
ジョブズの持つ視点やビジネス感覚をより深く知るためにも、本書で描かれているエドウィン・ランドとポラロイド社は、とても参考になるのではないでしょうか。
――アップル=ジョブズに対して、ポラロイド=ランドとは想像ができないのですが、高名でありながら、なぜ社名とランドは繋がらないのでしょうか?
岡本さん:
アップル=ジョブズに比べると技術者、研究者寄りの人物だからかもしれません。しかし、ビジネスパーソンとしても優れた才覚を持っています。本書の表紙ではポラロイドカメラで最も有名な「SX-70」の写真を使っています。本革張りで高級感のある、折りたたみ式一眼レフ・インスタントカメラ。機能だけではなく、外観のデザインにもこだわりが持てる。こんな技術者、研究者って珍しいですよね。
――ジョブズが言った「文系と理系の交差点に立てる人」とはまさにそこなのかもしれませんね。
岡本さん:
そう思います。ポラロイドカメラの中には、他社の大判カメラをはるかに上回る20×24インチ(約50×60cm)サイズの超大判写真の撮影ができる機種もありました。そうした高い技術力を持ちイノベーションを起こしていたのに、ランドが経営から退いた後は、安価で手軽な製品を大量生産しました。「ポラロイド」といえば、一般的には安っぽいイメージですが、それは普及したのが「ワンステップ」に代表される廉価モデルだったことが影響しているのかもしれません。レンズの質が低く、画質も良くない。廉価モデルは一時的に売り上げに貢献した反面、ポラロイドのブランド価値を下げてしまいました。そして、それが衰退への序章になってしまったようにも感じます。残念でなりません。
ランドが描いていた未来、イノベーションの本質
――本書はランドとポラロイドの約30年に亘る長い歴史が描かれているのですが、読んでいて、それほど「長い」とは感じませんでした。原書から編集の際に内容を削ぎ落としたりしたのでしょうか?
岡本さん:
基本的に原書そのままです。
アメリカで出版される企業ストーリー物は、分厚くなりがちです。しかし本書は、細かい記述でありながらも、原書の段階で非常にコンパクトにまとめられていました。
ただ、原書は本文と写真の対応がバラバラで、本文内容よりもずっと前に写真があってネタバレしていたり、逆に後ろすぎたりするような状態でした。日本語版では、そうならないように配慮しました。
――整理されているのに、詳しく描かれている。コダック社と特許侵害で争った裁判記録が詳細に描かれていた点は印象的でした。
岡本さん:
コダック社との訴訟合戦のエピソードからも、ランドの人柄が垣間見えますよね。
自分たちの特許を侵害してまで発売した他社のインスタントカメラに対して、あまりの完成度の低さに失望して訴訟に入っていく。そして、自分たちの独自性、正当性を裁判官に認めさせるために、法廷での実演という型破りな方法に打って出る。それが衝撃的な判決へとつながっていくわけです。
――本書に柳瀬さんが惹かれた部分を教えていただけますか?
柳瀬さん:
p.145の「2歳から5歳くらいの子どもたちを見ていて初めて気づいたことがある」で始まる一節です。"自分たちはカメラを作っているんじゃなくて、人々のコミュニケーションを変えるような手段を開発しているんだよ"と考えている、素敵な視点を持っていると感じました。科学者やエンジニアでありながらロマンチストな面も持った人ですよね。
もしもランドが第一線で活躍し続けていたら、iPhoneのようなモノを開発していたかもしれませんね。「技術を革新した」だけでは"イノベーション"ではない。このエピソードから感じられるように使う人の気持ちも反映して初めて"イノベーション"と呼べるのではないでしょうか。
岡本さん:
p.118で、ランドは「まだまだ遠い先の話です」と前置きして、未来のカメラについて話していましたよね。「電話のように一日中使えて」「いつも肌身離さず持ち歩く」など、まるでスマートフォンの登場を予見しているようでした。ランド自身、先が見えていたし、ビジョンをしっかり持っていたことがわかる一節です。
柳瀬さんの仰るように、第一線でいてくれたら、デジタル化の波にもうまく乗れていたかもしれません。そう思わせるだけの人物だと思います。
――柳瀬さんは本書からどのようなことを読み取りましたか?
柳瀬利恵子さん
青山ブックセンター
ビジネス書担当
柳瀬さん:
普通の組織では、一年何も作らなかったら「あの人は何をやっているんだ」と思われてしまいますよね。しかし、ポラロイド社には「一年何も作ってないけど、あの人はちゃんとやっている」と"信じる"風土がありました。社内に性差もなく、会社全体が好奇心に溢れていて、自社で開発したカメラに関わることや会社の青春時代を楽しみ謳歌していたのが、ポラロイド社の魅力だと感じました。
ポラロイドは、ランドの画期的な視点、技術によって成功したのではなく、革新的な技術を実現できるこのような"風土"を持っていたから70年もの間、人々に愛され続けたのではないでしょうか。
岡本さん:
Googleやアップルも自由な職場環境がクローズアップされていますが、ポラロイド社のスタイルは両社にも通じます。「イノベーションを生み出す」"風土"としては最適なスタイルだったのかもしれませんね。
「写真で物語を実感させる」効果的に写真を使ったビジネス書
――柳瀬さんがこのコーナーに本書を選定した理由を教えていただけますか?
柳瀬さん:
"写真"コーナーでは写真集や写真撮影のテクニック本のほか、写真家の哲学が描かれた書籍がよく動いています。それに対して本書は"カメラ"そのものに関する書籍でしたが、手に取られるお客様が意外に多かったんです。
実際に私も読んでみたのですが、きれいな写真が並ぶとともに、ポラロイド社の隆盛から、イノベーションや会社組織といったビジネスの本質が感じ取れる一冊だったので、ぜひビジネスパーソンにも読んでいただきたいと思いました。
岡本さん:
本書は、写真やカメラの本ですけれども、企業哲学についても多く描かれています。
経営判断など、ビジネス上で不可避な要素に対して企業がどう動き、その先にどんな結果が待つのか、ビジネスの栄枯盛衰が読み取れる一冊です。掲載写真はその"物語"一つひとつを実感させ、記憶にとどめてくれる素材になっていると思います。
――読んでいる際、本書の紙質が気になりました。カラーでこの厚みの紙を使っていながら、本体価格が1,800円なんですよね。
岡本さん:
とびきり良い紙を使っている訳ではありません(笑)。
本書はポラロイドの"写真"を含めた魅力を描き出した一冊。しかし、写真の再現性だけで紙選びをすると、白みが強すぎて文字が読みづらくなってしまいます。写真の美しさと文字の読みやすさが両立して、なおかつ本体価格も抑えられる紙を探し出しました。
――最後に、本書から皆さんには何を読み取ってほしいと思いますか?
柳瀬さん:
イノベーションや世の中の変化に対して、企業も変革をしなければいけません。本書は、ランドを通して企業経営を知ることができ、決断すべき"好機"を見逃さないことが如何に重要なのかを"実例"とともに読み解くことができます。
「何か新しいことをしたい」、そう考える役職者、経営者のかたには必ずヒントが見つかる一冊ではないでしょうか。
岡本さん:
読書の良いところは、ある本と別の本の読書体験がリンクすることで、頭の中にある知識や知恵が豊かになっていくことではないでしょうか。本書の邦訳出版のきっかけはジョブズの伝記。ジョブズの伝記を読んだことで、私は本書にたどり着き、ランドの魅力を知るとともにジョブズをより深く理解するきっかけを貰いました。 ジョブズがリスペクトしたランド、ランドが愛したポラロイド、ポラロイドカメラが如何にイノベーティブだったのか、それを生み出した企業がどんな軌跡をたどったのか、それらは"これからのビジネス"を考える上で、 必ず重要なヒントになると思います。