異端的論考29:移民政策と日本語 ~なし崩しの移民解禁を行う前に安倍氏がすべきこと

移民が日常化する中で、もっとも重要になるのは言語である。
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7月24日に開催された外国人労働者の受け入れ基準や支援のあり方、つまり、新たな在留資格の創設を検討する関係閣僚会議の初会合で、安倍首相は、「即戦力となる外国人受け入れは急務だ。2019年4月をめざし、準備作業を速やかに進めてほしい」と述べた。これを受けて、政府は、出入国管理及び難民認定法(入管法)改正案を秋の臨時国会に提出、成立させ、来年度から新制度の施行を目指すとのことである。

その内容が、外国人労働者の新たな就労資格は人手不足が深刻な分野(建設、農業、介護、造船、宿泊)に限り、最長5年の単純労働を含む職場での就労を認めるものであったと伝えられたため、マスコミが、事実上の移民受け入れへの方針転換をはかったと大きく取り上げた。

これは、今年の4月に安倍政権が、農業や介護現場などの人手不足に対応するために、外国人労働者向けの新たな在留資格を設けたことを受け、最長5年の「技能実習」を終えるなどした外国人が、さらに最長で5年就労できるようにする検討に入ったことの延長で、既定路線である。当然、今回の新たな就労資格に、在留期間10年への延長も組み込まれるであろう。後述するが、組み込まざるを得ない事情がある。

政府は、想定内であろうこの移民解禁報道に対し、あの手この手で必死に否定している。まず、菅官房長官は「一定の専門性、技能を持った即戦力の外国人材を幅広く受け入れられる仕組みをつくりたい」と話し、新たな在留資格に関しては「単純労働者ではないので、移民政策とは異なる」と強調している。テクニカルな観点では、「国籍取得を前提とする『移民』につながらないよう、在留期間を制限し、家族の帯同も基本的に認めない」方針としている。つまり、例外は認めるが、基本的には、規定の在留期間が終了した段階で帰国させる「出稼ぎ労働者」を想定していると主張している。また、最初の5年に加えて5年の在留延長によって、永住権申請の要件の一つである「引き続き10年以上の在留」を満たさないように、「技能実習終了後に一定期間母国へと帰還すること」を在留資格付与の要件にするシナリオのようである。姑息ともいえるが、流石に優秀な官僚君の考えることである。しかし、トータルで10年在留することができるようになるということは、年金の受給資格期間が10年に短縮されたので、日本の制度単独で受給資格が生ずるようになり、将来、非常に多くの外国人の年金受給者が生まれるという観点は欠けている。そして、これまでも再三使ってきたのだが、新資格取得には専門分野での一定の技能と日本語能力があることが必要としている。これであれば、低スキルの外国人が一挙には押し寄せてこないと主張したいようである。

しかし、日本政府のこれまでのなし崩し的な言行相反の前科を考えるに、この発言を信用するのは、どうであろうか。これまでの政府のなし崩しの前科を見てみよう。

  • 技能実習制度創設時の目的とはかけ離れた実態

そもそも現在の技能実習制度は1993年の創設時の目的(発展途上国の実習生に日本で働きながら技術を習得させ、その技術を母国に持ち帰って経済発展に役立ててもらう目的、つまり、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)を通じての海外への技術移転を旗印とした)とは裏腹に、実態としては、技能実習生は、農業・漁業・製造現場(機械・金属、繊維・縫製、食品製造)など、あまり日本人が好まない分野での「非熟練労働者」の不足解消のための低賃金な即戦力となっている。

政府は繰り返し、単純労働ではないと主張(1988年 6 月 17 日に閣議決定された第 6 次雇用対策基本計画から続いている政府の見解)している。しかし、高度人材しか外国人は受け入れないと散々口にしながら、海外から、ほとんど高度人材(少子化は進む中で、文科省が自分の利権を維持するために、定員維持という名のもとに、大学院や下位ランク大学へ留学生を誘導した経緯があり、一括りに高度人材と言えるかは疑問であろう。ほとんど外国人という文系の大学院は珍しくない。彼らの就職が厳しいという現実がそれを物語ってはいないだろうか)が来ていないのが現実である。ビジネスの世界では、現状の日本企業の組織制度(総合職やそもそもスキルベースのジョブ型ではないなど)、雇用慣習(残業など)、競争力のない給与、貧しい英語環境などを考慮すれば、よほど酔狂な人でなければ、高度人材は日本には来まい。

余談だが、知り合いに日本語が堪能で、日本で博士号を取得し、日本の企業で成功したインド人がいる。彼ら(夫人もインド人)は、日本が大好きである。しかし、彼らの子供たちは日本にいない。理由は子供たちの未来がこの国にはないからである。この事実を日本人は深く考える必要があろう。

話を技能実習生に戻すが、創設以来、念仏のように唱えられている「技能実習1号ロ」(1年目)受け入れの要件をみると、

・修得しようとする技能等が単純作業でないこと。

・18歳以上で、帰国後に日本で修得した技能等を生かせる業務に就く予定があること。

・母国で修得することが困難である技能等を修得するものであること。

・本国の国、地方公共団体等からの推薦を受けていること。

・日本で受ける技能実習と同種の業務に従事した経験等を有すること。

とあるのだが、果たしてどれほどこの要件を満たしているのであろうか。人手不足解消と言った時点で、上記の要件はむなしい言葉である。最初の「単純労働でないこと」が、キーワードであるが、何をもって単純労働でないとするかは、なかなか難しい。レタスの収穫を単純とするか熟練とするかは考え方次第である。故に政府はこの点は言い抜けられるとふんでいるが、実態はどうであろうか。笑うのは、厚生労働省 社会・援護局の「技能実習「介護」における固有要件について」という資料の中の「基本的な考え方」で、「介護が「外国人が担う単純な仕事」というイメージとならないようにすること」と明記していることである。これには失笑を禁じ得ない。「日本で受ける技能実習と同種の業務に従事した経験等を有すること」という要件も形式は整えるが、実態を見るにかなり怪しいと言わざるをえないのではないか。

政府が最初に大きな制度改革に手を付けたのは、2014年4月に行ったもので、東日本大震災の復興事業や2020年の東京五輪の建設需要を見越し、人手不足が深刻な建設業で技能実習制度を拡充し、受け入れ枠を拡大、受け入れ期間を2年延長して最長5年間にし、過去の実習生が特定活動の資格で再入国し、働くことも認め、帰国して短期間での再入国なら2年間、帰国から1年以上たっている場合は3年間とするとした。いかにも霞が関らしいのだが、これを見た国交省も政府におねだりをして、同年6月に造船業でも建設業と同様に在留期間を最長5年にするなどとした。

これをみた他の業界も黙ってはない。2017年の11月に施行された「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律

○新たに技能実習3号を創設し、所定の技能評価試験の実技試験に合格した 技能実習生について、技能実習の最長期間が、現行の3年間から5年間になります。(一旦帰国(原則1か月以上)後、最大2年間の技能実習)

○適正な技能実習が実施できる範囲で、実習実施者の常勤の職員数に応じた 技能実習生の人数枠について、現行の2倍程度まで増加を認めます

によって、在留期間の5年への延長と人数枠の拡大が認められた。そこに今度は厚労省が「私も!」と加わり介護分野が追加されている。政府に言わせれば政策の整合性を取ったということであろうが、事実として、政府は、民間の強い要望と称して、なし崩し的に在留期間、人数枠、適用領域の拡大を進めてきたわけである。今回の改正では、インバウンドで人手不足にある宿泊業(国交省管轄)が追加されている。

今回の新制度設立を急いだ理由は、建設と造船での期間延長は、2015年度から開始され、2020年度で終了する時限措置があるからであろう。実際、現実的に2020年で時限措置が失効した時点で、使い捨て同然に、多くの技能実習生を祖国へ強制帰国(建設で、同期間で延べ7万人程度の実習生が在留と言われる)させるわけにはいくまい。五輪の建設ブームが終われば不要という見方もあるが、彼らをすでに戦力化している業界は強制帰国に賛成しないであろう。その苦肉の策が、今回の10年在留を認める新制度であるのではないだろうか。要は、問題の先送りである。

  • 技能実習生以外の抜け穴

外国人労働力という観点では、技能実習生以外にも留学生と言う名の労働力が存在する。週28時間以内(在籍する教育機関が学則で定める長期休業期間にあるときは,1日について8時間以内)という就業時間規則(実効性に疑問もある)が存在するが、都会のコンビニなどを見ればわかるように、現在は技能実習制度の対象ではない小売業の販売員としての重要な労働力供給源である。外国人労働者統計のなかでも、資格外活動として、全体の24%(2017年)を占めている。最近の動向は、本来は学業の合間のアルバイト就業であるが、それが逆転し、就業が主になり、学業は従になっているのではないであろうか。就業目当てで留学する者もいる。これも政府の言行相反であろう。留学生数は、27万人(2017年)である。その中で、急速に伸びているのは日本語教育機関(俗にいう日本語学校)で生徒数は8万人に上る。これだけの外国人労働者が、技能実習生以外にもすでにおり、増加しているということである。

● 定住者と言われる日系人移民

ここで、少し昔の話になるが、バブル経済を反映して、1989年の入管法改正により日系人の就労を可能にする在留資格「定住者」が創設されたことで、非熟練(単純)労働者として、南米(主にブラジルとペルー)からの日系人(この審査も怪しいのだが)が急増した。日系人なので移民ではありません(日系定住外国人と呼び定住者資格を有する)という詭弁を弄した前科がある。最盛期にはブラジル人は32万人おり、実質的に南米から移民を受け入れたのであり、その経験(集住化、半数以上は永住化、就業・失業、社会適応の問題など)から、日本政府は何か学んだのかは、極めて不明である。いつもの外国人受け入れの環境整備の具体策(今回は「外国人材の受け入れ・共生のための総合的対応策(仮称)」)をつくるというお題目の繰り返しである。政府は、現在のブラジル人の数は19万人で、定住者という仕事の制限のない在留者資格のあるブラジル人でも結果13万人が離日したのだから、より制限の多い技能実習生なので、いくら増やしても大丈夫と思っているのかもしれないが。

  • 日本語能力は「必須要件」は本当か?

これまでの技能実習生の要件を引き継いで、新資格取得でも専門分野での一定の技能に加えて、日本語能力があることが必要であるとしている。今のところ、これまでと同様に、会話が何とか成り立つ日本語能力試験の「N4」レベルを基準とするようだが、人手不足が深刻な建設と農業では「N4」までは求めないという声も聞かれる。現実的には「N4」レベルでもかなり怪しいので、「「N4」までは求めない」とは事実上日本語は話せなくても良いということである。実際、日本語試験の実施は各業界団体に任せる方向であるので、人材確保を優先したい業界の意向が反映され、技能に加えて、日本語能力も不十分な外国人が技能実習生として在留許可される可能性は高かろう。これで、本当に日本語能力は必須要件といえるであろうか。「専門分野での一定の技能と日本語能力があること」という要件は、絵空事である。これを黙認する政府は、やはり、言行相反であろう。これに加えて、先ほど述べた留学生の中での日本語教育機関(俗にいう日本語学校)の学生の急増である。これには、留学生招致で日本語学校ビジネスをつくった文科省が、伸び悩む大学院・大学への留学生数を補って総留学生数を増やすために後押ししている背景もあろうが、実質は、ベトナム人やネパール人にとって、日本語を話せなくても日本に在留できる格好の手段となっていると言われている。

  • 外国人居住者の規模

ここで、現在の日本に住む外国人の規模をみてみよう。法務省がまとめた2017年末の在留外国人数は256万1848人(特別永住者である在日が33万人、永住者が75万人)。1年前に比べ7.5%、約18万人も増加している。5年連続で増え続けており、256万人は過去最多である。また、厚生労働省に事業所が届け出た外国人労働者は約128万人で、これも過去最多を更新している。雇用者数が5940万人(2017年)なので、外国人労働者の比率は2.2%である。雇用者の50人に一人が外国人労働者という数字を少ないとみるか多いとみるかは読者の判断であるが、重要な労働力であることは間違いない。

そして、この外国人労働者数は届け出であるので、中小零細企業を考えると、すべてが届け出しているとも思えず、この128万人は控えめであろうから、実際の外国人労働者比率は2.2%よりも高いと言えよう。政府の今の外国人労働者の受け入れシナリオに従えば、日本人の生産年齢人口の減少は続くので、この比率は一層高まっていくことになる。

実際、政府は新制度の導入によって2025年までに5分野で「50万人超」の受け入れを目指すとしており、その場合は、雇用者数が変わらなければ、外国人労働者比率は3%程度、約30人に一人と言うことになる。

東京の事例であるが、外国人がどのくらい身近であるかの数字を挙げてみよう。今年の23区の新成人は約8万3000人で、そのうち、約1万800人が外国人であった。およそ8人に1人が外国人と言うことである。ちなみに、比率の多い3つの区は、新宿区 で46%、豊島区で38%、中野区が27%である。比率の高さ(日本人の成人が少ないこともあるが)がわかるであろう。

田中角栄以降の日本の政治の根幹は、時間をかけて既成事実を作ることであり、それにのっとった政府の意図的な既成事実の積み上げの中で、粛々と外国人、それも底辺の非熟練労働者が社会のなかで増加するなかで、このような政府の言行相反の前科を見るに、「移民政策なき移民の拡大」と揶揄されても仕方がないであろう。

筆者は、現在フランスに在住しており、移民の問題を身近に感じる一方、その多様化と開かれた社会を見るに、日本社会の多様化の観点から、移民に反対をしているわけではない。改善の見込みのほぼない少子超高齢化=若者は減るは、人口は減るは、増えるのは75歳以上の高齢者ばかりというなかでは、国は成り立たない。賦課制度を捨てられない政治家にできることは、移民で人口を増やし、彼らに税を払ってもらって肥大化する高齢者を支えてもらうしかないと考えている。政府の立場を考えれば、少子超高齢化に向かう日本で、島国を理由にする世界屈指の移民嫌いの有権者を納得させるには、表向きは高度人材の外国人移民を唄うしかなかったであろう。しかし、極度の閉鎖社会である日本に、高度スキルの移民などは来ない。この国に必要で来てくれるのは、単純労働者なのである。しかし、国民はその現実は見たくないのである。時代は変わり、生産年齢人口の急激な減少を受けて、あちらこちらで深刻な労働力不足が叫ばれ、安倍政権は、人手不足解消という民間の強い要望にこたえるという巧妙な形をとって、なし崩し的かつ急速に非熟練の外国人受け入れを拡大してきたのが現実である。日本の社会を変えるには、外圧が有効であるが、移民に外圧は効かないので、強い民間の要望という方法しかあるまい。ある意味でじっくり時間をかけて待った政府の勝ちであるのだが。

現在政府が進めているアイデア、それは、日本の人口が減少していく中で、「単身で、いつか必ず帰る、非熟練の外国人労働者」の受け入れをなし崩し的に加速していくというものであるが、そう都合の良いようにいくであろうか。自分に都合の良い入れ替わりが続く、期間限定の外国人労働者などと言っているのだが、大量の強制帰国は、人道的な意味でも国際的な人権問題に発展する可能性も懸念されるので、大量の強制帰国もできず、結果、移民は存在しないはずだが、多数の実質的な移民(外国人定住者を含む)がいるという既成事実が出来上がるのではないだろうか。既成事実は自分(安倍政権)に都合の良いようにだけではないことを忘れずにいた方が良い。

安倍氏は、なし崩し的な移民を受け入れる前に、保守本流の総理大臣としてすべきことがある。移民が日常化する中で、もっとも重要になるのは言語である。言語とは、社会のアイデンティティ(社会的一体性)を形成、維持する上で非常に重要である。

移民を急速に受け入れたオーストラリア(公用語は英語)では、英語を話さない人口が増え、分離主義多文化モデルに向かっており、オーストラリアの社会的一体性が損なわれるという議論があり、移民排撃の力が強くなる恐れがある。将来に渡って、日本では、このようなことは起きないと自信をもっていえるであろうか。

現在、日本ではあまりに当たり前であるので、日本語が公用語であることは定めていない。アメリカでも連邦レベルでは公用語は定めていないが、各州で定めている。現在のアメリカでは、州によって様相は異なるが、ヒスパニック人口の増加で、現在のアメリカは、現実的には英語とスペイン語が公用語と言えよう。スペイン語の方が英語より優勢な州もある。アメリカは今更英語が唯一の公用語、いや、国語であるとは変更できないであろう。トランプならわからないが。

詳しく話をすると、問題は公用語(公式に使用する言語)ではなく国語(国家の基幹となる言語)の問題に行き着く。日本のような単一的な国家が、個人が多様化(移民もその一つ)する中で社会の一体性を維持するには、国語を明記する必要があろう。この例としては、フランスがあげられる。フランスでは、フランソワ一世が1539年に発したヴィレル=コトレの勅令以来、フランス語を国家の言語と明記してフランスと言う国家・社会を形成してきたという歴史があり、フランス語に対する強い意識がある。この意識は今も変わっていない。フランスでも英語教育が急速に進んできているので、英語で生活することに不自由は無くなりつつあるが、公用語はフランス語のみであるので、公的な文書に関しては不自由がある。この意味で、グローバル化する世界において、日本では、公用語は日本語と英語にすべきかもしれない。しかし、国語は日本語であるというスタンスは明記すべきであろう。

この意味で、安倍首相は、憲法を改訂するのであれば、まずは、日本の国語は日本語であると憲法に明記すべきであろう。そして、移民の初期の段階で、外国人労働者に彼らの言語で情報を提供するサービスをするのは構わないが、外国人労働者とその家族と子どもには、いくらコストをかけてでも日本語教育を徹底することが重要であろう。そのうえで、親や子供たちが彼らの母国語を話すのは自由である。保守本流で「美しい国日本」とのたまう総理大臣は、このくらいの気概が欲しい。

筆者としては、安倍首相が、現在のなし崩し的な移民受け入れを推し進めるのであれば、後顧の憂いを絶つためにも、安倍首相に、日本語の国語化の法的な明記を保険として行うべきであると進言したい。

読者諸兄はどのように考えるであろうか。

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