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2018年06月23日 16時11分 JST | 更新 2018年06月23日 16時27分 JST

終わらない戦争 慰霊の日に寄せて

6月23日は、沖縄戦の組織的戦闘が終結した日です。

6月23日は、沖縄戦の組織的戦闘が終結した日です。沖縄県では、73年前の悲劇を改めて思い起こし、戦争による惨禍が再び起こることのないよう祈りを捧げています。

以下、拙著『地域医療と暮らしのゆくえ 超高齢社会をともに生きる』(医学書院)から、沖縄戦がいまだ終わっていない高齢患者さんのエピソードを紹介いたします。なお、個人情報に配慮して患者背景等を一部改変しています。

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「最近のオジイは政治家みたいだよぉ」と、おばあさんは笑顔ながらも愚痴をこぼしていました。その意味を私が読みとれずにいると、説明してくれました。

「大声をあげたり、とにかく偉そうにしている。その上、約束は守らないし、言うことはコロコロ変わるさぁ。こんな人じゃなかったのにねぇ」

おじいさんは、多発転移のある前立腺癌の終末期にありました。ご本人とご家族の希望もあって、なるべく在宅で診ていますが、今回はカテーテルの閉塞を伴う尿路感染のため、仕方なく、いったん入院となったのです。

で、いつもそうなんですが、認知症がベースにあることもあって、入院の環境変化に適応できずに人が変わったようになってしまうのです。調子のよい時間帯もあるのですが、その時の穏やかな会話などすべて忘れてしまって、夕暮れから翌朝にかけては暴言が繰り返されるのが日課となってしまいます。その変容ぶりについて、おばあさんは「政治家だよ」と絶妙のたとえをしたわけです。

「いえいえ、これは譫妄(せんもう)と言って、病気の表れのひとつなんですよ。ご本人の性格は関係ありません。精神科の先生とも相談しながら、お薬の調整をしてますけど、なるべく早く帰るのが一番の治療かもしれませんね」

おじいさんを弁護するように私が言うと、おばあさんは窓の外を指さしながら言いました。

「ほら、あそこ・・・ 恩納岳がみえるでしょう」

6階東病棟の窓外には、沖縄の海と空が広がっていました。季節は夏の盛り。金武湾の向こう岸に緑豊かな美しい山が見渡せます。恩納ナビー(琉球を代表する女流歌人)が「恩納岳あがた 里が生まれ島 もりもおしのけて こがたなさな(恩納岳の向こうに愛しい人の村がある。この森を押しのけてでも引き寄せたい)」と情熱的な恋心を詠んだことでも有名な山です。ただし沖縄戦では、日本軍がゲリラ戦の拠点(第4遊撃隊本部)として2ヶ月にわたって米軍の砲撃に耐え、ついに玉砕した悲憤の山でもあります。いまはキャンプハンセン内の実弾演習地として活用されており、住民の立ち入りは禁じられたまま。恩納岳では戦争が終わることなく続いているのです。

「あそこでオジイは戦争をしたんだよ。少年兵として、あの山を駆け回っていたんだ。だから、あの山が見える場所にいると、どうしても戦争のことを思い出してしまうんだね」と、おばあさんは細い目をして言いました。「先生、オジイは戦争をしているんだよ」

たしかに、看護師によるカルテの記載も沖縄戦を思わせる内容が散見されます。「いまだ〜! 突撃〜! ひるむな〜〜〜ぁ」との号令とか・・・、ワゴンをゴロゴロと言わせながら検温にゆくと、「戦車が来たぞぉ 隠れろ〜!!」とか・・・。見晴らしの良い中部病院の最上階が私は好きなのですが、人によってはまったく違った景色なのかもしれません。

日本人は誰しも、そのルーツにおいて戦争の悲劇を経験していると思います。ただ、沖縄戦における悲劇は、規模的にも政治的にも特異なものとして日本人は記憶にとどめるべきでしょう。日本兵と米兵の板挟みのなか、村単位で逃げまどい、そして親や兄弟を焼き殺されていった子どもの心に刻まれたもの。あるいは少年ながらも極限の日本兵に従軍させられ、米兵の猛攻撃に耐えながら、飛び交う砲弾と裂け散る閃光のなかで目に焼きつけたもの。

その子どもたちが年老いて、いま再び、自らの死に直面しながら何を思うのか・・・ その現場に医師として立ち会わせていただいていると、ときに70年の歳月を往還しつつ「手つかずの記憶」が胎動するのを感じることがあります。それでも、沖縄の高齢者は古い言葉を口ごもり続けたまま、自らとともに過ぎ去るのを待っているかのようです。

ある夜、おじいさんは、ついに行動にうつしてしまいました。点滴の管を引き抜き、点滴台を槍のように構えて、「や〜」と看護師に突撃したのです。こうなると、残念ながら身体拘束(体幹をベッドに固定)させていただくしかありません。

翌朝、おばあさんは枕元で夫の頭をなでながら、残念そうに見下ろしていました。拘束について納得はされていますが、なるべく早く自宅に帰れるように治療を急ぐ必要がありそうです。

「先生・・・」と彼女は言いました。「つかまって捕虜になっちゃったと思ってるみたい・・ だから本人も諦めてるさ」

まだ朝食にも手をつけずにいるようです。「お食事とって元気になってくださいね」と声をかけると、おじいさんは同室者らを指さしながらこう言いました。

「おぉ どうか・・・、私はよいので・・ そこの2人に分け与えてください

高山義浩
恩納岳:沖縄県立中部病院から臨む