シンガポール首相府は3月18日、リー・クアンユー元首相(91)の容体が一段と悪化し、集中治療室で危篤の状態にあると発表した。ロイターなどが報じた。
リー・クアンユー氏は肺炎のために、2月5日に入院。首相府は17日に、「リー・クアンユー氏の容体は感染症のために悪化した。抗生物質を服用しており、医師団が注意深く見守っている」と声明を出していた。
■シンガポールの「建国の父」
リー・クアンユー氏は、シンガポールの「建国の父」として知られており、1965年にマレーシア連邦から独立して以降、31年間にわたって初代首相を務めていた。
すでに政治の表舞台から引退しているが、2004年以降は長男のリー・シェンロン氏が首相を務めるなど、現政権に影響力を持つとされる。リー・クアンユー氏の略歴について、日本大百科全書では次のように解説している。
シンガポールの政治家。19世紀にシンガポールに移住した客家(ハッカ)系華人で李光耀とも表記する。1946年イギリスに留学し、1950年ケンブリッジ大学法科を首席で卒業。同年帰国、社会主義に傾斜した郵便労組顧問弁護士として活躍。1954年人民行動党(PAP)を結成し、書記長に就任、イギリスに対するシンガポール独立要求を掲げる。1959年立法議会選挙に圧勝、イギリス連邦内自治国の初代首相となる。
1963年イギリス、マラヤと協調してマレーシア連邦に加入したが、連邦内の人種対立激化に伴い分離独立を余儀なくされ、1965年独立シンガポールの初代首相に就任。多民族・多言語・多宗教主義による民族和解と権威主義体制下の経済発展とを推進、シンガポールを代表的なNIES(ニーズ)(新興工業経済地域)に育て上げるのに成功した。
冷戦後台頭した欧米先進国の人権外交に対しては、アジア諸国には個人の自由より社会の秩序を優先する「アジア的価値」があるなどと反論している。長男のリー・シェン・ロン副首相(2004年8月より首相)をめぐって「リー王朝」と批判した英字紙記者に対しては告訴によって対抗したほどである。1990年、通算31年間務めた首相を辞任したが、上級相として内閣にとどまり、2004年8月顧問相に就任。
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