「海外での風評被害を払拭する」新渡戸稲造を目指すカナダ人が福島にいた

「願わくは、われ太平洋の橋とならん」海外の風評被害にどう対応するのか。福島と世界の“かけ橋”になることを目指すカナダ人に話を聞いた。
ウィリアム・マクマイケルさん
ウィリアム・マクマイケルさん
The Huffington Post

アメリカの学生を殺す気か――。東日本大震災から1年が経過した2012年5月、あるアメリカのブログに、ミドルテネシー州立大学への非難コメントが殺到していた。同大学はこの年初めて、学生10人を福島県へ送り短期間のスタディーツアーを行う計画を立てていた。現地で暮らしている人々の話を聞いたり、がれき撤去のボランティア活動をしたりすることで、様々な課題を考えてもらおうとしたのだ。

これに対して「良い機会だ」と勇気を称える声が上がると同時に、バッシングも起きていた。「福島に行ってはいけない。東京だってチェルノブイリのように野ざらしの状態だ」「ミドルテネシー州立大学は、科学的に思考できない学生ばかりだ」などの誹謗中傷も相次ぎ、ネットでニュースが炎上したり、同大学へアメリカ国内から嫌がらせの手紙が届いたりしていた。

実はこのスタディーツアーは、福島大学が企画したものだった。担当者は国際交流センターの副センター長、ウィリアム・マクマイケルさん。現在32歳のカナダ人だ。幸いな事にスタディーツアーは中止にならず実施され、その活動は現在も続いている。これまでどのような思いでこのツアーを行ってきたのか。マクマイケルさんに2月下旬、話を聞いた。

「福島市が『ゴーストタウン』だと報じられて悔しかった」

「悔しかったんです。震災から1年経った当時でも、海外の大手メディアが“福島市”のことを『ゴーストタウン』と報じていました。福島市は福島第一原発から約60km離れていますから、震災が起きた直後から大勢の人が住んでいるのに、事実と異なる報じ方がされていたんです。

デマもよく流れていました。震災当時の津波の高さを表す画像が、福島第一原発の事故で漏れた放射能だと、まことしやかにネットで拡散されていました。日本でも風評被害はありますが、海外ではそれが更にひどかったんです。それを何とかしたいと思いました」

アメリカ海洋大気庁が公開した3.11の際の各地の津波の高さを表す地図

「『福島は危ない』。そんな思い込みを無くすには、実際に福島に来て、現地を見てもらい、肌で感じてもらうのが速いと思いました。震災前に僕は、福島の人に外国人に対する思い込みを解いてもらうような仕事をしていました。その逆のことをやればいいと思ったんです」

日本人の外国人に対する思い込みを解いた“スノーマン”

カナダ人の父と、日本人の母を持つマクマイケルさんは、バンクーバーで生まれ、5〜8歳の3年間は日本の徳島県で過ごした。その時期に、ドラゴンボールなどのマンガで日本語を覚えたという。その頃に読んだ伝記マンガで新渡戸稲造のことを知ったのが、今の仕事をするきっかけになったとマクマイケルさんは話す。

新渡戸稲造は「願わくは、われ太平洋の橋とならん」の言葉が有名な日本最初の国際人。「日本の思想を海外に伝え、外国の思想を日本に普及する媒酌(媒酌)となりたい」と述べ、『武士道』を英語で執筆して海外に日本人の考え方を紹介した人物だ。

新渡戸稲造(左)と『武士道』(右)

「第二の新渡戸稲造になりたい。カナダと日本の“かけ橋”になりたい」。

そう考えたマクマイケルさんは、カナダに戻ったあとも国際関係の仕事を目指した。2007年には自治体国際化協会の交流員として、カナダから福島県に赴任。県内各地を周って多文化共生を考える講座を開いたり、海外出身者の相談に乗ったりした。

「海外出身のお嫁さんをもらった息子を持つお母さんのなかには『自分の息子は恥ずかしい』などと考える人もいました。しかし、それは違う。みんな同じ人間なんだよということを考えてもらうために、多文化共生の講座を開いて回っていたんです。

その時、講座で使っていたのが、100円ショップで買った『スノーマン』のマスクでした。講座に登場するときにマスクを被って、『今日、マクマイケル先生は都合で来られません。私はこんなマスクをかぶっていますが、怪しいものではありません。日本人です』と、日本語で自己紹介して始める。かなり怪しいですが、幸いなことに日本語の発音は、幼少の頃の経験や母の教育おかげでネイティブレベルですから、バレません。

そして頃合いを見計らって、マスクを取る。『こんな外国人もいるんですよ』と言って、人は見かけでは判断できないと実感してもらっていました」

「福島は死んでいないと伝えたかった」

その後、2010年9月から福島大学で働くようになってすぐに、マクマイケルさんは東日本大震災を経験することになる。自分だけが“かけ橋”になるのではなくではなく、福島の良さを発信し、また海外の考え方を理解して日本の人々に伝える人材を育てることが必要だと、大学内に国際交流センターを立ち上げようと活動していた矢先のことだった。

「福島を去られる人も、やむをえない理由があったはずです。それを、裏切り者扱いされました。海外出身者はすべて福島を出て行くものだとも、誤解されました。僕もよく『あれ、何で出て行かないの?』と驚かれたりしました。

でも、私はいつの間にか福島が好きになっていたんですよ。右も左も分からない自分を、それまでたくさんの方が助けてくれた。だから、『自分にできることがある今、僕は残って福島のために頑張ろう』と思ったんです」

マクマイケルさんは、海外から福島に対する支援の申し出の受け皿を福島大学内につくったり、福島県内に残る海外出身者や海外から福島の情報を求める人のために、自治体の情報を翻訳する作業を行った。福島県内に残っている外国出身者を集めて、ボランティア活動も始めた。

外国人出身者でつくるボランティア団体『Hearts for Haragama』

一方で、海外では風評被害が止まらなかった。

「太平洋に面していないフロリダ州の人からも『福島の事故のせいで、海が汚染され、地元で取れる海産物を買い控えているんだよ』と言われましたし、僕自身も海外の学会で『福島から来ました』というと、一歩後ずさりされたりしました。頭にきて、逆にハグしてやろうかと思いました」

そんな状況を打破するために、福島を実際に見て、正しい発信してくれる人が増えたらと考えた。自身が勤める国際交流センターで、短期の学生受け入れを始めようと、短期間のスタディーツアーを企画した。

「福島は死んでいないと伝えたかったんです。たくさんの課題がありますが、それでも復興に向けて人々が頑張っていることを伝えたかった。本当は2011年中にやりたかったのですが、アメリカ政府は当時、福島第一原発から80km圏内にいるアメリカ人に対して、避難するよう勧告していました。それが解除された2012年2月以降にしか、県内各地を見て回ることができなかったんです」

海外の学生が参加した『福島アンバサダー(交流大使)プログラム』でのがれき撤去ボランティア風景(2012年6月)

アメリカの学生「福島の人々は、何事にも負けない魂を持っている」

誹謗中傷にもめげず、学生らは2012年6月、福島にやってきた。相馬市で津波被害の後を見たり、二本松市で風評被害に苦しむ農家の話を聞いてもらったり、宮城県仙台市にある仮設住宅まで移動して炊き出しボランティアを体験してもらったりした。

参加した生徒からは「メディアが報道するほど放射能に汚染されていないことがわかった」「アメリカに戻った今、福島に対する偏見をなくすよう促したい」などのコメントのほか、「福島の人々は、津波でも、原発事故でも、風評被害でも、この地を離れない。非常に強い決心と、何事にも負けない魂を持っているからだ。一度起き上がったらら、新幹線よりも速いスピードで進み始めると思う」などの感想がでた。スタディーツアーなかには大学卒業後、福島で働くようになった学生もいた。

「感動しました。丁寧にやれば、必ず伝わると感じました。僕と同じように、福島と世界の“かけ橋”になってくれる学生も現れ、嬉しかった」

そう、マクマイケルさんは当時を振り返った。

「コロラド大学の線量のほうが、福島よりも高かった」

一方で、「このツアーは、福島のことを良く見せようとする御用プログラムではないのか」と指摘した学生もいた。そういうつもりはなかったが、その後のプログラムでは、仮設住宅に住む人らとの対話の時間をさらに増やし、訪問対象の地域を増やすなどの改良を行った。仮設住宅にもホームステイしてもらった。

環境庁が福島市につくった「除染情報プラザ」で除染に関する進め方をディスカッションするなど前向きな議論を行う一方で、原発事故によって避難を余儀なくされている住民の声も聞いてもらった。「どうせ町に戻ったって、何をつくっても売れない。除染なんかしなくていいから、その金を賠償にあてて欲しい」そんな思いを持つ人もいるのだと知ってもらった。

第2回福島アンバサダープログラムで仮設住宅を訪問(2013年1月)

また、放射線に関する専門的な勉強をしている学生や、ジャーナリズムを勉強している学生も招待した。コロラド大の学生らは、視察の間じゅう「積算線量計」を持ち歩き、彼らの大学内の放射線量と比較したデータを、視察後に発表した。コロラド大内で測定した線量のほうが、視察した日のデータよりも高かったこともあったという。

アンバサダープログラムに参加する大学も、アメリカばかりではなく、ドイツ、中国、韓国などに増やしてきた。様々な国や地域から学生が参加するようになって、各国での政府の考え方や福島のニュースの報じられ方も違うということが実感できたと、マクマイケルさんは話す。

「たとえば、アメリカでも太平洋に面した西海岸などは、福島第一原発の汚染水の問題は頻繁に扱われますが、ほとんど報じられない地域もあります。ニューヨーク州の学生のなかには、福島の事故はもう忘れてしまっていて、自分はただ日本に来てみたかっただけだという子もいました。

また、ドイツの学生らは政府が脱原発を推進していることもあり、原発はよくないものと考えている印象もありました。

ほかにも、中国の学生は『日本の食べ物はもう大丈夫でしょう?おいしいです』と言ってくれましたが、韓国の学生は、『韓国の大学では、沖縄にすら留学しなくなっている。視察後に、このプログラムのことを発表する機会があったが、福島という言葉を出すだけで失笑されてしまった』と話すなど、国と国との関係が影響していると考えられることもありました。

しかし、プログラムを終えて帰る頃には意識が変わっていくのがわかります。原発の是非だけで判断するのではなく、福島の問題に目を背けず、グローバル規模で発生した問題をどう解決するか、論理的に自分の国の人に伝えるにはどうすればいいかという考えに変わっていくのを目の当たりにします」

第3回福島アンバサダー・プログラムで、がれき撤去ボランティアの後の記念撮影(2013年5月)

2015年度も、マクマイケルさんらは同様のプログラムを実施する予定だ。今度は文系の学生と理系の学生に分け、持続可能な社会づくりをテーマにした内容であったり、データや除染のテクノロジーだったり、サイエンス・コミュニケーションだけでは解決できない問題の難しさを考えてもらったりするカリキュラムを考えているという。

これまでと同様、プログラムには福島県内の各地の大学の生徒も参加し、海外の生徒ともに各地を回ってもらうことで、海外の方の考え方に触れる機会としても活用する予定だ。

自身ができることをやることで、これまで福島の人から受けた恩を返したいのだとマクマイケルさんは話す。

「震災当時は、海の水をスプーンですくって外に出すような、問題は果てしなく続き、終わりがないかのように感じていました。

しかし、これまで海外で講演したり、海外の人たちに福島に来てもらっているうちに、ちょっとづつ、福島に対するネガティブなイメージも変わってきていると感じます。少しずつ福島のファンを増やして、新渡戸稲造のような人を増やしていきたい。僕も福島と世界の“橋渡し”となるよう、福島の情報発信をライフワークとして取り組んでいきたい」

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