「日本人です、ということを取っ払っちゃえ」紀里谷和明がハリウッドで映画を撮って思ったこと

「アメリカは、お客さんがシビアなんだと思う。もっと大きいもの見せてくれて、もっとすごいもの見せてくれっていうのが、欲求がすごいんだと思う」

11月14日、映画『ラストナイツ』が全国で公開される。

『ラストナイツ』は忠臣蔵を下敷きとし、主演のクライヴ・オーウェンが主君、モーガン・フリーマンに忠誠を尽くす騎士たちの物語。伊原さんは、暴虐の限りを尽くす大臣に仕える騎士として、クライブと対峙する、いわば敵役を演じた。

ハフポスト日本版編集主幹の長野智子が、監督を務めた紀里谷和明さんと、出演した伊原剛志さんに聞いた。

――伊原さんのイトーって役、すごく感情が難しいですね。クライヴ・オーウェンと、モーガン・フリーマンの主従関係をどこかうらやましいなと思いながら、自分には主君がいて、そちらが絶対だという。

伊原:自分の忠誠心を全うする、というね。

――表情もわりと抑え気味で。監督からそういう指示はあったんですか?

伊原:うん、最初に打ち合わせをして、「伊原さんの役はすごい実は重要で、主人公と対比する役で、悪の側についてしまったがために揺れるところもあるけれど、自分の主人に対して、忠誠を尽くさないといけない。それがたとえ悪であっても」と言われて、「あっ、わかりました」と。

――日本人の方が主従関係の感覚がよく理解できるところって、ありますよね。

紀里谷:うん、やっぱりクライヴと伊原さんの役っていうのはもう光と影みたいなところで、どっちが欠けても成立しないんですよ。その対比がとても重要だったんですね。そもそも、日本の侍の世界っていうのは主君に対する絶対的な忠誠心と、同時に相手に対しての敬意を持って戦っていたわけですよね。

――敵に対しても。

紀里谷:そうです。だから上杉謙信と武田信玄もそう。「敵に塩を送る」っていうのは、リスペクトがあるから。必死に殺し合うけれど、そこには敬意が存在する。それを描きたかったんですよ。伊原さんとクライヴは、本当は友達になれたかもしれない。

――観ていて、仲良くなってほしいなって期待はありました(笑)

紀里谷:うん。クライヴと伊原さんの恋愛なんだよね、これ。ロミオとジュリエットも、たまたま違う家族に生まれてしまったがために恋愛が成立しない。それが最後にクライヴと伊原さんが一対一で対決する時にお辞儀で始まるっていうシーンにつながるんだけどね。まあ、これ以上言うとネタバレになっちゃうね(笑)

■どうしてこんなにキャストが豪華なの?

――話題を変えましょう(笑)。クライヴ・オーウェンに、モーガン・フリーマン。こんな豪華なキャスト、どうやって集めたんですか?

紀里谷:アメリカのプロデューサーと話していて、でっかいことやろうと思うとやっぱり、お金集める必要があるよね、と。お金出す側からすると「じゃあ誰が出るの?」って話になるわけです。で、キャスティングが始まって、僕はそもそもクライヴ・オーウェンでいきたいと思っていた。

大好きな役者で、たまたま同じ事務所だったから、エージェント通して脚本を送ってもらったら、クライヴが「すごくいい」って言っている、と。その時に彼は上海映画祭にいて「今、上海にいるから、どうする?」って言われたんで、飛行機飛び乗った。着いた次の日に会う予定だったんだけど、たまたま行ったバーにクライヴがいて、自己紹介したら「おお、キリヤか、飲もうぜ」と。

クライヴがいろいろ聞いてくるわけです。これ日本の話だけどチョンマゲつけるのか、とか。元々の脚本が日本人前提になってて、大石内蔵助やら切腹やら、そのまま入ってたからね。

いや、そのままやるわけじゃないよ、って説明した。脚本は武士道の話だけれども、ヨーロッパには騎士道があるよねって。そんなことを一晩中話して、数週間後、クライヴから直に電話があって、「やりたい」って言ってくれたんだよね。本当にうれしかった。もう飛びはねちゃったよ、家で。

――へえ(笑)

紀里谷:で、クライヴが出てくれるとなると、資金集めも楽になる。そこからクライヴと話して、バルトークつまり、浅野内匠頭の役を誰にしようって話になって、「あの役って有無も言わせずこの人のためだったら死ねるっていうような人じゃないと話が成立しないよね」ってクライヴも僕も。でも、ハリウッドでさえ見渡しても、なかなかね。

――人が……。

紀里谷:そんないないんですよ。最初から白人とか黒人とかアジア人とか人種関係なくやりたいって思っていたんで、それをクライヴに話したら「やっぱモーガンしかいないよね」って話になった。僕はモーガンに手紙を書いて、ちょっと時間がかかりましたけど最終的に出てくれるって話になったんですね。

――一人一人もう紀里谷さんがアクセスして、口説いていったと。

紀里谷:うん。だからハリウッドってやっぱ素晴らしいなと思うのが、事務所の力関係とかじゃなくて、一対一の関係性で仕事の話が進むところ。こっちが無名でも、プロデューサーは必ず1回は会ってくれるし、そこの一対一で何をしたいのか、何ができるのかっていうことですよね。だから、どんなに無名な人でも、たとえばそいつが書いてる脚本が素晴らしかったら、すぐにブラッド・ピットだろうが誰だろうが出るんですよ。

モーガンなんて、この作品よりお金もらえる役なんていくらでもある。そんな人がなんで新人監督の俺の作品に出てくれるのかっていうと、脚本の力だと思うんですよね。

■監督が救われた、モーガン・フリーマンの「一言」

――モーガン・フリーマンに言われて印象的な言葉とかってありますか。

紀里谷:撮影の後半になってくるともう精神的にも肉体的にもボロボロになっていく。裏ではいろんなトラブルもある、それも解決しながら演出してる。そんな中で、もう向いてねえなと思い始めちゃって。映画にも、監督にも。俺、ダメなんじゃないかなと思ったの、監督として。

――えっ、CASSHERNの時もGOEMONの時も思わなかったような挫折?

紀里谷:前の時は思わなかったのが、今度は追い込まれて、出た。その時に、これ終わったらもうやめようと思ったんですよ。本当に。

そんな気持ちで数日後にセットに行ったらモーガンの最終日で、俺がボーッとしてたら彼がどういうわけか歩いて来てくれて、「お前、大丈夫だから」って言ってくれたんですよ。俺、何にも言ってないのに。「監督して大丈夫だから」って。それで「頑張ろう」「続けよう」と思った。

――その一言で。

紀里谷:うん。でね、「これから先、もっといい監督になるにはどうすればいいのか」って聞いたら、「Listen.」(※編注 「聞きなさい」の意味)って、それだけ。これを和訳したくないけど、とにかく「Listen」って、That’s all.って言って。それだけ。

――すごいですね。一番いいタイミングで監督に近づいて。

紀里谷:だからたぶんね、アップアップに見えたんだと思う。でも、監督だから周りに言えないんだよ。クルーにも言えないし。いくら伊原さんが日本人だからって、言えないし。

――孤独なんですねえ。監督ってね。

紀里谷:そう。現場行ってる人たちは、それは見てりゃわかるよ。

――テンパってましたか(笑)

伊原:いやあ、テンパってるっていうか必死でしたね。僕らは現場でいる時しか見ないけど、必死にエネルギーを使ってるって感じでしたよね。だからみんなやっぱり助けたいと思えたりとか、自分がちゃんとやることによって、そこに向かっていくんだって思えたんじゃないかな。

――必死。

紀里谷:うん。だから助けてもらったっていうのが、きれいごとじゃなくて本当に思う。で、それはアン・ソンギもそうだったし、クライヴもそうだし伊原さんもそう。

――いやあ、でも本当にCASSHERNとかGOEMONともまったく違う映画ができあがりましたねえ。

紀里谷:うん。でも、同じなんですよ。本質的に言ってることは俺、変わってないと思っていて。

――そうなんですか。

紀里谷:うん。大事なものは何なのか。その大事なことを見失ってしまって、権力の介入を許してしまった時、個人は何をできるのか。

組織や権力の中で葛藤する個人というのは、今の日本にもアメリカにも、世界中のありとあらゆる国家、もしくは人間社会が、長年歴史を超えて繰り返してきた疑問だと思うんですよ。あなたはどうするんですか。あなたが守りたいものは何なんですか。そのために何を差し出しますかっていう疑問じゃないですか。

――うん。何を捨てて何を取るかってことですよね。

紀里谷:そう。その取るものが形ではないものなんですよ。形があるもの、それは体、もしくは命という形があるものを差し出す代わりに、あなたは形のないものを得ます、っていうようなテーマだと思うんです。

実はその形があるものよりも形がないほうが重要なわけじゃないですか。それは愛であったりとかやさしさであったりとか正義であったりとか真実であったりとか。ただそのやり方がちょっとね、時代や、国によって違うよねっていう感じだと思うんです。

■ハリウッドから見た、日本

――なるほど。お二人とも日本の映画界も知っていれば、ハリウッドもご存知ですね。ギタリストのMIYAVIさんとか、世界で活躍してる方に話を聞くと、もはや日本では表現者としてビジネスをするのが難しい、というようなことをおっしゃっていました。日本に限界を感じますか。

伊原:30年ぐらいやってると、どうすればどうなって、大体こんなもんかなっていうのが見えてきてる。だから、ハリウッドだけじゃなくて、いろんな国でいろんな仕事をすると、それがわからなくて、自分が役者を志した時の感覚、不安とか、俺はやれるという自信とか、思い出しますよね。

ただ日本で役者でやってても、こんな作品やって、連ドラやって、たまに舞台もやってって、だいたい決められている。それは確かに、つまんないですよね(笑)

海外の仕事始めてからは、また違う自分がそこにはいる。ただ、国ってそんなに関係あるのかな、というのはあります。映画という共通のものを言葉の代わりにして、みんなとコミュニケーション取りながらやっていけるから。前のブラジル映画の時思ったんですよね。どこ行ってもカメラの前で芝居するし、脚本はあるし、そうすると、カメラ向けられた時にその位置だけで、「あっ、この監督が何を僕に求めてんのかな」って、わかるんですよ。よく監督に「なんでわかるんだ」と言われるんですけど、「だって、そこにカメラがこういう向きであるんだから、こういう映画撮りたいんじゃないの?」って。

――ああ。なんか日本にいるとブラジルもハリウッドも遠い世界だけど……。

伊原:1回現場入っちゃえば一緒なんです。やってることは。音声は音声でいるし、キャメラマンはキャメラマンでいっつもタフで、カメラ担いでるし。監督は監督でモニターの前にいて。雰囲気は一緒ですよ。

――単純に日本でいいなって思うのがなんで世界レベルにならないんだろうなっていう疑問が私にはあって。ハリウッドで一番だと世界で一番じゃないですか。別に日本で一番で世界で一番になってもいいのに、なかなかならない。この疑問って、紀里谷さん、どういうふうなとこに感じます?

紀里谷:やっぱり今回すごいこだわったのが、「王道」。ニッチじゃないということ。

アニメでもそうだし、漫画でもそうだし、今まで日本はハリウッド全体の中のニッチなところでウケてきた。そんな中で、王道のものを作るのがすごく重要だったっていうのが僕の中であるんです。もう、自分たちは日本人です、ということを取っ払うべきだと思うんですよ。日本人が自分たちにリミットを課してる。

――どういうとこに一番感じますか。

紀里谷:「私は英語がしゃべれないから」とか。サッカー選手が英語しゃべれなくたってサッカーできるじゃないですか。野球選手が英語しゃべれなくて大リーグ行けるじゃないですか。で、それを映画でやってるだけの話なんですよ。

「僕、英語しゃべれないから」とかいうことを自分で言ってるだけの話で、そういうの関係なくやればいいじゃんって思うし、僕からすると洋画とか邦画って関係ない。

たとえば、CASSHERNやり終わった時にエージェンシーからいろいろお呼びがかかって、ミーティングが組まれて、まずプロデューサーと話をしますよね。僕は15からアメリカ行ってるから英語しゃべれるんだけど、話をし始めると、「えっ、何?君、英語がしゃべれるの?」って聞かれるわけですよ。

――なるほど(笑)

紀里谷:一緒に仕事しようって向こうが呼んでるのに、こちらが英語がしゃべることすら知らないということは、そもそも問題がないわけですよ。

――壁じゃないわけですね。

紀里谷:向こうからすると、「そんなの関係ねえじゃん。そんなの」。英語しゃべれなくったって仕事しよう、通訳入れればいいだけの話って思ってるわけでね。気にしてるの、日本人だけなんですよ。

――ああ、これは大きいですね。

紀里谷:うん。だからこのことをわかってほしい。特に若い人たちにわかってほしい。自分に足りないことを自分で作っちゃだめ。そんなこと関係ないって。現地行って勉強すればいいだけ。しゃべれないのが理由でやらないとか、もったいないと思う。それが俺の意見。

――なるほど。ビジネス的にはどうですか。これぐらいの収益を上げられるっていう部分ばかりで物事を組み立てるから、映画を鑑賞する人であったり、視聴者であったり、音楽を聞く人が求めてるものしか作れなくなっちゃうという問題。

紀里谷:ハリウッドだって、ソロバンめっちゃ弾きますよ、彼らは。下手したら日本以上に。ビジネスも契約ごとなんかもめっちゃシビア。ご存知の通りね。でも、日本と違うなって思うのは、人と違うことをしたらもっと儲かるかもねっていうマインドがある。

――なるほど。事前に儲かった例がなくても、これまでなくて違ってるから、やったら儲かるんじゃないかっていう発想なんだ。

紀里谷:そう。アメリカ人で見ててすっごい思うのが、とにかく今まで見たことがないものが欲しくてしょうがない。とにかく見たことなけりゃまずOKみたいなとこがすごいある。

――日本はやっぱり見たことあるものじゃないと安心できないんでしょうね。

紀里谷:安心しない。あとは、どれだけロスがないかっていう考え方なんだと思う。日本人って。どれだけ損がないかっていうことをまず考えちゃう。リスクのほうをミニマムにしようとするから、アップサイドもそんなにないってことでしょう。

アメリカはとにかく当てたい。ホームラン打ちたいわけ、みんな。ホームランを打てるやつはいっぱいいるけれど、もっと大きいホームランのためにそうじゃないやつを連れて来ないといけない。ヒットしてる人も数年後にはもういなくなっちゃうから、常に新しい才能を見つけようとしてるっていうことなのかもしれない。

――ある意味怖いですよね。

紀里谷:怖い、怖い。ホームラン打たなかったら、退場になっちゃうから、すぐベンチだよ。

――大丈夫ですか?

紀里谷:わかんない。

日本と、そこは大きく違うと思う。見上げたもんだと自分で思ったもん、行ってみて。今まで1本しか撮ってない日本の監督になんでプロデューサーとか、配給会社のトップが出てきて、こっちが言ってることじっと聞いてるわけですよ。それでいきなり、「ちょっとこの本読んでみて」とか言われて話が進むんだから。これはすごいなと思った、俺。

――オリコンで1位から10位まで同じような曲が並んでるとか、同じような感じのキャスティングの映画が流れてる日本とは違う。

紀里谷:たぶん、アメリカ人が見たら、それ、ビジネスチャンスなんだよ。こんなに同じもの並んでるんなら、まったく違うものをハイクオリティで出せば絶対に勝てるっていうマインドなんだと思う。

――これだよ。日本は今の一位と同じもの作るんですよ。

紀里谷:そう。アメリカは、お客さんがシビアなんだと思う。移り変わり速いし、もっと大きいもの見せてくれて、もっと速いもの見せてくれ、もっとすごいもの見せてくれっていうのが、欲求がすごいんだと思う。

――日本でも、そういう風にならないですかね。

紀里谷:いやいやでもね、すごく言いたいのが昔は日本、できてたんですよね。本田宗一郎さん、盛田昭夫さん、井深大さん、高度成長期を支えた日本人って、単純なんです。本田さんなんてすごい世界で一番速いバイクを作りたいってそれだけ。もうあとは知りませんって、必死になってやっていって、今のHONDAができあがるわけじゃないですか。TOYOTAもそうだし。SONYだって世界中にトランジスタラジオ売りに行くわけですよ。わかんないですよね、売れるかどうかなんて。でも、行くわけですよ。行って売り始めたら、こういうことになっちゃったって言って、あのいわゆるバブルにつながって、とにかく日本が、あの焼け野原から短期間であそこまで行くわけじゃないですか。

で、俺はそう思う。日本はちゃんとできてたの。できてたけど、その作った人たちのあとを継いだ人たちがそれをどうやって継承するかっていうことばかりにこだわっちゃって、その時にどうやって守るのかって、その守りに入っていくわけですよね。

なるべく損がないような製品を作っていこうと、なるべくお客さんがわかってくれるものを作ってもらおうっていうような目線になってくわけじゃないですか。その人たちからは何も始まらないんですよ。それがいつからかお客さんがほしいものって何なのかなって考え始める。

それに対してアンチテーゼを出したのがスティーブ・ジョブズ。客がほしいものなんかわかってないんです、見せるまで。だから、自分たちが作りたいものを作る。僕はそれをすごく大事にしようとしている。わかんないよって、お客さんの反応なんて。だったら自分たちが何だったら盛り上がるのか。そのためだったら死んでもいい、命落としてもいいって言えるぐらいの情熱を燃やせるような作品ではない限り、僕はタッチしないっていうことなんだと思う。

もちろんさ、ハリウッドでもアベンジャーズ2とか3とか、そういう世界もあるんですよ。でも、同時にインディーズシーンがあって、情熱を持った奴がいろんなもの作って、それがヒットしたりするわけじゃないですか。だから日本もそういうこと、もっとやるべきですよ。日本の状況だけ見たら難しいかもしれない。単館系とかもなくなってきちゃってるしね。だったら中国行こうよとか、アメリカに作りに行こうよっていうのが、僕が今やってることでしかないんだよ。ただ単に、日本に状況がなかったら外に出て行こうよっていう気持ち。それだけで作っているよね。

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