行政まかせにせず、地域の課題に住民たちが楽しみながら取り組む。その積み重ねこそが地域の大きな力に育っていく―—。そんなコンセプトで地方創生に取り組んでいる県がある。佐賀県だ。
2015年1月に就任した山口祥義佐賀県知事が、まず最初に取り組んだ事業。総務省で、過疎対策室長を務めた経験が、このコンセプトに生かされている。
住民が自ら考え、地域で自発的に取り組む事業に、立ち上げに必要な経費の9割を交付する「さが段階チャレンジ交付金」。何かを始めたいが、立ち上げの資金がない人々の背中を押す。ただし、ゆくゆくは行政の手を借りずにやっていく意欲と、持続可能性があることが条件だ。
2015年度、「さが段階チャレンジ交付金事業」では、400件以上の応募の中から、255件が対象事業として選定された。人々がさまざまな思いを“形”にする取り組みを追って、佐賀県を訪れた。
世界初の“ボンドアート”で、人を、街をつなぐ(冨永ボンドさん)
移住者、Uターン、長年にわたり地元を見つめてきたシニアたち。このプロジェクトに取り組む人々の層は、バラエティにあふれている。
まず、隣県の福岡から移住してきた若者を取材した。
「木工用ボンド」を使って立体的に描くボンドアートという独特の作品づくりを展開している冨永ボンドさん。福岡で活動していた冨永さんが、佐賀県多久市に拠点を移したのは約1年半前のこと。結婚を機に移住したこの街で、さまざまな偶然が繋がり合い、その才能が磨かれたのだった。
多久市は、落ち着いたごく普通の街。そこに若者が“遊べる場”を作りたかったという冨永さん。自身の作品をストックしておくために借りた倉庫兼アトリエに、ビリヤード台やターンテーブルを置き、バーカウンターを自作した。作品づくりだけではなく、人が集まってコミュニケーションできる場として、そこを“ボンドバ”と名付けた。
月に1回一般開放し、作品展示のほか、ボンドアートの体験会も行う。口コミで広がったこの場所に、人が人を呼び、今では県内外から毎回100名近い参加者が集まるほどの盛況ぶりに。
アートを通じて、地元の商店街に彩りを
そんな冨永さんのもとに地元の協議会から街づくりに力を貸してほしい、という相談がもちかけられた。大型量販店の出現により駅前の京町商店街は閑散とし、人通りはまばら。80軒ほどの店舗のうち、実際に営業しているのは10軒ほどしかなかった。
冨永さんは、閉まったままのシャッターや、店舗の壁面などに絵を描くウォールアートによる観光促進を提案した。元多久市美術協会会長の甲斐藍子さんとの出会いがきっかけとなり、街づくりを「エノグアートプロジェクト」として立ち上げることになったのだ。
しかし、思い通りには行かなかった。「アーティストの仲間たちにも声をかけて準備を進めていたのですが、いざ、アイデアを出してみると、“奇抜過ぎる”、“原資はどうする?”といった声が多く聞かれ、何もできないまま時間が過ぎて行きました」
そんな中、冨永さんは、佐賀県の「さが段階チャレンジ交付金」を知り参加を申し出た。交付金をもとにホームページやパンフレットの作成などを行い、地道な情報発進を続けていると、多久市の商工観光課や一般社団法人たく21といった団体から、徐々に応援が集まるようになったという。
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活動は、地道なものだった。冨永さんが、アーティストと場所とをマッチングし、完成イメージを作成、場所の提供者との打ち合わせを重ねた後にようやく着手する。
そのプロセスには時間と手間を要した。冨永さんのその真摯な姿勢は次第に共感を呼び、作品が一点、また一点と仕上がって行く。彼の活動を見守っていた、先述の甲斐藍子さんは当時を振り返りこう語る。「初めてボンドさんにお会いした時、その瞳を見て本気だと感じました。よそから来た若者が街づくりに汗をかいて下さっているんだから、地元にいる私たちも頑張らなきゃ!という思いにかられました」。
反対意見も多かった商店街からは、「よかったら、うちの壁にも」という声が日に日に増えはじめたのだ。「さが段階チャレンジ交付金」によるサポートと、彼らの情熱が実を結んだ瞬間だった。
目指すは、アートで医療福祉を明るくすること
海外で開かれるアートフェスにも積極的に参加している冨永さんが、アーティストとしてさらなる高みを目指し、力を入れている分野がある。それは医療福祉。きっかけは作業療法士である奥様との出会いだった。
「僕が昼間勤務している大学では、アートセラピーのサークルがあります。アートセラピーは日本では認定資格ですが、ヨーロッパでは国家資格として認められているんです。作業療法士である奥さんから、そういった話を聞いているうちに、ボンドアートを医療の場でも役立ててほしいと思うようになりました」
知覚障害をもつ子どもが感じてくれた、作品の“手触り”
ボンドアードには失敗がない。始まりと終わりがハッキリしているから達成感が得られやすい。必要なのは技術じゃない。心があれば誰でも楽しめる。―—ボンドアードの特徴に気付いた冨永さんが、ある福祉施設を訪れたときのエピソードを話してくれた。
「視覚障害の子供がボンドアートを描いてくれました。もちろん、描いた本人に作品は見えていません。はじめは消極的だった子が、ボンドが乾いて、作品に触れた時“カッコイイ!”って、すっごく喜んでくれたんです。手触りでボンドの凸凹が感じられたのです」
「なんでこんな田舎に?」じゃなくて「いらっしゃい」って言ってほしい
点と点、線と線、そして人と人。文字通り、自身が“接着剤”となって繋がり合う中で、新たな可能性を見出してきた冨永さん。しかし、ここ佐賀県において、自分は“よそ者”であることに変わりはないと語る。
「僕は多久の文化を知らないし、ここに伝わる昔話も知らない。でも僕らが、この街からアートを発信し続けることで、人を集めることはできるはず。そのときは、地元の皆さんが多久の文化や歴史を伝えていってほしいんです。
地元の方たちからよく“どうして、こんな何もないトコに来たの?”と聞かれるんですけど、わざわざ来てくれた人に対して失礼だと思いませんか(笑)。だから、まずは地元の皆さんが“いらっしゃい、よく来たね”と、言えるようになること。それが街づくりのスタートだと思います」。
現在制作が進められているウォールアートは、本年度中に12カ所が完成、来年度には100カ所の完成を目指している。
「いらっしゃい、よく来たね」。そんな言葉を街のあちこちで耳にする日は、それほど遠い話ではないはずだ。
「最近、子供が生まれたんです。自分の子供にとってはここが地元になるんですよね。そう思うと不思議と愛着が湧いてきます」(冨永さん)。
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馬に魅せられた男が作る、里山を活かした地域循環のしくみ(永松良太さん)
写真提供:「江北町あの人がこの街で暮らす理由」
次に訪れたのは、Uターンして、引退した競走馬と共に地域の活性化に取り組む永松良太さん。子供の頃から馬が大好きだった永松さんは、一時はジョッキーを夢見るも、体格が基準と合わずに断念。しかし、馬と繋がりのある仕事に就きたいという思いから、高校卒業後は県外の競馬場の厩舎に勤務した。
より深い知識を身につけるべくアイルランドへ渡ったときに、強烈なカルチャーショックを受けることになった。
「馬と人との距離感が近いことに驚きました。道端で競走馬の姿を見かけたり、“馬が通るのでご注意”なんて道路標識が立っていたり。この環境の違いに大きな衝撃を受けました」。
競走馬だって、引退後は人間と同じように、余生をのんびり過ごす場があっても良いのでは? 次第にそう思い始めた永松さんは厩舎を離れ、2008年に生まれ故郷である佐賀県の江北町(こうほくまち)にホーストレッキングやホースセラピーで、馬と人がふれあえる場所として「CLUB RIO」を創設した。
CLUB RIOには、元競走馬のマックスと、ポニーのジュジュという2頭が静かに暮らしている。江北町は内陸に位置するため海岸とは縁遠いが、正面には水と緑に囲まれた美しい風景が広がる。
天然資源で“土のオーブン”を手作り
裏山では焼き物に適した土が取れるなど、文字通り自然の恵みに溢れている。この新堤周辺の魅力をより多くの人に伝えたい、という想いのもと、友人の陶芸家や地元の有志たちと共に「さが段階チャレンジ交付金」を活用して永松さんが行ったのが「里山ぐるぐる」と、裏山の土を使ったオーブン作りのワークショップだ。
江北町の自然を楽しむ「里山ぐるぐる」では、森の中で馬に乗りながらのトレッキングや、カヌー体験など様々なアトラクションを用意し、県内外から600人以上の来場者が押し寄せた。ワークショップは、土を採取してレンガを作り、窯の組み立てなど、半年に渡り開催。平日の開催にもかかわらず、毎回20名ほどが集まり期待を上回る反響が得られたのだ。
「僕が目指しているのは、馬を中心に置いた地域のヒト・コト・経済・価値観が循環する環境づくり。例えば、土のオーブンはすべて自然の材料で作られているので、不要になったらまた土に還すことができます。足を運んで下さる人と人との循環にもなります」
何もないところからコミュニティが生まれ、育てる過程を楽しみながら、馬と地域の魅力を伝えている永松さん。馬と人が、心でつながる未来を創造する彼の瞳は、馬と同様に輝いて見えた。
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地道な努力が、美しい風景を生んだ(永原光彦さん)
撮影:永原光彦
最後に紹介するのは、地元を長年に渡り見つめ活動してきた、70代の永原光彦さんだ。
地域の活性化というと、目新しさにヒントを求めてしまいがちだが、「ここにあるもの」を活用し、成果を挙げているケースだ。舞台となっているのは、佐賀市内中心部にある佐賀城のお堀だ。
今でこそ春には桜が、夏には美しいハスの花が美しい憩いのスポットとなっているが、その風景は一時消え去っていた。
20年ほど前からハスが減り始め、2007年には全滅。原因を詳しく調査してみたところ、ミシシッピアカミミガメという外来種による食害だとわかった。
その無惨な光景に心を傷めた永原さんは、佐賀城公園ハス再生実行委員会を創設。お堀の水を一部抜き、底面を清掃した後、ハスの苗の植え付けを実行。水を戻した後も手作りの罠でカメの駆除を行なった。この地道な取り組みにより、翌年8月には淡いピンクのハスが開花。見事、懐かしの風景を蘇らせることに成功した。
ドンコ船の遊覧体験が、笑顔が集まる観光スポットに
この取り組みが思わぬ展開をもたらす。お堀に調査船を浮かべ、ハスの発育状態や水中の生態系を観察していたところ、散歩中の人たちから「私も乗りたい」と声をかけられた。お堀の中からハスや佐賀城の姿を眺めるのも面白いと感じた永原さんは、「さが段階チャレンジ交付金」を利用して観光船事業の立ち上げに着手した。
“ドンコ船の遊覧体験”、この告知を地元の佐賀新聞に載せると、問い合わせが殺到し、船の上で弁当を食べながら懐かしの風景を楽しむ人々で盛況となった。
普段、足を踏み入れることのないお堀をゆっくりゆっくりと船でゆく。見慣れていたはずの街並みは、船上から眺めると、また一味違う優雅な雰囲気を醸し出していた。
永原さんはこのドンコ船遊覧を観光の新たな目玉にしたいと考えているが、料金の設定や維持管理など課題は少なくない。しかし「さが段階チャレンジ交付金」で取り組んだこの一歩は、ファーストステップとしては十分過ぎる手応えだと永原さんは感じ、今後のプランを練っている。
満開の桜を眺めながら、朝の清らかな空気を吸いながら、そして夏の美しいハスの間を行きながら……。幻想的で新しい佐賀の魅力を楽しめる日もそう遠くはなさそうだ。
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寂れたシャッター商店街、引退した競走馬、彩りを失ったお堀……。身近にある隠れた資源に目を向け、少しずつ地域の輝きを生み出していく。それは一見地道な取り組みだが、人々が手を取り合うことで確かな形が見えはじめている。
さまざまな表情を持つ人々の心の豊かさや、情熱こそが、佐賀県の最大の資源なのかもしれない。ここ、佐賀県に暮らす人々が、自ら取り組む新たなチャレンジの中に、地方創生に向けたヒントがありそうだ。