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2016年04月02日 11時12分 JST | 更新 2016年04月11日 10時28分 JST

90年代のゲイブームを牽引した大塚隆史さん、LGBTを語る「一過性で終らせないために、すべきことがある」

同性パートナーシップ制度の導入の動きが全国で広がるなど、ここ最近、LGBTなどの性的マイノリティの話題が注目を集めている。じつは四半世紀ほど前、1990年代にもゲイが大きく取り上げられた時期があった。

雑誌『CREA』が1991年2月号で「ゲイ・ルネッサンス91」特集を組んだことに端を発する、いわゆるゲイ・ブームである。このゲイ・ブームを当事者の一人として牽引していたのがクリエイターの大塚隆史さんだ。

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大塚さんは1970年代からラジオの『スネークマンショー』にゲイのパーソナリティとして参加。90年代以降、ベストセラーとなった別冊宝島のゲイ3部作『ゲイの贈り物』『ゲイのおもちゃ箱』『ゲイの学園天国』の編集に携わり、多くの著書でゲイについてのポジティブな情報を発信してきた。1982年に新宿でオープンしたバー「タックスノット」には多くのゲイが集まり、大塚さんはよき相談役になっている。

長きに渡り、世界と日本のゲイの動向を見てきた大塚さんの目に、現在のLGBTをめぐる世の中の動きはどのように映るのだろうか。大塚さんに話を聞いた。

■1990年代、ゲイブームの頃のこと

−−1990年代に起こったゲイブームの際、大塚さんは送り手の側としてその真っ只中にいたわけですが、どんな状況だったのでしょうか。

ゲイの側としては、待ってましたという感じだったんですよ。僕は70年代の終わりから80年代までラジオ『スネークマンショー』でゲイのパーソナリティをやっていて、それを聴いて影響を受けたというゲイは多かった。評論家の伏見憲明さんも『プライベート・ゲイ・ライフ』を出版して、レズビアンの方たちの間でも自分たちのメディアがほしいという動きが出てきた頃。そういう素地が出来ていたところにブームがきたのでうまくいったのだと思います。

−−今はLGBTという言い方をしますが、当時はゲイという言葉さえそれほど当事者の間で浸透していなかったですよね。

1970年代後半、僕がラジオをやっているときに意識的にゲイという言い方をするようにしていました。その当時はゲイというと昔の“ゲイ・ボーイ”というお化粧しているような人たちのイメージが強かった。だからゲイって言葉を使いたくない、ホモって言葉のほうがしっくりくるっていう当事者の人も多かった。当時、ゲイっていう言葉を使ってたのは、アメリカで起こったゲイ・リブの情報に触れたことのある人たちでした。

−−ゲイ3部作の編集をされたのはどのような経緯からなのですか。

あれはもともと宝島社から伏見さんに話があったんです。伏見さんは「LGBTの人たちにはいろんな才能がある人がいるから、そういう人たちをうまく使えば面白いものができるんじゃないか」と考えて僕に声をかけてくれて、僕が編集者の小倉東さんに声をかけるという感じで進んでいった。待ってました! という感じでした。こちらでも“なにか出来ないか”と手ぐすね引いているところにちょうどあれが来たんです。

やっていて本当に楽しかったですね。こんなにたくさんLGBTの表現者がいて、こんなに面白いことが出来るんだな、と。僕はその時にはまだレズビアンの人たちとは親しくなかったんですけど。伏見さんは既にパイプを持っていて、あの本にはレズビアンについても取り上げられています。

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当時はまだLGBTという言葉では捉えられてなかったですが、ゲイ・リブというときのゲイにはレズビアンも含まれているという考えが伏見さんにはあって、共闘していかなければという気持ちがあったんじゃないでしょうか。それは伏見さんの先見の明だと思います。

宝島社の側からすると売れるという読みがあったから出したということでしょう。メディアをはじめノンケ(ストレート)の側の人たちも、ひょっとしたらゲイがおカネになるかなと思い始めた時期だったんだと思います。たしかにゲイ3部作の1冊目『ゲイの贈り物』はけっこう売れたんです。でも3冊目の『ゲイの学園天国』はあまり売れてなかったんじゃないですかね。だから初めはワーッと盛り上がったけど、それほどおカネにならないとわかったらスーッとひいていっちゃったというのが、90年代ゲイブームの印象です(笑)。

−−今、ゲイ・マーケットとかLGBT市場が注目されるのと似た状況だったのかもしれませんね。

だから、ゲイブームの時のようにしぼまなければいいなあと思っているんです。現状で、それほど大きなマーケット足りうるのかな、と。ブライダル産業や不動産業界、旅行業界がゲイに向けたサービスを考えたとしても、それを利用するのは、ほとんどカミングアウトして生活している人だけということになります。利用者の顔が見えなければビジネスにならない。LGBTとしての生活を顔を出してやっていくということと、マーケットとして成立するということは両輪になっているはずなんです。

だからカミングアウトという問題をクリアしていくことは重要です。LGBTの側がもっと顔を出した生活をするようになる前に、マーケットとして当て込んでる側の気持ちが冷めなければいいなあ、と思います(笑)。

■90年代、ゲイ・リブの動きもゲイブームに呼応

−−当事者が差別された「府中青年の家事件」(※)が起きたのが1990年で、裁判が起こされたのが『ゲイの贈り物』の出版と同じ1991年。日本のゲイ・リブの動きもゲイブームに呼応していたように思います。

(※)府中青年の家事件
1990年、動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)が東京都の府中青年の家を利用した際、同宿していた団体から差別的な扱いを受けたため、青年の家側に善処を求めるものの却下される。その後、OCCURが再び利用しようとしたところ青年の家は「青少年の育成に悪影響を与える」として拒否。1991年、OCCURが人権侵害にあたるとして提訴。1997年にOCCURの勝訴が確定した。

府中青年の家のことについて言うと、ゲイをめぐる色々な動きがある中、OCCURの人たちが宿泊を断られたことで言わば“向こう側のシッポを掴んだ”のだと思うんです。そのシッポを離さないで裁判に持ち込んだことで、見えてきたことがあったということじゃないでしょうか。

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−−ただ当時はリブに対する理解は、ゲイの間でさえ低かったですよね。府中青年の家裁判についてもコミュニティの中で賛否両論がありました。

リブはブスがやることだって言われてましたからね(笑)。モテない人たちがやってることだっていう認識も一部にはあったんですよ。

僕が新宿にバーをオープンしたのが1982年ですが、当時、2丁目で遊んでる人たちのほとんどが、いずれ女性と結婚するのが当たり前だと思っていた。結婚した後にどうやってうまく遊ぶかなんていうことがゲイバーで盛んに話題にされていたので、男同士の長い関係なんていう話をするとバカバカしいと笑われた。同性婚なんて発想すらありませんでしたね。

それぞれの事情もあるでしょうが、(ゲイであることを隠す)クローゼットであることが当たり前だった時代。そういう状況でリブのような、ゲイであることをオープンにしていこうという運動に接すると、自分の中で抑えていたものがザワザワと騒ぎ出すような感覚があったんじゃないでしょうか。だから余計に嫌悪感を持たれていたんでしょう。逆に言えば、気にはなっていたんだと思います。そう出来ればいいよなっていう気持ちもあったんでしょうね。

■LGBTが、社会的な顔をどうやって確保していくか

−−同性パートナーシップ条例など、現在またLGBTをめぐる動きが再び注目を集めています。ただ、ゲイのことが知られて行くにつれて、ゲイにとって話題にされたくないような部分も表に出てくる可能性があります。たとえば先日(2015年9月)も地上波の深夜番組でハッテン場について取り上げられたりしました。この番組で取材していたのは海外のハッテン場でしたが、これから日本についても話題になることがあるかもしれません。そういう部分をどう説明するかも、これからの課題ではないでしょうか。

セックスについて言えば、ゲイが特に乱れていてストレートの人たちが乱れていないかというと、それは疑問ですけどね。性的行動の突出したところを捉えて語ろうというのは、ゲイを“特殊な人たち”に押し込めようとする動きであり、ゲイに対するフォビア(恐怖症)が働いてるんだと思います。そして、そのフォビアは当事者でも内面化してしまっている人がいる。そういう人は、セックスについて取り上げられるとショックなのでしょう。

確かにゲイは妊娠するわけじゃないし、感染症のことはあるけれども、セックスをしやすい状態の人たちがいるから性的に活発に見えてしまうことはある。でもだからといって、結婚などの権利を抑えていいということはないし、そこをバーターにしなければいけないという問題でもない。

そこはちゃんと主張していかなければならない。そのためには、一般的な感覚を持ったLGBTがもっと前にでていく必要があるでしょうね。ゲイにもハッテン場なんか行かない人もいるけど、そういう人たちが前に出て行っていないから、性的に突出した人たちをほじくり返して、「ホラ、ゲイはこんなに特殊なんだ」って言われがち。

ストレートにも性的に自由な人はいるけど、そうではない人が前に出ている。セックスというパーソナルな部分ではなく社会的な顔を前面に出しているというだけです。その社会的な顔という部分をLGBTがどうやって確保していくかということなんじゃないかと思います。

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■避けては通れない性感染症の問題

−−べつに性的に乱れててもいいじゃないという立場も取りうると思うのですが。ハッテン場というのも、それはそれでゲイにとって大事な文化じゃないか、というような。

ゲイの場合、セックスを感染症と絡めて語られてしまうところにウィークポイントがあると思うんですよ。「こんなに感染予防のための情報が流されているのに危険なセックスをしているのは、あの人たちが特殊な人たちだからだ」みたいに言われてしまう。病気のことがなければ、セックスについてどうこう言われることはない。そういうことならノンケだってスワッピングやってるじゃないって言えばいいことなんでね(笑)。

性的に放縦だっていうゲイのイメージってちょっと古いんじゃないかとも思います。最近はセックスをそんなにしないっていう若い子も多いですよ。昔のゲイは世間に受け入れられず、押さえつけられていたことの反動で、なにか掻き立てられるようにセックスをしているようなところがあったと思います。でも、ゲイであることが受け入れられるとそういうことをする必要もなくなってくる。

−−ゲイのイメージも、時代に合わせて変わっていくのかもしれませんね。

もちろんいまだに抑圧感の強い人たちもいて、そういう人たちは、まだ性的にアクティブなんだと思います。セックスをすごくする人と、あまりしない人と二極化しているのかもしれません。

HIV感染予防に取り組んでる団体の人と話をすると「情報は一生懸命流しているし、必要なところにリーチしているはずなのに、なぜか感染率が下がらない」と言うんですね。どうも情報が届かないといよりは、耳を塞いでしまうような人たちがいるのかもしれない。それってフォビアとかそういう問題まで踏み込んでいかないとこれ以上先にいけないんじゃないか、という話をしています。

−−自身がゲイでありながら、社会のホモフォビアを内面化してしまっているために、自分の性を受け入れることが出来ずに生きづらさを感じている人も少なくないと思います。そういう、いまだに強い抑圧を感じているゲイが、その反動で、先ほど言われた「掻き立てられるようなセックス」に走り、そのために感染症の情報に耳を塞いでしまうということでしょうか。

そうですね。それを考えると、小中学校からセクシュアリティについて、きちんと教えて自分の性にネガティブな思いを持たせないとか、教育の現場でも性的マイノリティに配慮して、社会のLGBTに対する受け入れ度を向上させていくことが必要なのではと感じます。そういう取り組みをしないと、ただ感染率を下げることだけ考えても行き詰まるんじゃないかという関係者は多いですね。

一部の人であってもドラッグを用いた危険なセックスをする人がいるということと、それによる性的感染症の問題は本当になんとかしなければいけないと思うんです。ここはゲイにとって最大のアキレス腱になるんじゃないかと。一番、批難されやすいところですから。

今は世界的な同性婚容認の流れといったゲイに肯定的なニュースがたくさん流れている中で、世の中に「ゲイもありなのかなあ」っていう空気がある。だからゲイに対して偏見を持っている人たちが勢いを得て動ける状況ではないと思います。

ただ、なにかというと少子化がどうのと言葉を持ち出して押さえ込みたいという気持ちは、一部の人たちにはすごくある。そういう人たちのリアクションがこれから出てくるかもしれません。今のLGBTをめぐる動きを一過性のブームで終わらせないためにも、ゲイがすべきことがあるのではないでしょうか。

(聞き手・文:宇田川しい)

〉後編:「LGBTは、結婚を輝かせる最後の光」大塚隆史さんに聞く、同性婚の意義