イラストレーター「たつみなつこ」の名前を耳にして、ピンとくる人は少ないかもしれない。しかし、その作品を目にしたことのある人は、かなりの数に上るのではなかろうか。
やけに力強く太い線で描かれた舞妓や王様が、口元から風船ガムを「ぷく〜っ」と大きくふくらませる代表作。「バブルガム」シリーズは現在、様々な文具になり、全国の雑貨・文具店で販売されている。アイシングクッキー専門店には、彼女の絵柄を施したクッキー約100種がずらり。街の書店には、彼女が装丁画を描いた単行本が並ぶ。
日本で人気を博す彼女が今、世界に向けて作品を発信しようとしている。たつみは3月、イタリア・ボローニャで開催されたボローニャ国際児童図書見本市に参加し、海外の専門家に売り込んだ。
日本人アーティストが海外進出する理由とは? 海外の出版社やメーカーに、たつみの作品はどう受け止められたのか。イタリアに同行し、これまでの歩みを聞いた。
■デザイン科の授業で、創作活動の原点を思い出す
美大のデザイン科に進学したたつみの創作活動は、大学時代に本格的に始まった。
「本当は油絵をやりたかったけれど親の反対があり、悩んだ末、デザインの学科に進みました。学科では全体に、イラストレーションを描くことは軽視されていて、デザインを重視する傾向がありました。でも、絵本やイラストレーションをテーマにヘンテコな授業をする、三嶋典東(みしまてんとう)先生という方がいて。2012年に亡くなられましたが当時の授業は強烈で、デザインだけに道を絞りかけていた自分の中で『絵に戻るきっかけ』をもらったんです」
この授業は、長い棒の先にクレパスをくくりつけ、大判の紙に等身大の自分を描く。鏡の表面にセロハンを貼り、映った自分をトレースする。色鉛筆を手に、大きな紙に先を接したままダッシュする……。美大生にありがちな絵の「手慣れ」をはずすワークだった。
たつみはこれによって、幼少期に過ごしたアメリカのプリスクールで体験した、型にはまらない自由な工作の時間を思い出したという。
■「バブルガム」シリーズが誕生したきっかけ
大学卒業後、たつみはデザイン会社に就職した。デザイナーとして働きながら、休日を制作や展示に当てる忙しい日々を過ごす。
卒業から2年後の2009年、大学時代の同級生で一番の理解者でもあるイラストレーター・森野美紗子と、自身2回目の展示「ひとやすみ展」を都内で開催した。これが冒頭の「バブルガム」シリーズを生むことになる。
展示テーマは「ひとやすみできる時間をつくる」。デジタル頼りの現代のコミュニケーションの中で、あえて手紙という手段を選ぶことも「ひとやすみ」だと、たつみはポストカードとレターセットの制作を思いついた。
「さらに楽しさを上乗せするにはどうしようかと考えていたら、風船ガムの吹き出しが、ふいに浮かんだ」。卒業制作時に確立した黒一色の太い線で描くスタイルで、「バブルガム」を描くことにした。
「線はオイルパステルを使って、ギシギシ描くんです。紙に向かってこれでもかというほど力を込めて、ギッシギッシ。かっこいい線を描きたくて、探しながらやります。今も、それはまったく変わりません」
■東日本大震災をきっかけにフリーの道へ
たつみは2011年、新卒から4年半勤めた会社を辞めた。「ずっと絵を描いていたい、腕に磨きをかけたい。そのためにはプロになるのがいい」との思いが心にあった。
ふんぎりがついたきっかけは、東日本大震災。「自分がいつ死ぬかわからないと思ったら、今、もっともやりたいことをやるべき」だと、フリーの道へ飛び込んだ。彼女が発表した黒一色の「バブルガム」は、「かわいい」が氾濫する国内市場で輝きを放っている。
■「大衆」と「業界」で人の目に触れる
たつみは、自身の仕事の広がりについて、こう分析する。
「転機は、今のところ大きく三つです。まずは『バブルガム』シリーズのポストカードが流通にのったこと。その後、本の装画の仕事をもらったのが二つめ。三つめはアイシングクッキーのお仕事をいただいたことです。物販系のお仕事も書籍系も、それにより不特定多数の人の目に触れる機会がぐんと増え、その後の仕事に繋がっています」
では、それぞれ最初の仕事を得るまでの経緯はどうだったろうか。たつみは、クライアントへの営業活動も大切にしたという。
「地道に、制作会社などに売り込みファイルを見せていました。その会社に受けそうなものを選び、ページの流れを考えて作りました。もちろん、会社もなるべく自分の作風を気に入ってくれそうな所を選ぶんです。『イラストレーションファイル』(玄光社)にも掲載を続けています。掲載料が必要ですが、やはり企業側がイラストを発注する際、参考にされることの多い本ですから」
「『イラストレーションファイル』(玄光社)にも掲載を続けています。ここに載ることには憧れも大きかったし、実際に掲載後は仕事の声がかかりやすくなった。掲載料が必要ですが、やはり企業側がイラストを発注する際、参考にされることの多い本ですから」
人の目に触れそうな場で、積極的に作品を公開する。たくさんの人に会う。たつみは将来を見据えながら、可能性を広げる行動を素直に実行してきた。
「クライアントが何を求めているか、よりよく描くにはどうすればよいか。仕事を受けた時には、突き詰めて考えるようにしています。仕事に波があるのは、フリーだと避けられないこと。発注の少ない時は、わりきって散歩したり、展示や映画を見に行きます。リラックスの時間が、新たなインスピレーションのきっかけになりますから」
■ウェブ上に「入り口」をたくさん
また、現代の若手作家らしく、SNSを駆使する。FacebookページやTwitterのほか、最近は、海外の人にも見てもらえるように、Instagramを始めた。公式サイトのプロフィールにも英語表記を加えた。
「自分」という情報に行き着くための「入り口」を、ウェブ上にいくつも配置しておくこと。これもまた、人の目に触れる機会を増やす工夫だ。
フォロワーが実際に展示イベントに来訪してくれたこともあるという。公式サイトのプロフィールに英語表記を加えたのは、海外の視線を意識する現れだ。
■ボローニャ国際児童図書見本市に参加する理由
そんな彼女が2016年、イタリアで行われる世界最大の児童書見本市「ボローニャ国際児童図書見本市」に向かった理由は、海外進出への新たな方向を摸索するためだった。足を向けたのはここだけではない。見本市の前には、アメリカ各地を巡って来たという。
「今回のボローニャ国際ブックフェアには、様子を見る意味で来たのが大きいですね。絵本というキーワードに興味が湧いているのはもちろんだけど、まずはフェアがどういう場所で、自分はどう動けるのかを検討する材料が欲しかったんです」
「外国でも仕事がしたいとは、常々思っていて。日本は狭い国だから、世界に出れば単純に仕事が増えるだろうし、なにより視野が広がって楽しそう。それがここへ来た理由です」
■初めての国際見本市、「苦しかった」
海外出版社への売り込み 提供:森野美紗子
初めてのブックフェアは、彼女にとってどんな意味があったのか。4日間に渡るブックフェア最終日の夜。期間中、つとめてあまり多くを語らなかったたつみに、心境を聞いた。
「苦しかった」と、彼女は口を開いた。
「探るだけと思って来たけれど、周りのイラストレーターを見て、あまりの準備の違いに最初は焦ったなあ……。日本からは、最近の仕事のイラストを少しファイルしてきた程度。でも渡米中に描いたスケッチの方がこの場に合うと思って、印刷屋で急遽プリントアウトして売り込み資料を作り直したりもしました」
ブックフェアで壁にチラシを貼る
米国でのスケッチをコピーし、ファイルを作り直す
「1日目に出版社ブースで見てもらったけれど、合わない所に持っていっても『カラーが違う』と言われただけでした。お見合いと同じで、相思相愛でないと仕事が成立しない」
それからはフェア会場の端にある児童書の即売会場で、自作に雰囲気の近い絵本を何時間もかけて漁るなど、徹底して売り込みターゲットを絞る作業をしたそうだ。
「結局、見せたのは3社だけ。でも結果的に、絵本の仕事に対する今の自分を見つめられて、よかったです。私の中で絵本は圧倒的に未知の領域。これからどうするかは少し考えるけれど、即売会場でゲットした『かっこいい線の本たち』にヒントが隠れているのかもしれない」
そう言って、いつものカラッとした笑顔を見せた。数日間の低空飛行を、もうすっかり飲み込んで、また前進を始めたようだった。
「『見た人がちょっと楽しくなれる』ことを大事にしていきたい。ただ漠然と『絵』を描くだけじゃなく、プラスアルファの楽しみを加えたいですね」
寺島知春(ライター/こどもアプリ研究家)