バレエ界の抱える深刻な問題、世界を代表する振付師が語る

女性の成功を阻むバイアスは、悪意のないところにも存在する。

CHRISTOPHER FURLONG VIA GETTY IMAGES

女性の成功を阻むバイアスは、悪意のないところにも存在する。

イギリス人振付師クリストファー・ウィールドンが、新しい形のバレエを創ろうと奮闘する様子を描いたドキュメンタリー「ストリクトリー・ボリショイ(作品日本語名は「徹底的にボリショイ」)には、鳥肌の立つようなワンシーンがある。この作品は、ロシアに根付く、余り知られていないバレエダンサーたちの偏った常識を描いたものだ。

ウィールドンは、シェイクスピアの悲劇「ハムレット」をバレエにアレンジしようと苦心していた頃、ある休日にロシア西部のサンクトペテルブルグを旅することにした。

長年に渡り多くのロシア人バレエスターを送り出し、独特のロシア流バレエを教えてきた、約275年の歴史を持つ世界最高峰のロシアバレエ名門校「ワガノワ・バレエ・アカデミー」を訪れた。

ウィールドンは、この学校の中で特に行きたい場所があった。バレエの世界的大スターとなったミハイル・バリシニコフやルドルフ・ヌレエフらを輩出したスタジオ。現代のクラッシックバレエの基礎を築いたフランス人振付師マリウス・プティパが、名作「眠れる森の美女」を生み出し、稽古した場所だ。

ウィールドンは、自分が稽古をつけるときにそうするように、誰もいないスタジオの前で椅子に座り、その大きく歴史的な部屋を見つめた。ゆっくりと歩きまわり、バレリーナたちが掴まるバーに寄りかかってみた。まるでそのバーが話せたらいいのに、と願うかのように。鳥肌が立つひとときだ。

訪問したのはウィールドンが、ニューヨーク・シティ・バレエ団所属のダンサーだった頃のこと。

バレエ作品「眠れる森の美女」が公開されたのが1890年、プティパが死去して100年以上が経っていた。しかし彼が1800年代半ばから後半にかけて生み出したバレエのステップは、当時と変わらないスタイルで、もしくはアレンジされて、多くの振付師に引き継がれ、今日も世界中の舞台で披露されている。

最も有名で、愛されてきたバレエの名作「ジゼル」「ラ・シルフィード」「ドン・キホーテ」などは、プティパがいなかったら存在していないといっても過言ではない。彼がこの世にいなくなってから長い年月が経ったが、彼の振り付けは、永遠に続くように思える。

しかしウィールドンは、バレエ作品をつくり上げる時、永遠かどうかなどについて考えないと言う。

「今から百年経っても、自分の作品が舞台を彩り続ける可能性について考えたりするのか」という筆者の問いに対し、ウィールドンは「私のバレエは、世界征服のための大きな計画などではありません」と笑う。「私はただ自分の仕事をしているだけです」

それでも、その時代の最も著名な振付師として、彼の作品は世界中で上演された。超大作「冬物語」や「シンデレラ」から、フランスの高速鉄道を祝った「ディー・ジー・ブイ(超高速ダンス)」といった抽象性の高いコンテンポラリーな短編、劇場に映える美しいパ・ド・ドゥの(バレエダンサー2名で踊る)「アフター・ザ・レイン」に至るまで——。

彼はバレエの超一流の舞台で振り付けを手がけ、2015年にはトニー賞受賞作品となった「パリのアメリカ人」でブロードウェイでの成功を収めた。

ウィールドンは、英国ロイヤル・バレエ・スクールで練習を積んだのち、英国ロイヤル・バレエ団で踊った。その後、ニューヨーク・シティ・バレエ団に入団し、7年間その舞台に立った。その間、ソリストとして踊った作品も多く、バレエ団の実力は2位とされた。

その後2000年に、振付師に専念するためダンサーを引退。まさにバレエダンサーの頂点に立とうとしていたときに決断した引退だったが、ウィールドンは後悔していないと言う。

「どのみち、ダンサーとして続けていくことに先が見えなくなっていました」とウィールドンは語った。ソリストへの昇進は、長年バレエ団のために身を粉にして踊り続けた努力を労うためだと感じたし、その先に続く機会を提供されたわけではなかったのです、とも付け加えた。

「身体にムチを打ってダンスを続けていたので、私の身体は引退するという判断を喜んでいたように思います。私と同じ時代に舞台に立った仲間たちの中で、今引退しようとしている人たちもいますが、背中や足首を痛めてきたことで、彼らの身体はもうボロボロです」

「バレエダンサーから振付師に転身することは、恐ろしかったです」とウィールドンは続ける。「大きなキャリアの転機を迎えて、多くの人が感じるように恐ろしかった。でも、正しい決断だという実感がありました」彼は28歳で、もしかしたら世界を手中にできるんじゃないだろうかという、20代らしく向こう見ずな考えすら抱いていた。

翌年、ニューヨーク・シティ・バレエ団で最年少の専属振付師に就任した。当時は年配の振付師が2、3人おり、大きな世代交代が行われたタイミングだった。ウィールドンがニューヨーク・シティ・バレエ団で振り付けを手がけた舞台は、十数作品に上るだろう。

近年、彼は英国ロイヤル・バレエ団に戻り、「アリスの不思議な国の冒険」や「冬物語」、当時世間を騒がせたスキャンダルを描いた「マダムXの肖像」などの振り付けを指揮する。彼は、本当にバレエの世界を手の内に収めたのだ。

そんな彼は、バレエ界の抱える深刻な問題についてよく質問されるという。当然かもしれない。それは、クラッシックバレエにおける、女性振付師不足という根深い問題だ。

これはイギリス国内で何年もくすぶっている問題で、度々議論になる。2016年初旬には、イギリスを代表する現代ダンスの振付師アクラム・カーンが、女性の振付師を増やすためだけに女性への機会を増やすのには反対だと表明し、大きな物議を醸した。

女性振付師は長年、業界の不平等な給与水準について声を上げ、名門バレエ団に振付師として活躍する道を閉ざされてきたと抗議してきた。同じことはアメリカにも言える。

ウィールドンがニューヨーク・シティ・バレエ団を離れると決めた時も、公認の振付師にはジャスティン・ペックという男性が着任した。2015年に21世紀を代表する振付師を紹介する場で、同バレエ団の紹介作品に女性振付師のものはなかった。

2016年は、短編の2作品のみ女性振付師のものを紹介するという。ニューヨーク・シティ・バレエ団のライバルのリンキン・センター・プラザやアメリカン・バレエ・シアターなども女性振付師による作品はわずかだ。

女性振付師がいないのは深刻だ。なぜならば、ウィールドンが名振付師プティパのスタジオで抱いた畏れにも近い感情は、振り付けが永遠に息づくものだと確かに感じたからだ。

バレリーナ(の魅せる舞台作品)は芸術表現のかたちであり、舞台衣装のチュチュやポイント・トゥは最もわかりやすい象徴だ。芸術の知識を受け継ぐ素晴らしい教え手には、女性たちもいる。

しかしバレリーナとしてのキャリアは20年も続けばいいものだし、教えられる人たちもいずれ亡くなってしまう。しかし振り付けは違う。書き残すことができるし、同じバレエでも、振り付けは、人の生きられる時間や、ひとりの人間の知識の範囲を、遥かに超えていくことを意味する。

女性が、長いバレエの歴史から切り離されていることは問題だ。芸術を表現する身体が女性のものであるのに、その身体を動かそうとするのは、ここ数世紀もの間、ほとんどが男性だったのだから。

バレエダンサーは入れ替わりが激しい。一方で振付師は長い間その座に留まることができる。性差が理由でバレエのキャリアにおける権利が一方的に奪われるべきではない。

「それは幾度となく問題視されてきました」と、ウィールドンは男性優位の振付師業界について話す。「人々は激怒し、どうにかならないものかと暗中模索しています」

バレエ業界の、女性の振付師を支援することを非難する偏見は、彼が若い頃も蔓延していたが、声を上げて、その問題を表立って指摘する人はいなかった。そして、新しい作品や上演プログラムを任せるのに、女性が除外されていたことを問題視する人もいなかった、とウィールドンは言う。

「アートディレクターは誰ひとりとして、『この女性にかけよう』とは言いませんでした」と彼は考えながら話す。「伝統的なこの業界は、女性が男性のように振り付けに挑戦することを良しとしなかったのです」

「しかし、特に最近、それを変えようという動きが活発になってきたと強く感じます」私は振付師を目指す女性に応援していることを伝えることくらいしかできていませんが、と彼は続ける。

ウィールドンは、そんな女性たちのメンターを買って出ることもあるが、出張が多く、思うほどできていないのが現実のようだ。それでも、彼は、振付師になることに興味のあるバレエダンサーがいるとアドバイスをする。時には実際にチャンスをくれるかもしれないアートディレクターを新米振付師に紹介することもあるという。

女性たちが適切な技能と将来へのビジョンを持つことができれば、バレエ業界の男性優位は変わるはずだ。

「振り付けに性差は関係ないはずです。結局、才能がすべてだから」

クリストファー・ウィールドンの次のプロジェクトは、シカゴにあるジェフリーバレエ団の「くるみ割り人形」だという。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

▼画像集が開きます▼