イギリスのイングランド南東部バークシャーにあるレディング修道院跡には、ノルマン朝の王ヘンリー1世が埋葬されているとみられ、専門家による遺骨の調査が開始された。ヘンリー1世は駐車場の下に埋葬されている可能性もあるという。
ヘンリー1世は、ノルマン朝初代の「征服王」ウィリアム1世の末子で、1100年の戴冠時に前王の統治の誤りを認め、教会に自由を、貴族に王の封建秩序の遵守を、民衆に罰金の軽減と平和の確保を約束した「自由憲章」を発布したことで知られている。
ヘンリー1世は、妻と共にレディング修道院の主祭壇に埋葬されていると言われていた。
この修道院は、清教徒革命を主導したクロムウェルの進言により、イギリスの宗教改革の一環としてヘンリー8世が発令した修道院解散の時代に破壊されたが、この修道院に何が起こったのか、明確な記録は残っていない。
ヘンリー1世はレディング修道院の主祭壇に埋葬されたとされている。
デイリー・テレグラフによると、調査チームが地中レーダーを使って修道院の地中の調査を開始した。調査チームはセント・ジェームズ教会付近の地中の調査を開始し、今後はレディング修道院、フォーブリー庭園やレディング獄舎の地中の調査も行う。
地元の学校の駐車場も、ヘンリー1世が埋葬されている可能性のある場所として考えられてきた。
BBCによると、今回のプロジェクトチームのジョン・マラニー氏は、「今回の調査で、ヘンリー1世について知られていなかったことが明らかになるでしょう。非常に多くのことが分かるかもしれませんし、それほどのことは分からないかもしれませんが」
レディング修道院を建設したヘンリー1世
「今回の私たちのプロジェクトで、イギリスの歴史史上で最も偉大な建造物のひとつと、レディングで誰が埋葬されているについて明らかになることを願っています」
レディング修道院で本格的な考古学調査が行われるのは、およそ150年ぶりとなる。
ヘンリー1世は1135年にノルマンディーで死去したが、遺体は彼が建設したレディング修道院に運ばれ、牛革に包まれて埋葬された。
ハフポストUK版より翻訳・加筆しました。