国民的なアニメ『ドラえもん』には、全く再放送されない幻のバージョンがある。
それが、1973年に日本テレビ系で全国放送されていた、通称「日テレ版ドラえもん」だ。視聴率は振るわず、わずか半年で終了した。
その6年後、現在まで続くテレビ朝日系での放送が始まるのとほぼ同時に、「日テレ版」の再放送は一切なくなった。最後の再放送は1979年8月3日の富山テレビだ。
それから40年以上が経った。「日テレ版」は、ビデオやDVD、ブルーレイなどのメディア収録されることもなく、『ドラえもん』の関連書籍でも触れられることの少ない「幻のテレビ番組」だ。どんな作品なのか。
■制作スタッフが幻の映像を秘蔵していた
「ひどい作品と言われることもありますが、そんなことはありません」
そう言って、東京郊外で初老の男性がDVDプレイヤーを起動した。液晶テレビからは、今のテレビ朝日版とは全く違う『ドラえもん』のオープニング映像が流れた。「ぼくのドラえもんがまちを歩けば、みんなみんなが振り返るよ」と、演歌のような女性ボーカル。それに合わせて、ドラえもんとのび太が「ヘリトンボ」で飛んでいく。
ここは、東京の郊外にある下崎闊(しもさき・ひろし)さんの自宅だ。虫プロダクションで手塚治虫の秘書をした後、日本テレビ動画というアニメ会社で「日テレ版」の制作主任として、発注やスケジュール管理を取り仕切っていた。
下崎さんは「日テレ版」のフィルムを会社から購入して、自宅に秘蔵していたという。そのフィルムを保存用にDVD化したものを2017年11月、個人的に見せてもらった。
■ドラえもんの声は、「平成天才バカボン」のパパから「ドラゴンボール」の悟空に代わる
日テレ版は、現在のテレ朝版とはテイストがかなり違う。のび太は悪ガキっぽいし、ドラえもんは間が抜けている。ドタバタギャグだ。
視聴率低迷のテコ入れのためか、第1クール(1〜13回)と第2クール(14〜26回)でドラえもんの声優が男性から女性に代わっているのが特徴だ。前半は『平成天才バカボン』の「バカボンのパパ」を手がけた富田耕生。2クール目からは後に『ドラゴンボール』の孫悟空の声で親しまれる野沢雅子に声が変わり、ボーイッシュで元気なキャラになった。
ジャイアンは体格が良くて力持ちだが、ガキ大将っぽくはない。むしろ、裕福な家に住んで威勢がいいスネ夫が、子供たちの間で威張り散らしていた。さらにジャイアンの声を担当しているのは、テレ朝版でスネ夫を担当した肝付兼太のため、注意してみていないと、どっちがどっちの台詞なのか混乱してしまうことが必至だ。
ジャイアンの母親は故人となっているほか、ヒロインのしずかちゃんの家には、お手伝いの「ボタ子」というキャラクターがいる。第2クールでは「ドラえもん」を追いかけて、未来の世界から「ガチャ子」という鳥型ロボットがやって来るなど、テレ朝版とは異なる設定が多い。
約1時間かけて、声が入っている計6話を観賞した結果、「これはこれで味があるな」と思った。今のドラえもんとは少し設定が違うパラレルワールドだが、独特の雰囲気があった。封印されて、黒歴史として扱われているのはもったいない気がした。
■狡猾なのび太「うまくドラえもんをごまかしちゃったぞ」
ちなみに第1クールで放送された第20話「ねがい星流れ星の巻」は、こんな話だった。下崎さんの自宅で見たときの記憶を頼りに振り返ろう。
ドラえもんは、壊れたひみつ道具を処分することにした。空き地に穴を掘って道具を埋めたが、のび太は願いをかなえる「ねがい星」が気になり、ウソを言ってドラえもんが去った後に掘り返してしまう。「うまくドラえもんをごまかしちゃったぞ」とほくそ笑むのび太。何とも狡猾な印象だ。
あとで知って、あきれ果てるドラえもん。「本当に嫌になっちゃうよなぁ、のび太は!」と、野太い声でボヤく。保護者というよりは、友達感覚だ。
ここまでは単行本第10巻収録の「ねがい星」という原作を元にしたストーリーだが、後半部は日テレ版オリジナルの展開となる。
「ねがい星」が空を飛んでいるのを見て、本物の流れ星と勘違いしたしずかちゃんが「私にも弟が欲しい」と祈る。その直後、家の前に赤ちゃんが捨てられているのを発見して、しずかちゃんは大喜びする。
その後、ドラえもんとのび太が赤ちゃんの母親を見つけて、しずかちゃんの家に連れてくる。お手伝いさんまでいる裕福そうなしずかちゃんの家族と比べて、捨て子の母親がいかにも貧乏そうだ。最後、赤ちゃんは母親が連れて帰ることになった。
後ろ姿を見送りながら「早く妹を生んで」と、しずかちゃんがせがむ。両親が困惑したところで物語は終わる。渥美清主演の『男はつらいよ』や、下町を描いた『三丁目の夕日』などの映画のような、昔懐かしい日本の姿がそこには描かれていた。
時代色を消してポップにすることで、長寿作品となったテレ朝版の『ドラえもん』とはまるで違うものだった。
■制作スタッフ「日テレ版が全国放送されたから...」
制作主任を務めた下崎さんは「日テレ版」を手がけたのを最後に、アニメ業界からは引退。自動車整備工などの仕事をしていた。
2003年ごろに「日テレ版」について誤った情報がネット上で流布していることに気が付き、「真佐美ジュン」のペンネームで公式サイトを作った。虫プロ時代のアニメや、「日テレ版」を豊富な資料で紹介する内容だった。
「私としては昔、『日テレ版のドラえもん』があったよと言いたいんです。昔は『とんでもない作品』とか、カラー作品なのに『白黒だ』とか、別のものが『これが日テレ版のセル画だ』とか、間違った情報が出回っていたんです。それが嫌で『一生懸命作ったアニメですよ』と言いたくてサイトを作りました。自分で作った作品だから愛着ありますよね。『こういう作品ですよ』と、見せたいというのが僕の活動の根底にあります」
永井豪原作のロボットアニメ『マジンガーZ』と放送時間がかぶったこともあり、「日テレ版」の初回放送の平均視聴率は6.6%(関東地区)と苦戦した。そのため「日テレ版」は黒歴史のように扱われているが、下崎さんは『ドラえもん』というコンテンツが長寿作になったのは、「日テレ版」の功績も大きいと考えている。
「日本テレビからも最初から4〜5%取れればいいという話で始まって、5%は取っているんですよ。当時は、ドラえもんはマイナーな作品で、小学館の学年誌でしか読むことができませんでした。日テレ版の全国放送が終わってから徐々に人気が出てきたんです。それは、日テレ版の影響だったと思っています」
■日テレ版の放送中止の引き金となった「富山事件」とは?
日テレ版の放送当時、新聞に掲載された番組紹介を読むと「わが輩を知ってるかい?」「ドラえもんとはこんなケッタイな猫なのだ」という見出しが並んでいる。コンテンツとしての『ドラえもん』の知名度が低かったことが伺われる。
『ドラえもん』人気は、日テレ版放映後に上昇した。1974年から単行本が刊行されたことで、連載媒体の学年誌以外にも読者層が広がった。1977年には雑誌『コロコロコミック』が創刊され、『ドラえもん』が多数収録されるようになった。
シンエイ動画が手がける『ドラえもん』のアニメが、1979年4月からテレビ朝日で新たに放送されるようになった。「ホンワカパッパー、ホンワカパッパー、ドーラえもん」という明るい歌詞の主題歌、大山のぶ代の声のドラえもんでおなじみの、あのアニメだった。
その3か月後、藤子ファンの間で「富山事件」と呼ばれるハプニングが発生する。
テレ朝版の放送が日本各地で始まっているというのに、日テレ版が富山テレビで再放送されたのだ。『ドラえもん』の原作者、藤子・F・不二雄さん(本名:藤本弘)は激怒したという。
私は2007年に、藤子作品のアニメ化に関わっていた小学館元専務の赤座登(あかざ・のぼる)さんに取材したことがある。赤座さんは「藤本先生は大変お怒りになっていました」と振り返っていた。
「藤本先生は旧作の内容が全く気に入っておらず、『原作とは似て非なるものだ』とおっしゃっていました。『たしかに一度は許諾して作ったものだけど、私が作った原作のイメージと全然違うし、放送して欲しくない。できたら何とかしてほしい』という意向でした」
日テレ版をめぐって、藤本さんが所属していた藤子スタジオとアニメ会社は契約書を交わしておらず、口頭での契約だったという。藤子スタジオは小学館と連名で「再放送は許諾できない。法的措置も考える」と、富山テレビに内容証明を送って抗議したと赤座さんは明かしている。
■藤子ファンの男性「子供の頃に慣れ親しんだアニメを、もう一度見たい」
これまでの経緯を考えると、「日テレ版」の復活への道のりは、なかなか険しい。
しかし、『ドラえもん』の原作漫画も、藤本さんが難色を示したことで単行本未収録となったエピソードが大量にあった。しかし、藤本さんの死後、2009年から発行された『藤子・F・不二雄大全集』には全て収録された。
そう考えると、「日テレ版」の封印が将来的に解かれる可能性も、まだ残っていそうだ。2007年当時、最終話を含むシリーズ末期の計16話(放送8回分)のネガフィルムが保存されていることがイマジカへの取材で判明している。
藤子ファンからは「日テレ版」をもう一度見たいという声が多い。放送当時4歳だったという40代の男性会社員は「日テレ版」への思いを以下のように打ち明けた。
「1973年の初放送のときに、青森県内の自宅で姉と一緒に見ていました。『日テレ版は違和感がある』と、よく言われますが、僕にとっては初めて見た『ドラえもん』は日テレ版だったので、それが自然でしたね。今のバージョンのドラえもんの放映が続いてる限りは難しい......という藤子プロの姿勢は理解できますが、子供の頃に慣れ親しんだアニメを、もう一度見たいという気持ちはありますね」