カジノで106億円熔かして服役、大王製紙前会長のオーナー経営者論

転落の背景を語ってもらった。

外国人投資家が日本のオーナー企業に熱視線を送っている。『週刊ダイヤモンド』4月14日号の第1特集「オーナー社長 最強烈伝」では、トップが指導力を発揮しやすいオーナー企業を完全解剖した。一方で、オーナーは強い権限を持つが故に不正に走ることもある。カジノにのめり込み、ファミリー企業から総額106億円を借りて有罪判決を受けた大王製紙前会長の井川意高氏に転落の背景を語ってもらった。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集部・千本木啓文、同編集部委嘱記者・村井令二)

井川意高・大王製紙前会長 Photo by Kazutoshi Sumitomo

いずれカジノで勝って返せると考えていた

──カジノの資金をファミリー企業から借りるほどギャンブルにはまってしまったのはなぜですか。

ギャンブルが好きだったからです。学生時代から友人とマージャンしたり、パチンコをやったりしていましたから、嫌いじゃなかったんです。

本記事は「ダイヤモンド・オンライン」からの転載記事です。元記事はこちら

──オーナー社長としてのプレッシャーもあったのでしょうか。

私がそういうタイプに見えますか(笑)。会社法違反(特別背任)の容疑で東京地検特捜部に逮捕され、東京拘置所に入ったとき、担当の弁護士に「『(拘置所の生活が)面白い』と言っている人間は初めて見た」と驚かれたくらい、神経は太い方なんです。

──著書『熔ける』によれば、「過半の株式を持っている会社から、一時的にカネを融通したって問題はなかろう」と考えていたようですが、なぜこうした認識に至ったのでしょう。

良くないとは思っていました。でもカジノに返すお金が手元になかった。外部と金の貸し借りでトラブルになるわけにはいかないということで一線を越えてしまいました。

しかし、これはギャンブルで借金をつくった人間の心理なのですが、いずれカジノで勝って返せると考えていました。

オーナーの会社私物化とサラリーマン社長の不正、どっちが悪いか

──事件発生後、オーナー社長への風当たりの強さは感じましたか。

それは日本特有の嫉妬でしょう。

「あの人は苦労人だから性格が良い」と言われる人もいれば、「苦労しているから性格が悪い人」もいる。育ちのいいお嬢様だから使用人に優しく接する人もいれば、その逆もあります。結局、オーナーの性格次第なのです。

トップに居座って業績低迷を招いているサラリーマン社長だって少なくない。オーナーが会社を私物化するのと、株を持っていない人が私物化するのとではどっちが悪いのでしょう。

──確かに、東芝、日産など、サラリーマン社長の会社でも不正は起こっていますね。

そうですし、株主を無視したことをしているサラリーマン社長が多い。

そもそも、オーナー企業から始まっていない会社はどれくらいあるのでしょうか。オーナーが悪いというなら起業は無理です。

共産主義じゃないので自分の子や親戚に株式を譲るのは悪いことではありません。二代目、三代目で私みたいなのが悪いことをしてしまったら批判されて当然ですが、オーナー企業そのものが悪いというのは日本社会の悪い癖だと思います。

──三代目の井川さんは子供のころから家業を継ぐことを意識されていたそうですね。就職してから、オーナー企業の強みをいかすためにどんなことを心掛けましたか。

自分にもプライドがあったので他の社員連中には仕事では負けないぞという気持ちでした。誰よりいい知恵を出して誰より成果を出そうと思っていたし、実際にそうだったつもりです。

オーナー企業の強みにリーダーシップを発揮しやすいというのがありますが、一例としてティッシュやオムツといった家庭紙部門トップ時代に行った改革があります。

部門トップに就いた当時、家庭紙は売上高500億円で100億円近い赤字があった。これを立て直そうと一所懸命やりました。失敗したら業界から「やっぱりボンボンだったな」と言われてしまいますしね。

しかし、就任後、百何十億の赤字を出してしまった。当時は本社の廊下の端っこを歩いていました。でも、3年目でやっと分かってきたんです。

当時、大王製紙は良いものを安く大量に作ればいいという発想でした。それが製紙業界の体質だったし、大王製紙の中興の祖と呼ばれた父の高雄ですらそうだった。

家庭紙を立て直すには、なぜフェラーリは日本の高級車の3倍で売れるのかを、私だけでなく社員が理解しなければならないと考えました。儲からないのを他部署のせいにする体質も改める必要がありました。

凝り固まった社員の意識を変えるために2年間、毎週土日に泊まり込みの研修をやってマーケティングやマネジメントを叩き込みました。社員はローテーションだったから数ヵ月に一度でしたが、私は毎週土日休みなくこれを続けた。

研修ではなぜ上手くいかないのかを社員に発表させ、机を叩きながら"吊し上げ"ました。いまだったらブラックと言われそうなやり方です。

ファミリーの株式評価額が上昇 服役後、仕事もせずやっていける理由

──それはオーナーだからできたと。

当時の役職は専務取締役家庭紙事業部長ですが、30歳そこそこの若造でした。サラリーマンだったらできっこないです。

私が家庭紙を離れるとき、当初500億円だった売上は倍増。経常利益で80億円を計上し、赤字を解消しました。5年間で利益を160億円ほど引き上げたわけです。

今だから話しますが、事件後の対応でもオーナーとサラリーマン社長(である大王製紙現社長の佐光正義氏)の責任感の違いは大きかった。

私の借金を返すためにどう資金を捻出しようかとなったとき、ファミリーが持っていた大王製紙関連の株式を売ることになりました。

実は、その売値が佐光氏のおかげで2.5倍以上の440億円になったのです。

当初はファミリーが大王製紙の経営者として残っていたので非上場株は純資産価額方式で評価する必要があった。しかし、問題を起こした私が顧問から外されただけでなく、父や弟も大王製紙から排除されたので、ファミリーの株式売却は当事者間の取引から第三者との取引になり、税務上の制約が外れて評価額が跳ね上がったのです。

おかげで服役後、こうして仕事もせずやっていける。皮肉なものです。

一方で、この440億円のディールは社員や株主のためになったのでしょうか。ファミリーを排除して佐光氏は権力を安泰にした。しかし、そのために大王製紙に約300億円(純資産価額方式による評価額と実際の売値の差額)を余計に使わせているのです。

これはサラリーマン社長の悪いところと言えます。会社のリスクは自分のリスクじゃないわけです。

──オーナー社長としての幅を広げるためにどんなことをしていましたか。オーナー社長同士の付き合いも多かったようですが。

父に連れられて大学生のころから銀座で飲んでいました。名だたるオーナー社長に可愛がってもらいましたよ。まさに銀座は夜の社交界でした。

価値観や話題が合うので、やはり創業家出身の社長に親近感を持ちます。正直、相手がサラリーマン社長なら「ああサラリーマンか」と思っていました。オーナーと同じような遊び方もできませんしね。上場会社の社長より、むしろ地方のオーナー社長の方が使える額が多いようです。

オーナー社長が陥りやすい罠 人事に偏りが出る傾向も

──オーナー社長が陥りやすい罠とは何でしょうか。

Photo by K.S.

まずは、私のように会社を私物化してしまうことですね。

それと人事に偏りが出る傾向がある。父を見ていて反面教師にしていたのは、そこまで悪くないと私からは見える人でも、すぱっと切ってしまうことです。

こいつはできると思って引き上げるのですが、少しでも駄目なところがあったら左遷してしまう。

例えば本社の財務部長をいきなりゴルフ場の支配人にしたことがありました。それなら最初から登用するなよと。社員にも家族があるんですから。

父は好き嫌いで人事はしませんでしたが、ちょっとしたことで上げたり、落としたりとエレベータみたいな人事をしていました。

──井川家とそれ以外の間の不公平感はどうでしたか。

それはないです。最終的に大王製紙本体に残っていたのは父と叔父、私、弟の4人だけでしたから。

逆に言うと、4人だけだったから、佐光氏に足元をすくわれてしまった。父は絶対権力者でしたが、役員会を掌握しなければ力を発揮できないことを分かっていませんでした。父が会長を退任した後も影響力を持てたのは私と弟が役員だったからです。

──非創業家の経営者との対立も、オーナーが直面しやすいリスクです。

佐光氏の判断次第では、そもそも私の借金は事件にならずに済んでいたことを指摘しておきます。

私の借金は有価証券報告書にも記載されていて、決して隠していたわけではありません。契約では2011年9月末に返すことになっていた。

ただ、返済のための現金がなかったので関係会社の株式で代物弁済しようとしていました。債権者である関係会社7社の取締役会で、それを認める決議をする予定だったのです。

ところが、7社は「現金で返してくれ」と言って代物弁済を拒否した。それは、本社の指示に基づくものだったと関係会社の一部幹部が裁判で証言しています。

本社を仕切っていた佐光氏は、(井川家が保有する)大王製紙関連の株式をのどから手が出るほど欲しかったはずです。最終的に440億円で全部引き取ったわけですから。

佐光氏が代物弁済を認めていれば、借金を返せていた。返済されていれば事件にする必要はないと、東京地検特捜部の検事も言っていました。

──時が経つにつれて大王製紙に関係する親族が増えたことも問題でしたか。

だと思いますね。父の兄弟は、自分が経営する関連会社と大王製紙の役員を兼ねていて、今なら利益相反で問題になるような状況でした。

大王製紙の副社長をやりながら、大王製紙の営業部長を呼び付けて、自分が経営する関連会社の代理店にもっと安く卸せと言っているんだからひどい話です。

父がおじたちを大王製紙本体から追い出したのは大王製紙だけの利益を考えて経営する体制をつくるためでした。おじたちとは、それで仲が悪くなってしまったわけですが。

「大王」という名は「王子」を超えるという意志

──カジノ問題で大王製紙株式が売却されることになったのは業界再編のきっかけに成り得ましたが、結果的には各社とも展望を描きにくい状況のまま停滞しているようです。

正直、私と弟は事件が起きる前から大王製紙からいつエグジットするかを考えていました。

先を見通したらそうなりますよ。斜陽産業で国際競争力もなくなり、しかも当時業界3位の会社です。素材産業で生き残るのは業界2位まででしょう。エグジットしたほうが、社員も株主もハッピーだろうと考えていました。

実は、私の借金返済に当たって、国内最大手の王子製紙に井川家の大王製紙関連株を譲渡して、合併してもいいと思っていました。

「大王」という名は、「王子」を超えるという意志を表しています。でも、これは明治の人の青雲の志というやつで、いまはそんな時代じゃない。

私は王子製紙の篠田和久さん(当時社長、15年に死去)は大好きだった。レストランなどに招待し合う仲でした。

事件になった後、一審が終わる前に借金を返せば量刑も違うので、まずインドネシアの製紙会社APPグループとファミリーの持ち分の売却交渉をした。しかし、折り合えなかったので篠田さんのところへ行きました。王子製紙なら大王製紙の社員に冷や飯を食わせることはないと思っていたのです。

私も父も経営者としては王子製紙に強い敵対心を燃やしていた。けれど、バカ息子が問題を起こして、大王製紙の社員、株主、業界でのポジションを真剣に考えて、王子製紙と統合するのがいいと12年の年頭に断腸の思いで決断したのです。

でも篠田さんからは「株式を引き受けるのはやぶさかじゃないが、敵対的な取引は避けたい。大王製紙の役員の了解がないと難しい」と言われてしまった。

篠田さんは北越製紙(現北越紀州製紙)の敵対的TOB(株式公開買い付け)で失敗した経験があるのでトラウマがあったのだと思います。

そのうちに情報が漏れたのでしょう。佐光氏が王子製紙による株式取得に強く反対したそうです。王子製紙と統合すれば佐光氏は自分の居場所がなくなるからでしょう。

サラリーマン社長は最終的に自分の保身を考えがちです。

オーナーはかまどの下の灰まで自分のものという意識があって、ぎりぎりまで自分の会社を存続させようとしますが、いざ決断を迫られたら、会社のためになる道を選ぶものです。資産があるので自分が辞めても生計は立ちますから。

ところが、俊高をはじめとした私のおじたちは王子製紙との統合に反対する佐光氏に同調しました。おじたちは大王製紙の関連会社の仕事で所得を得ています。王子製紙と統合すれば不利益を被ると思ったのでしょう。かつて大王製紙本体の経営から兄弟を排除した父への複雑な思いもあったと思います。

──王子製紙との交渉が成立せず、結局、北越紀州製紙に株式が渡りました。しかし、大王製紙の現経営陣は北越紀州製紙と対立しています。

北越紀州製紙社長の岸本晢夫氏は国内首位の王子製紙、2位の日本製紙に対抗できる第三極の形成を提唱していました。

私としては、本当は王子製紙との統合が望ましかったのですが、プランBとして「第三極論」を選択したわけです。

佐光氏が北越紀州製紙ともめているのは、叔父の俊高が他のおじたちを焚き付けて、「アンチ高雄」でまとめているからです(俊高氏本人は大王製紙への自身の影響力を否定している)。

父は3%超の大王製紙株式を持っています。(大王製紙との統合を目指す)北越紀州製紙が保有する株式を合わせた持ち株比率は25%超ですが、それで大王製紙と北越紀州製紙を統合させようとしても足りませんよね......。

私は創業者タイプじゃない 今後は社会貢献を手伝いたい

──エグジットしたかったのなら、大王製紙会長時代に井川さんが道筋をつけていれば混乱を避けられたのではないですか。

それはタイミング的に無理でした。父は大王製紙が順調で、自分の目が黒いうちは独立独歩でやってほしいと思っていた。

自分を正当化するわけじゃないですが、従来の枠組みから脱するのは難しいものです。会長時代に私が「王子製紙といっしょになる」と言ったら、大半の人間が拒否反応を示したでしょう。

──刑期はいつ満了でしたか。

昨年10月でした。

──今後、新たなビジネスを始めようという気持ちはありますか。

私は大王製紙に入って仕事が楽しかったことは一度もないんです。「俺は何でこんなことしているんだろう」と砂を噛むような思いでやっていた。

工場は24時間365日動いていて、マシンが少し止まっただけで大きな損失を出す装置産業です。派手さは一切ない。私のやりたい仕事ではありませんでした。

いまはファミリーに残った外食の企業を見ています。これは私がやりたかったBtoCの仕事ですから楽しいのですが、命を懸けてやろうとは思っていません。

かといって新しい事業を立ち上げようという気持ちもない。私自身、創業者タイプじゃないことは分かっています。あるものを改善することはできるけど、全く新規のことはできない。

図らずもこういうことになったので、社会貢献を手伝いたいと思っています。初めての著書の印税は全て障害児専門の保育園とDVを受けた女性や子供の避難所に寄付しました。

「私もお金を出すけれど、皆さんも出してください」と慈善事業のためなら頭を下げにどこへでも行きます。私の人脈や知識を活用してもらえればいいなと思っています。

カジノに預けてるのを取り返さないといけない

──カジノからは足を洗うのですか。

カジノはね、預けてるのを取り返さないといけないですね(笑)。

1月に知人を連れて行って来ました。わいわいやりながら海外のカジノを体験するツアーのようなものです。

私は持っていったお金をスってしまった。また預けちゃった(笑)。

──今後、本気で勝負しに行くこともあると。

将来的にはあるのではないでしょうか。

でも、持って行ったお金をすったら終わりです。昔のように負けたときにカジノがお金を貸してくれませんから。パチンコや競馬やるのといっしょですよ。カジノで地獄を見るのは、負けたときに現地でお金を借りるからなのです。

カジノを含む統合型リゾート施設(IR)実施法案の議論が進んでいますが、官僚も議員もカジノで遊んだことのない人が議論しているのは問題です。

カジノ狂いになった人間からすれば、数千円の入場料はどうかと思います。カジノに足を踏み入れた時点で入場料分の負けが発生しているわけですから、それを取り返そうと熱くなってしまう。

時間制限を設ける案も、「終了間際に最後の大博打だ!」などと言って勝負してしまうかもしれない。むしろ犠牲者を増やすのではないでしょうか。

回数を規制するのはぎりぎり効果があるかもしれませんが、入場料と時間規制はあさっての方向だと言わざるを得ません。

ちなみに、日本にカジノができても私は行きません。日本ではディーラーも日本人だから。客のことが分かってしまうじゃないですか。日本人のハイローラー(大金を賭ける大口顧客)は国内のカジノを避けると見ています。

いがわ・もとたか/1964年、京都府生まれ。東大法卒、87年に大王製紙入社。同社会長当時に、カジノの資金を子会社から借りていた事実が発覚。会社法違反(特別背任)の容疑で東京地検特捜部に逮捕される。13年に懲役4年の実刑判決を受け服役。17年10月に刑期満了。近著に堀江貴文氏との共著、『東大から刑務所へ』(幻冬舎)がある Photo by K.S.

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