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2018年04月24日 15時39分 JST | 更新 2018年04月24日 15時39分 JST

亡くなった衣笠祥雄さん、最晩年の思い出 どこまでも真摯な「バットマン」が、そこにいた

聞きたいことはたくさん残っていたが、もう叶わない。その死を悼みたい。

「鉄人」と呼ばれた球界のレジェンド・衣笠祥雄さんが4月23日、亡くなった。衣笠さんは最晩年、あるスポーツライターとの思い出を語っていた。その言葉から、どこまでも野球に真摯に向き合っていた「鉄人」の姿が浮かび上がる。

時事通信
バッターボックスで構える広島の衣笠祥雄。

2017年6月、梅雨がもうすぐ終わろうという蒸し暑い1日だった。体調不良が伝えられていた衣笠祥雄さんがホテルのバーにやってきた。私は亡くなったスポーツライター・山際淳司の取材をしていた。

彼の息子・犬塚星司さんが、復刊した山際の名作ノンフィクション『江夏の21球』について、衣笠さんと対談するというので、その場に同席したのだった。

「江夏の21球」は、1979年の日本シリーズ第7戦で、広島の江夏豊投手が、9回裏に投げた21球に焦点をあてた作品だ。

そのなかで、衣笠さんは、マウンド上にいる孤高のリリーフエース江夏と、グラウンド内で唯一、気持ちが通じ合っている選手として描かれる。江夏がカッとなる場面で、そっとマウンドで一声かけ、冷静さを取り戻させるという、重要な役割を果たすのが衣笠さんだ。

対談の狙いは、彼の視点を通じて、名作をあらたな視点から読み解くことにあった。衣笠さんはいささかやつれたように見えたが、記憶は鮮明だし、故人について自分の視点から語っていた。

例えば、こんな風に。

『「江夏の21球」は、野球の中にドラマがまだまだあるということを世に広めてくれたんだよね。当時こんなにも興味深く文章化できたのは山際さんだけだった。野球というすでに世に広まっているものを「あ、こういう角度でも見られるんだ」というかたちで取り上げてくれた。』

『最後の最後、江夏が、ピッチャーの孤独を味わうわけだよね。それを、山際さんの文章は物の見事に書いている。野球の好きな人は、試合を見ながらも江夏の孤独に気づいていたかもしれないけど、活字にできたのは山際さんだけだった。でも山際淳司という人は、野球に詳しいのかというと、じつは知らないんだよね。よくこんなにしつこく書いたもんだよと思うよ(笑)』

衣笠さんは、最初に山際から取材を受けたとき「野球を知らない人」だと思ったのだという。しかし、決してバカにするような言葉をつかわなかった。

むしろ、知らないからこそ持っている「モノの見方」を面白がっていた。取材先をフラットにとらえ、「こうでなければならない」ときめつけてかからないスポーツライターの質問から得た気づきを嬉々として語る。

ゲームの一瞬を切り取ろうとする山際の姿勢と、ゲームの一瞬、一瞬に人生を賭けていた衣笠さんの姿勢が共鳴しているように感じた。

きっと、山際もそこに惹かれていたのだろう。「野球の『故郷』を旅する」「バットマンに栄冠を」といった作品で描かれる衣笠さんと同じく、野球に対してどこまでも真摯な「バットマン」がそこにいた。

席を立ち、バーの入り口に向かう衣笠さんに「実は山際さんの評伝を書こうと思っている。また話を聞きたいです」と話した。

彼はにっこり笑い「あの人は奥が深い人だよ。しっかり、取材しなさい。協力するから頑張りなさい」と励ましてくれた。

時事通信
「名球会ベースボールフェスティバル2016」の野球教室で子どもに真剣に指導する衣笠祥雄さん

それがお世辞でない、とわかったのはその日のうちだった。衣笠さんから取材に立ち会った全員にお礼のメールが届いたのだ。私が返信をすると、そこにも返信があった。

私信だから、すべてを明かすことはしない。私の決意を後押ししてくれるような内容だった。

そのメールを読み返しながら、もう一つ思い出したことがある。別れ際、彼は右手をそっと差し出し、握手をしてくれた。

その手はあれだけバットを振ってきた男の手とは思えないほど、柔かく、そして暖かだった。

聞きたいことはたくさん残っていたが、もう叶わない。その死を悼みたい。