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2018年04月24日 16時46分 JST | 更新 2018年04月24日 16時55分 JST

衣笠祥雄さんの人生、言葉で振り返る 「僕をここまで育ててくれたのは野球です」

「野球人生で初めてスランプに陥ったぼくが、藁にもすがる思いで手にしたのが、本でした」

衣笠祥雄さん
時事通信社
衣笠祥雄さん

4月23日、71歳で亡くなった元広島カープ選手で、野球解説者の衣笠祥雄さん。プロ野球で日本記録となる2215試合連続出場を達成し、「鉄人」の呼び名で知られる一方、不調に苦しんだ時期もあった。それでも優しさや朗らかさがにじみ出る、数々の言葉を残した。過去のテレビ番組やインタビュー、新聞記事などから振り返る。

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衣笠祥雄さん=1977年

中学で野球を始めた衣笠さんは、高校でも野球部を選び、甲子園に出場する。
小学生のときは柔道をしていたのですが、中学校に柔道部がありませんでした。いろんな部を見て回った中で、たまたま野球部のバッティング練習を見て、面白そうだと思ったのがきっかけですね。
(中略)
――野球をやめたいと思ったことは。
ない。甲子園に出たかったから。当時は格言集がはやっていて、自分で見つけてはノートに書き写してました。練習がつらくて、自分を励ましたかったんじゃないかな。レギュラーになれるか不安だった中で、ぶれなかったのは甲子園に行きたいという気持ち。それを励みにしました
」(2011年7月9日 朝日新聞デジタル「ぶれなかった甲子園への思い 衣笠祥雄さんインタビュー」


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連続試合出場の世界新記録を達成し、グラウンドで記念の花輪を手にする衣笠祥雄選手=1987年6月、広島市

高校卒業後、1964年に広島に入団。4年目から1軍に定着した。1970〜1987年にかけて試合に連続出場し、当時、大リーグのルー・ゲーリック氏が持っていた世界記録を抜いた。

スポーツ新聞はね、野球に追っかけられている気がするんだよね...で、いやなのよ。一般紙だと政治のこととか経済のこととか、三面記事とかを読んでいるときに、野球のことを連想させるもの何もないもんね。(スポーツ面が)唯一2面しかないでしょ。全然野球と関係ない世界があるでしょ。ホッとするんだよね。ははははは」(自宅でスポーツ紙ではなく、一般紙を読む理由を聞かれて。1986年NHK「17年間休まなかった男~衣笠祥雄の野球人生~」)

難しい球はねぇ、振ったってなかなか当たんないですよ。本人が一番よく知ってるんですけどね、それでもね、(三振を)やっちゃうんですよ。僕にとって、三振というのは野球の中の一部ですね。仕方ないですよ、仕方ないって、あきらめてないですよ。少なくとも自分としては振る瞬間は当たると信じているんです。それを時々、おまえわざと三振してるんじゃないのか、なんていう人がいますけど、そうじゃないです。少なくとも自分では信じて力いっぱい振ってるんですよ。それがたまたま、当たらないだけですよ。ははははは」(三振の数が当時の日本記録に近づいていることを聞かれて。1986年NHK「17年間休まなかった男~衣笠祥雄の野球人生~」)

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国民栄誉賞授賞式で中曽根康弘首相(右)と記念撮影する広島カープの衣笠祥雄選手(中央)(東京・首相官邸)


プロ野球選手としては王貞治氏に次いで2人目の国民栄誉賞も与えられた。
長いスランプを脱するのが一番の苦労でした。心技体の中でやはり心の問題が一番大切と痛感してきた」「打てない時に家族みんなで海水浴に行ったけど、海辺で自分1人が沈み込んでいて、これではいかんと目がさめた事もある」(国民栄誉賞の表彰式で。1987年6月23日付朝日新聞朝刊)

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2215試合連続出場で引退の花道を飾った広島の衣笠祥雄内野手=1987年10月22日、横浜スタジアム


現役時代に受けたデッドボールは当時歴代2位の161個。それでも、プロ野球で日本記録となる2215試合連続出場を達成した。

皆さんのご声援を受け、この球場で五度の優勝、三度の日本一...カープの本当に素晴らしい伝統を作るなかで一人の選手として参加できたこと、最高の、生涯最高の思い出としたいと思っています」(1987年10月22日、23年の選手生活を終え引退試合でのグラウンド挨拶)

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「名球会ベースボールフェスティバル2016」の野球教室で子どもに真剣に指導する衣笠祥雄=2016年1月11日、ヤフオクドーム

野球が好きなんですよね。僕をここまで育ててくれたのは野球です。野球に真剣に取り組んでなかったら、『鉄人・衣笠』はありません。今、素直にそう野球に感謝できるのは、人との出会いがあったからです。うわついていた若い時に、良い人に出会って根っこを作ってもらった。やればやるほど欲が出てきて面白くなる。それからです、野球の本質が見えてきたのは。僕を変えてくれた野球を、次は子どもたちに伝えたい。頑張れば、できるんだよって」(2008年2月5日、京都新聞福祉事業団「ふれあい福祉」ホームページ

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衣笠さんの愛書「死んだつもりで」

野球人生で初めてスランプに陥ったぼくが、藁にもすがる思いで手にしたのが、本でした。(中略)最もエネルギー源となった一冊が、鎌倉にある報国寺の住職だった菅原義道さんが書かれた『死んだつもりで』だったんです。知人に薦められたこの本の「まえがき」にはこうあります。《負けてたまるか、死んでたまるか、勝てば官軍、負けてなんの理屈がある。どうやってでも勝て、というのが私が最近若い人に与える説教である》スランプに苦しむ中で、ぼくは『明日、地球が爆発したらいいのに』と思うぐらい、追い込まれていました。しかしこの本ではむしろ、毎日を死んだつもりで生きれば道は拓けていくと説いている。そこではたと、自分は己を知らなかったんだな、と気づくのです」(2015年8月4日付NEWSポストセブン:衣笠祥雄氏の野球人生最大の危機を救った「心の一冊」とは

皆さんに伝えたいのは、夢を持とうよ、ということ。子どもだけじゃなくて我々の世代も夢を持たないと世の中が明るくならない」(2017年2月27日、朝日新聞社のシニア向けプロジェクト「Reライフ」のイベントで、広島カープのチームメイトだった山本浩さんとの対談の中で)


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2131試合連続出場の世界新記録を達成、スタンドのファンにあいさつする広島の衣笠祥雄選手(広島市民球場)