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2018年05月18日 07時00分 JST | 更新 2018年05月18日 10時46分 JST

いまの会社でいいの?と思う人へ… リクルート異色コンビは「複業」に希望を託した

元SONYエンジニアと生え抜きが打ち出す新しいキャリアのかたち

「『複業』を経験しなかったら今の僕はない。本業では名刺もろくに渡したことがなかったんです」「自分が就職した会社以外で自分の力をどう活かせるのか知る場があまりにも少ない」と2人はそれぞれに語る。

前者は元SONYのエンジニア、後者は新卒とリーマンショックが重なったビジネスパーソン。ともに1980年代生まれの2人はリクルートキャリアで出会い、新しいサービスを立ち上げる。コンセプトは「会社の枠に捉われず、腕試しする場を作る」だ。

Satoru Ishido

会社の枠を超えて、別の企業で「腕試し」

「社会人のインターンシップ」――。働き方改革が注目されるなか、新しい取り組みがはじまった。中心になって作り上げたのは、元SONYのエンジニアの古賀敏幹さんとリクルートたたき上げの椛田紘一郎さんだ。

社会人インターンシップは「サンカク」という事業の新サービスである。ウェブサイトをみればわかるようにサンカクを利⽤する企業は大手からベンチャーまで多彩だ。

企業側は例えば「大手⾃動⾞メーカーによる次世代モビリティ」「ベンチャー企業の営業戦略」といった解決したい課題を掲げて、社会人の参加者を募集する。

参加する社会人は興味のある企業に本業の業務時間外、つまりボランティアとして各企業が主催する課題解決のためのディスカッションをこなす。

うんとわかりやすくいえば、「会社員が会社の枠を超えて、別の企業で自分の腕を試せる場」ということになる。

企業側にとってもうまくいけば、課題解決のアイディアや必要な人材がわかるというメリットがある。

社会人インターン

同じ職場にいても自分の可能性はわからない

結局のところ、と古賀さんが口を開く。

《同じ職種、職場にいるだけでは自分の可能性がわからないんですよ。僕自身もそうでした。社会人インターンシップはただ話を聞いて終わり、ではなくもう少し実践に近い形で経験できます。

過去の自分が必要としていたことを事業化してみたんです。》

和歌山県出身。関西弁で力を込めて話す。

古賀さんはSONYのエンジニアとして社会人のキャリアを歩みだした。元々、ロボット作りに憧れ、東工大に入学を決めた。入学後は制御工学を専攻し、大学院にも進学した。

広い意味で理系に括られる勉強をしていたとはいえ、大学時代の専攻と社会人のキャリアはなんの関係もない。SONYを目指したのはソフトウェア開発に携わって、ユーザーのためになるものを世に送り出したいというぼんやりとした動機からだった。

事実、必要なプログラミングの知識はまったくなかった。

採用面接でエンジニアの技量を測るために聞かれる「どの程度のコーディングができますか?」という質問の意味が理解できず、「画面いっぱいです」とまったく噛み合わない答えを返してしまい、面接官の失笑を買った。

Satoru Ishido

SONYでエンジニアになったが......

それでも、本人曰く「ポテンシャル採用」で2008年に入社し、当時、先端技術だったブルーレイディスクレコーダーの開発部門に回された。元々、飲み込みは悪くないのと先輩たちの指導もあり、必要な技術は身についた。

自由で優秀な技術者がいて、彼らの背中をみて成長もできる。しかし、一つだけ不満が残った。実際に商品を使う人から距離が遠いことだ。

6年のエンジニア生活を経て、専門職だからこそ言われたことを開発するだけでなく、自分から事業を作る側に回ってみたいという思いが募った。

社内のコンペで企画書をだし、最終的に「エンジニアとしてはかなりイレギュラー」な異動で、新規事業の開発を担当する部署に転じた。

ここでいくつかの事業を提案する。その一つが本業以外でキャリアを積む「パラレルキャリア」を事業化することだった。自身もSONYで働きながら、本業以外の時間をつかってNPOとも仕事をした。

エンジニア生活6年で配った名刺は10枚、それが......

この生活を通じて、彼は確信に近いものを得る。「別の仕事を経験することは、本業の自信につながる」。なぜかーー。

《エンジニアの仕事は楽しかったし、SONYのエンジニアは本当に優秀で勉強になりました。

僕はエンジニアをやってみて、エンドユーザーから遠いと感じていました。

そうなると「自分の仕事ってなんのために役立っているんだろう」とか、「あれ、このままだと潰しがきかないな」とか思ってしまうこともあります。自分を見失いがちになるんです。

僕は部署異動やNPOで働いたとき、エンジニア生活6年で配った名刺の数を1日で上回ってしまったという日があり、衝撃を受けました。

6年で10〜20枚くらいしか交換しなかったのに、1日でそれ以上の名刺を交換する。それくらい人との接点がなかったのだと気づかされました。》

人手が少ないNPOとの仕事で気づいたことも多かった。

《NPOではウェブマーケティングのレポート作りを任されました。初めはエンジニア生活と同じように、初歩的な言葉も知らないから自分で調べるわけです。

やってみるとデータ解析の基本は同じです。データをまとめて報告すると感謝もされます。レコーダー開発とは違う充実感を得られて、「あれ、俺ってけっこうできるかも」って思えたんです。》

Satoru Ishido

気づきがあったとき

社内だけではわからなかった自分の価値に「社外」で気づく。充実感を得て、本業に取り組めば良い成果がでるはずだ。彼は確信を深めて、社内でパラレルキャリアを充実させようと提案する。結果は......。

《通りませんでした。ずっとSONYにいて、提案を続けたら通ったかもしれない。

でも、そのときにリクルートで同じような考えのサービスがあると聞いて、自分はこのアイディアを実現するため転職するしかないと思ったんです。》

思い込みにも近い熱意を買われたのか2014年9月、転職は無事に成功する。

それでも転職で万事がうまくことが進んだ、といううまいオチはつかない。前職で通らなかった企画が、転職先で簡単に通ることはなかった。

転職での出会い

社会人インターンの原型に近いアイディアはあった。それでも返ってくる反応は「コンセプトはわからなくもないんだけど......」「どこに価値があるの?」だった。

「これならSONYにいたほうが良かったかな」と後悔する古賀さんに、「必要なことだから、事業化するまでやろう」と社内で声をかけたのが椛田さんだった。

父親の仕事の都合で海外暮らしも長い帰国子女。そんな椛田さんがリクルートに入社したのは2009年、リーマンショックの影響が大きい年だった。

元々、転職をサポートするキャリアアドバイザーを希望して入社したが、最初の配属はシステム部門だった。しかも人手不足のためコールセンター業務をこなすことになった。

同期は営業で挙げた成果を誇らしげに語っていた。部署や業務が違うとはいえ、同期の活躍がまぶしく見えた。2年目以降、本来のシステム管理業務に専念したが、やりたいのは人材系のサービス開発で異動を希望した。

「君は何がしたいの?」で思い出す、ある友人のこと

社会人生活5年目のある日、上司からこんな問いを投げかけられた。

「手をあげて異動してきてくれたけど、君は結局のところ何をしたいの?」

問いかけられて、ふと思い出したのは大学時代の友人のことだった。

椛田さんは大学を1年留年している。一足早く、ある金融機関に就職した同級生がいた。久しぶりに大学時代に仲が良かった仲間同士で会おう。友人とそんな約束をしていた。

しかし、具体的な日時まで決まっていたのに会うことはできなかった。

椛田さんと会う前に友人は自殺をした。うつ病だったという。友人は真面目で、何事にも手を抜かない性格だった。椛田さんは思う。きっと彼は人知れず追い込まれていたのだろう。

リーマンショック前後の不安定な雇用状況のなか、すぐに辞めたり、転職したりするのはもったいない。せっかく決めた就職先のなかで何とか適応しようともがいたが、うまくいかずに精神を病んでいく。

もう少し早く会うことができたらどうだったのだろう。やるせない思いが募った。

いまの会社で追い込まれてしまう人たちに、別の道を提示するビジネスをやりたい。

上司の問いかけに対して、明確に答えることができた。

会社に追い詰められない場ってなんだろう?

必要なのは、ビジネスパーソンが自身の立ち位置を相対的に知ることができる場だ。

新卒で就職した職場からの転職ハードルは高い。追い詰められるか、転職するかの二択しかなく、その前にあって然るべき「他の職場、職種を知る」という選択肢がないように思えた。

知る場があれば、「自分はどこかで必要とされている」「この会社だけが会社ではない」ということがリアルにわかる。

ターゲットは「自分の社会人生活にもやもやを抱えている人」だ。

椛田さんが構想したのは、社内で燻っていた古賀さんと同じような事業だった。ならば、ということで2人は社内でチームを組み、構想を本格化させていくことになる。

Satoru Ishido

これでダメなら......

2人は口を揃えて語る。

《もし、これでダメだったらサービス自体が終了。社会人インターンは企画倒れになる可能性が高いと思っていました。どうせダメなら、2人で自分たちが必要だと思っていることを全部つぎこんで終わりにしよう。》

元々、ウマはあうほうだった。ともに好きなバンドや音楽の趣味が同じで、やってみたい仕事も近い。

なにより良かったのは数え切れないくらい朝から晩まで議論して、ときに口論に近いところまでエスカレートしても、次の日にはけろっと打ち合わせができたことだった。

2人の距離の近さを示すエピソードがある。

彼らには営業経験がなかった。

それでもサービスを売り込むために、見よう見まねの営業で方々を回った。構想が本格化した2016年の春、2人は営業先に向かうために待ち合わせた新橋駅でお互いの格好を見て笑った。

紺のジャケット、ノータイで薄いブルーのシャツ、チノパンーー。事前になにも言っていなかったのにまったく同じ格好だったのだ。

「なんとなくイケてる営業のイメージ」で揃えるという動機まで同じだった。ちなみにその営業先で、2人のアイディアは酷評されている。

酷評されても貫いた思い

椛田さんの回想――

《「パラレルキャリア、複業ねぇ。それなら本業で頑張るサービスにしたほうがいいんじゃないの?」っていう反応でした。

それでも、僕らはやっていこうという気持ちはぶれなかったんです。

このまま最初に就職した会社だけでキャリアを終えていいのかな?他の企業のことも知ってみたいけど、転職市場に出るのは......ともやもやを抱えている人は絶対にいる。

その人たちのために「転職の手前で自分を考える場」が必要なんだと何を言われても思えた。》

古賀さんの回想――。

《結局、僕がいまここにいるのもSONY時代にエンジニア以外の仕事を経験したからです。

人の可能性は一つじゃない。同じ会社で一つのことを極めるという道もありだけど、他の可能性に気づく場があってもいい。それが自信につながりますから。

そういう場を作ることから逃げたくない。》

酷評されることで、自分たちがどれだけアイディアを実現したいかという気持ちを確認できた。

コンビで課題を乗り越える

それ以降、思いを込めて熱っぽくしゃべる古賀さんと、分析的な椛田さんというコンビで営業も社内でのプレゼンもなんとか回り始めた。

賛同者も少しずつ増えて、原型となる企画でも企業も人も集まった。

そして2018年2月、「社会人のインターンシップ」は本格提供のスタートを告げるプレスリリースを出すところまでたどり着いた。

ウェブサイトをみると、大手からベンチャーまで幅広い企業から企画がある。社会人の利用者は30代のビジネスパーソンが中心で、利用者数は拡大傾向にある。

いまの会社に残るか、転職か。二者択一になりがちな転職市場に「一歩、手前で考える時間をつくる」というもう一つの選択肢を示す。この場に救われる人は決して少なくないはずだ。

会社の枠を超えて、別の企業で「腕試し」することも、「アタラシイ時間」になる。

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