インバウンド需要もあって好調に推移するホテルとは対照的に、稼働率で悩む日本旅館。そんななか、1泊2食付きを改めて「泊食分離」を進めることで再生を図る動きが出てきている。
ホテルは好調なのに...苦戦する日本旅館
元は8部屋の小旅館だった建物をリノベーションし、旅館の日本情緒を残しながらもホステルとして生まれ変わった「AIBIYA」。夕食を提供せず、近隣のレストランを紹介する「泊食分離」スタイルだ
片岡義男の小説で1986年に映画化もされた『彼のオートバイ、彼女の島』は、信州の高原で出会ったふたりが、温泉街の共同浴場でばったり再会するところから幕を開ける。
この作品で描かれたような古くからの温泉街は、外国人が抱く日本情緒のイメージにもぴったり重なる。「訪日旅行経験者への意向調査」(日本政策投資銀行と日本交通公社が2017年夏に実施)でも、宿泊先に日本旅館を選びたいという回答が最多の71%を占めているのだ。しかし、リクルートライフスタイルによる別の調査(16年9月)で示された"実際の"宿泊先は「中価格帯ホテル」(49%)、「高級ホテル」(33%)、「日本旅館」(24%)の順となっており、ニーズの取りこぼしがあることは明白だ。
おまけに日本旅館は、客室稼働率でも低迷している。16年の「宿泊旅行統計調査」(国交省)によれば、シティーホテルが78.7%、ビジネスホテルが74.4%であるのに対し、旅館の客室稼働率は37.1%にとどまっているのだ。さらには廃業の動きも目立ち、1980年に8万軒を超えていた旅館数が2005年には6万軒を割り込み、15年には4万軒をどうにか上回る程度となっている。ホテル軒数が一貫して微増傾向にあるのとは対照的だ。
そのように、日本旅館は大きな魅力を持ちながらも非効率で、ビジネスモデルの変革が待たれる業態という印象がある。そんななか、17年8月に観光庁が「泊食分離」の導入推進の方針を明らかにした。「1泊2食付き」が旅館の前提という状況を改め、訪日旅行客を呼び込んで連泊需要にも応えようというのだ。
ただし、旅館業界に詳しい井門隆夫・高崎経済大准教授が各所で指摘しているように、日本旅館とはいっても、企業経営でホテル並みの繁盛と稼働率を保っている施設も多く、それらについては切り分けて考える必要がある。旅館業全般の低迷をもたらしているのは、例えば家族経営の小規模旅館であり、そうした宿が軒を連ねる湯治場由来の古い温泉街である。
観光客半減に苦しむ長野の温泉が外国人観光客で活性化
そういった旅館街や温泉街では、小規模で古びてしまっている宿も多いけれど、飲食や娯楽の需要に応える店舗の並ぶ街がすでに存在するという強みもある。
家族+αで回している小さな旅館で、上げ膳据え膳の夕食にまで対応するというのは大変だ。そこを専門の飲食店に任せ、源泉掛け流しの風情ある入浴などは外湯でじっくり堪能してもらうことで、旅館の施設や経営をスリム化して料金を下げることもできるのだ。そして宿泊客にとっても、街歩きさえいとわないなら、より充実した宿泊滞在体験が味わえることになる。
その条件にぴったり適合し、泊食分離を含めた旅館街の再生で大きな成果を挙げているのが、湯田中温泉を入り口に9つの温泉を擁する長野県山ノ内町の「WAKUWAKUやまのうち」である。同社を取材して話を聞いた。
『私をスキーに連れてって』(1987年)の主な舞台は山ノ内町の志賀高原スキー場である。この映画の大ヒットをきっかけに日本中に波及したスキーブームで同町も活気に沸いたが、90年の985万人をピークに観光客は減少に向かい、2014年には459万人と、最盛期の46%にまで減少していた。そして湯田中渋温泉郷に絞っても、訪れる人は同じくほぼ半減していた。
しかし一方で、雪景色の中で野生の猿が露天風呂に浸かる、いわゆる"スノーモンキー"を眺められる地獄谷野猿公苑が外国人観光客に大人気となった。11~13年の3年間で日本人はほぼ横ばいだったのに対し、外国人は3倍近くまで増え、入場者全体の28%を占めるようになっていたのだ。
しかし、町に来てくれる訪日客は増えても、宿泊者数がなかなか伸びないという悩みがあった。日帰りで東京に戻るか、金沢などへ行く途中に立ち寄るだけの「素通り」が多く発生していたのだ。
旅館や飲食店などが個々の経営努力でお客を呼ぶことももちろん大切だが、温泉街全体をひとまとまりのエリアと見なして再生・活性化の舵取りをする仕組みが不可欠ということから、八十二銀行などが出資する「ALL信州活性化ファンド」の投融資を受けて14年4月に設立されたのが、「WAKUWAKUやまのうち」である。
同社がまず着手したのは、湯田中温泉のメインストリートである「かえで通り」を導線とした、インバウンド観光客向け施設の整備だ。
古い旅館や店舗を再生 シャッター通り改革がスタート
明治期に造られた温泉宿をリノベーションした「華灯りの宿 加命の湯」の浴場
「湯田中渋温泉郷は9つの温泉からなり、最奥の熊の湯温泉から県境の峠を越えると群馬県の草津温泉に至り、古くから善光寺参りの人々が逗留する湯治場として利用されてきた地域です。そこでまずは、インバウンド旅行者の入り口であり、終点の鉄道駅のある湯田中温泉の再生・活性化に集中して取り組むべきだと考えました」(株式会社WAKUWAKUやまのうち 代表取締役社長 岡嘉紀氏)
かえで通りの奥には、旅行サイト「トリップアドバイザー」による「トラベラーズチョイスアワード2015」で旅館部門の国内3位に選ばれた「一茶のこみち 美湯の宿」など、人気が高く、繁盛している日本旅館がいくつかあるのだが、湯田中駅からそこに至るまでの通り沿いがいわゆる"シャッター通り商店街"の様相を呈しはじめていた。旅行客、とりわけインバウンド観光客向けに必要な機能を備えた施設の整備が急務だったのだ。
精肉店だった建物をリノベーションして造られた「ビアバー&レストランHAKKO」
「小さな旅館や個人商店など、担い手が老夫婦になってすでに廃業し、住居化している物件や空き店舗がいくつもありました。古い建築でバリアフリーの観点からも引っ越しが望ましいのですが、明治大正以来の歴史があるので手放すのはためらわれるという例が少なからずあったのです」(岡氏)
そこでWAKUWAKUやまのうちが間に立ち、廃業した宿や店舗を持て余している人から、意欲ある若者へのバトンタッチを進め、先に写真を掲載した「ビアバー&レストランHAKKO」や「CHAMISE やまのうちカフェ」を開設して、旅行者が街歩きをする際の立ち寄り先を整備していったのだ。
泊食分離の宿が続々誕生 利用者数も順調に推移
さて本稿のテーマの「泊食分離」という観点でも、湯田中温泉には「華灯りの宿 加命の湯」「ZENYA」「AIBIYA」と、夕食を提供せずに外に食べに出てもらうスタイルの宿が次々にオープンしている。中でもAIBIYAは、旅館の日本情緒を残しながらもホステルとしての機能性や利便性を高めた点が光る宿だ。
「AIBIYAは元々は8部屋の小旅館でした。かつての湯田中温泉には、大旅館が宴会などで手いっぱいの場合に、こうした小旅館がそれを補完する役割分担があったのです。しかし時代が変わり、ネットの活用などで旅行形態が団体から個人に移るなか、低料金のホステルを求めるバックパッカーなども増えてきました。そうした需要に応えるためにも、客室部分はそのままに、厨房やお風呂などがあった1階部分には、自炊キッチンと共用スペースを広くとるなど、利便性を高めるリノベーションを行いました」(岡氏)
筆者も昨秋、金沢で似たようなホステルに宿泊したことがあるが、清潔感、利便性、低料金のいずれも申し分なく、大きな満足感を味わった。連泊する場合には、例えば1泊目の夜には地元の名物料理を奮発し、2泊目には自炊で簡単に済ませることもでき、実際にそうしている外国人青年がいた。そうして連泊客が増えれば宿のみならず旅館街全体も潤うわけで、理想的な好循環が期待できる。
さて、湯田中温泉ではこれまでに述べてきたような取り組みが奏功し、施設オープンから2回目のウインターシーズンにおいて、昨年対比の外国人利用者数がビアバーレストラン「HAKKO」で171%、ホステル「AIBIYA」が148%と、大きな成果が上がった。課題を1つ挙げるなら、"スノーモンキー"人気に象徴されるように、「街を訪れる人が冬季に集中している」ことだと、岡氏は述べる。
山ノ内町に隣接する飯山市も、やはりスキーブーム後の観光客減少に悩んでいたが、あちらは早くからグリーンツーリズムへの転換を図っており、すでにグリーンシーズン(4月~11月)の観光客が冬季に匹敵するか、それを上回るまでになっている。そうした近隣の成功例を採り入れることもできるだろうし、渋峠や万座峠が冬季閉鎖にならない時期には"東の横綱"草津温泉と組み合わせた旅行需要も創出するなど、今後もまだまだ、工夫の余地がありそうだ。
(待兼音二郎/5時から作家塾(R))
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