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2018年05月30日 15時18分 JST | 更新 2018年05月31日 13時14分 JST

「ダークペダゴジー」が、危険タックルを引き起こした。教育学者が指摘

山本宏樹さん「今回のケースの追い込み指導は、まさにダークペダゴジーの典型例です」

会見で謝罪する内田前監督と井上前コーチ
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会見で謝罪する内田前監督と井上前コーチ

日大アメリカンフットボール部の選手による危険タックルは、当時の監督とコーチによる「選手を精神的に追い込む」ような指導があったと5月29日、関東学生アメフト連盟が認定した。

若者を教育する場である学生スポーツの現場で、なぜこうした状況がもたらされてしまったのか。山本宏樹・東京電機大学助教(教育社会学)は、「"ダークペダゴジー(闇の教授法)"による心理的支配の典型例」と、ハフポスト日本版への寄稿で指摘する。危険タックルを招いた「指導」の構造を読み解き、解決へのヒントを示してもらった。

(内田氏と井上氏はすでに監督、コーチを辞職しているが、本文中は「監督」「コーチ」と表記した)


山本宏樹
東京電機大学理工学部助教。専門は教育社会学・教育科学。不登校・いじめ・体罰など教育関連の諸事象について広く研究するかたわら、結成から80年を数える民間教育研究団体の老舗「教育科学研究会」の常任委員を務める。著書に『〈悪〉という希望―「生そのもの」のための政治社会学』(共著、教育評論社、2016年)『統治・自律・民主主義―パターナリズムの政治社会学』(共著、NTT出版、2012年)など、関連インタビューとして「なぜ学校で体罰や指導死が起こるのか?――社会に蔓延する"ダークペダゴジー(闇の教授法)」(SYNODOS 2017年6月)がある。

私は今回のケースを「追い込み指導」による心理的支配の典型例として注視してきました。「追い込み指導」は、被教育者を窮地に追い込んで試行錯誤させる教育方法です。

ラフプレーを行った選手が謝罪会見で語った内容によれば、当該選手は監督やコーチから「やる気がたりない、闘志がたりない」などと言われて事件の3日前から試合や練習への参加を禁じられ、また日本代表チームへの参加も理由説明なく辞退するように命じられるなど、選手生命を脅かされる指導を受けたということです。

その結果、窮地に追い込まれた選手は、監督からコーチを通じて提示されたとされる「相手のクオーターバックを1プレー目でつぶせば出してやる」という条件に応諾し、実際に危険なラフプレーによって相手選手に全治3週間の怪我を負わせる等を行い、退場処分を受けました。

ラフプレーの模様は報道やSNS等で「殺人タックル」と呼ばれ、ラフプレーを行った選手やそれを指示したとされる監督やコーチに批判が殺到しました。当該選手にはアメフト関東学生連盟から対外試合出場を禁止する処分が下され、当該選手は要請されていた6月の大学世界選手権の日本代表チームへの参加も辞退するに至っています。

監督が行ったとされる「練習や試合への参加禁止」「日本代表チームへの参加辞退」の指示は、常識的に考えればあまりに理不尽であり、裏に何らかの明確な意図があったのではないかと感じます。たとえば、監督とコーチが停滞するチームに対する「ショック療法」の起点として、主力選手の一人である当該選手を敢えてターゲットに選んだ、といったようにです。

「日本代表チームへの参加辞退」というのは、選手の不安を煽り、努力させるための「ブラフ」(はったり)だったのかもしれません。
高校の生徒指導では、問題を起こした生徒に対し、最短5日程度で解除される自宅謹慎処分を「無期停学」として申し渡すといった指導がなされることがあります。そうすることで将来不安に駆られた生徒が「停学」解除のために必死に反省するからです。ぎりぎりまで追い込んだ後でしっかりと慰労することで、努力したことによる成果と、努力を認めてくれた教師への感謝が生徒側の手元に残って大団円となるわけです。

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内田正人前監督

■今回のケースの特徴

「追い込み指導」の例は数多ありますが、今回のケースの最大の特徴は、「追い込み」の目的が選手の「加害者化」だったという点です。週刊誌の報道で紹介されている「選手の成長のためにラフプレーをさせた」「選手はいじめることによって成長する」「試合相手に配慮するのは優しすぎる」といった意味の監督の発言内容から連想したのは、軍隊の新兵訓練やカルト教団のテロリスト養成の指導者像です。

新兵やテロリストの養成訓練では、候補者を身体的にも精神的にも追い込み、「この窮地から脱出するためには一人前の殺人マシーンになる他ない」と思い込ませ、時には通過儀礼として捕虜の拷問や死刑囚の処刑を実行させる場合もあります。今回のケースも、その指導目的は単なる「クオーターバック潰し」ではなく、それを一里塚とした「殺人マシーン」(自律的ラフファイター)、あるいは「ゴーレム」(指示待ち巨兵)、の養成であるように見受けられました。

今回のケースを分析する際に有効なのが、ダークペダゴジーという概念です。ダークペダゴジーは、倫理的に問題のある手法を用いて他者の成長発達、価値観や知識の獲得に介入する行為を指すものです。より具体的には「暴力・強制・嘘・賞罰・欲求充足の禁止・条件付き愛情・心理操作・監視・屈辱」などを用いた教育行為がダークペダゴジーに当たります。今回のケースの「追い込み指導」はまさにダークペダゴジーの典型例です(★注1)。

監督やコーチは無自覚に行ったのだろうと思いますが、今回のケースの「追い込み指導」において、ラフプレーを行った選手が直面したのは「相手のクオーターバックをつぶせ」という「指示」に対して承諾しても拒絶してもペナルティが待っているという逃げ場のない状況でした。これは児童虐待やパワーハラスメントの場面で見られる「ダブルバインド」状況です。「指示」を出された時点でバッドエンドは既に確定しており、しかもどちらかを選択したという事実によって結果を自己責任化されてしまうのです。

さらに、今回垣間見られたのは、「指示」にあたって不明確なグレーゾーンをあらかじめ織り込んでおき、それを阿吽(あうん)の呼吸で理解するように煽りつつ、不測の事態となった暁には、忖度した側に責任をなすりつけるという「言い逃れ」の手法です。学校や会社などでは、明確な指示を出さずにおき、それでいて生徒や部下が自分で考えて行った行為に対してケチをつける教師や上司がいます。そういったワンサイドゲームは生徒や部下に著しい精神的苦痛を与えます。

インターネット上には今回のケースとヤクザの「鉄砲玉」養成の類似性を指摘する声もありました(★注2)。ヤクザ映画などでは「伸びすぎた枝葉は刈らなあかん」などと言って殺害を比喩的に教唆したり、「男になってこい」などと言って殺害に積極的価値を持たせたり、「帰ってきたら金バッジ(幹部)じゃ」などの隠語によってその気にさせたりします。そうすることで、都合が悪くなれば「知らぬ存ぜぬ」と言い逃れられますし、場合によっては鉄砲玉が出所しても「金バッジが欲しければ何個でもくれてやる」などと言って幹部登用を反故にすることができるわけです。

今回のケースのように、支配者からの指導によって、被支配者が加害の一端を担わされる事態は、現実社会のいろいろな場所で起こりえます。たとえば、虐待的な家族関係のもとでは、子どもが保護者の意向に従って暴行や窃盗、売春、麻薬摂取などに手を染めさせられる場合があります。親子は「庇護と支配」が表裏となった「条件付き愛情」関係に陥りやすいのです。ヤクザの親分・子分関係もまたそうした親子関係を誇張的に表現したものだといえます。

学校では若手教師が同じ状況に苦しんでいます。強権的な校長やベテラン教師の方針に沿って、気の進まない生徒指導に狩り出され、理不尽と思いながらも、生まれつき茶髪の生徒に対して黒髪染髪指導をさせられたりしているわけです。

学校では、転入してきた教師が転入先の学校の教職員集団への入会儀礼の「踏み絵」として、教育信念に反する冷酷な生徒指導を「自発的」に選択させられる場合があります。新規採用者にせよ転入者にせよ、新参者は人一倍の献身によって組織への忠誠を示さなければ周囲から承認されないため、過剰な忖度が起こりがちになります。学校での体罰死事件のなかには、そういった状況で慣れない暴力を振るって生徒を死に至らしめた事件もあるのです。

そうした無理のある指導や加害行為に手を染め続けるうちに、やがて人格に変化が訪れます。良心と環境のあいだで発生するストレスを弱めるために、良心のほうを環境に適応させるのです。この作用を「認知的整合化」と言います。その結果として、人は判断を停止して言われたまま動くあやつり人形になることで良心の痛みを和らげたり、それどころか、ダークサイドで生き抜くためのスキルを研ぎ澄まし、成り上がり、ダークサイドの支配領域を拡大する道を選んだりします。

こうして人は忖度する代わりに自己決定を行う「一人前」の強権的指導者としてのアイデンティティを確立していくわけです。今回のケースの若手コーチにも、前述した若手教師たちと同じような苦悩があるのかもしれません。彼もまた「加害者へと追い込まれた存在」だったのかもしれないのです。

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日大アメフト部の練習場

■ダークペダゴジーの社会問題化のために

監督やコーチにとって誤算だったのは、選手が明らかな形でファウル行為を行ったことかもしれません。効率性の面から見れば、テロリストが逮捕されずにどれだけ被害を拡大できるかに工夫を凝らすように、反則を取られにくい巧妙なラフプレーを行うというのが攻める上でも身を守る上でも重要になるわけですが、今回の場合、特段そうした技術的指南はなされていないようでした。

また、ダークペダゴジーをめぐって水面下で常に生起しているのは「言質を取るか取られるか」という、自身の正当性をめぐるヘゲモニー(覇権)闘争ですが、今回のケースの監督は試合直後に記者に対して加害に関する居直り発言をしているなど、脇の甘さが目立ちます。つまり「幸運にも」と言うべきでしょうが、今回のケースはダークペダゴジーの練度としては稚拙であり、だからこそ、これほどの社会問題化が可能となったのです。

誤解のないようにいえば、「追い込み指導」にせよその他のダークペダゴジーにせよ、一般論的には状況に照らして使用することに妥当性が認められるケースもあるでしょうし、そうした厳しい指導が結果的に教育される側にとってよい結果をもたらす場合もありえます。倫理的に後ろ暗い部分のある手法を完全に封印することは、そうした教育のダイナミズムを台無しにする可能性があります。ダークペダゴジーを一律に禁止するのではなく、どこまで許されるかの線引きを被教育者の権利保障を最大限に実質化するために丁寧に行っていく必要があります。

また、教育は不確実かつ難しい仕事ですから、教師が注意深く最大限に謙抑的な指導を行っていたとしても「追い込み」の効果が想定外に強く表れてしまうということもあります。今回のケースにも外野には分からない事情や悲哀があるのかもしれません。社会学者のジョック・ヤングが指摘するとおり、我々はともすれば未知の他者を「悪魔化」して罵詈雑言の集中砲火を浴びせがちです(★注3)。

支配状況下における「追い込み」や加害指示は重大な問題であり、適切な形で社会的制裁を受ける必要性はあるでしょうが、誰にでも人権はあるわけで、冷静な真相究明が必要です。私が今回お示しした解釈も、多様にありえる可能性の一つにすぎません。

ただ、少なくとも今回のケースについていえば、監督やコーチの行った指導は、教育理念の面でも、教育実践の手続きの面でも、もたらされた結果の面でも、妥当性を欠く可能性は極めて高いと言わざるを得ないように思います。今回の一件をきっかけとして、こうしたハラスメンタルなコミュニケーションに対する抵抗の歩みを進めることが重要だと思います。

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会見する内田前監督と井上前コーチ

■「意思を強く持つこと」は可能か

では、こうした状況を変えるためにどのような対策が必要でしょうか。まず考えるべきは、ラフプレーを行った選手が会見で「プレーに及ぶ前に自分で正常な判断をするべきだった」「自分の意思というのを強く持つことが今後、重要」などと繰り返し述べていた点です(★注4)。個人の決意表明としては、そのように答えるのが正解かもしれません。ただ、対策として見た場合、個人の意志の強弱や、道徳教育の問題に還元することには慎重になったほうがよいと思います。

第二次大戦後、社会心理学者たちが戦争の過程で虐殺や拷問などの蛮行がなぜ行われたのかをめぐって「服従」や「同調」の圧力が人間にもたらす効果について実験的に検証しています。なかでもとりわけ有名なのが、スタンレー・ミルグラムの「アイヒマン実験」です。この実験は、ナチスによるユダヤ人ら600万人の捕虜虐殺の責任者であるアドルフ・アイヒマンの罪を測ることを目的の一つとして計画されました。

テストで答えを間違った見知らぬ他者(実際はサクラ)に対して罰として最高450ボルトという高圧の電気ショックを与える実行役に一般市民を任命し、何割の者がその役割を途中放棄するかが観察されたのです。事前に一般成人に結果の予想を尋ねたところ、役割を完遂する者は2〜3%だろうというのが平均的な回答でした。

しかし、実際の結果は事前予想を大きく逸脱しました。隣室でテストを受けている見知らぬ被験者(サクラ)に電気ショックを与えるよう監督者から指示された一般成人の多くは、スピーカーから流れる悲鳴を聞いて戸惑い、実験の中止を申し出ましたが、監督者から続行するよう冷静に告げられると、実に6割以上の者が、スピーカーから何の反応もしなくなって監督が終了を告げるまで高圧の電気ショックを与え続けたのです。ミルグラムは被験者(サクラ)が目の前で苦悶するという状況でも実験を行いましたが、その場合でも、実行役の3人に1人が激痛に暴れる者を押さえつけて電気ショックを与える役割を完遂しました(★注5)。

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危険タックルを受けて負傷した関西学院大の選手は、試合に出られるまでに回復した

■選手はなぜ加害行為へと追い込まれたのか

利害関係がない状況で権威者から依頼されただけで、これだけ多くの人間が非道に手を染めてしまうのですから、今回のケースのように社会的地位についての生殺与奪権をほとんど完全に掌握されている状況で、選手個人が「指示」を拒否することは現実的には非常に困難だと言えます。

実際、スポーツ部への所属経験を持つ学生たちにも監督の指示を拒否できるか尋ねてみましたが「監督は王様や神のような存在でありとても拒否できない」「試合に出られなくなることに対する恐怖はよく分かる」「指示に疑問を感じても監督を信頼して指示通りに動くと思う。だからこそ監督には謝罪して欲しかった」といった答えが返ってきました。率直な意見だと思います。

もちろん「意思の強さがあれば、それでも拒否できたはずだ」ということはできるでしょう。しかし、たとえるならば、今回のケースの指導は大多数の人間がダークサイドへと転落する険しい「崖路」のようなものなのです。高い運転技術と繊細な注意力をもって進めば無事に通れるかもしれませんが、それをできる人間が現に限られている以上、国や業界団体が「ガードレール」を設置したり、「警戒標識(幅員注意)」や「規制標識(通行止め)」などを出したりしたほうがよいと思います。

また、つけ加えるならば、今回のケースのような「崖」から落ちるのは、勤勉で従順な者たちである点にも注意が必要です。

ミルグラムのアイヒマン実験において、電気ショックを与え続けた市民の心中では、監督者への恐怖心や実験を中止させることによる損害賠償請求へのおそれだけでなく、引き受けた仕事に対する義務感や実験者への礼儀心が働いていました。ホロコーストで膨大な殺戮指令を下したのも、道徳規範を超越した悪魔的異常者というより、従順かつ勤勉な役人だったのかもしれないのです(★注6)。

今回のケースでは、加害選手が退場直後に涙を流していたことが目撃されています。加害直後から自責の念に駆られていたにもかかわらず、なぜ選手はダーティープレーに手を染めたのか。そこには絶大な権力を持つ監督やコーチに対する恐怖心、「なんとしてでも試合に出たい」という利害計算もあったでしょうが、それだけではなく彼なりに義務感に迫られた部分があったように思うのです。

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会見して謝罪する日大の選手

■「義務」としてのラフプレー

道徳心理学者ジョナサン・ハイトが、人間の道徳について興味深い指摘を行っています。人間の味覚が甘味・酸味・塩味・苦味・うま味の5種類で構成されるのと同じように、人間の道徳は配慮・公正・忠誠・権威・神聖・自由の6つの原理によって構成されているというのです(★注7)。我々は進化の過程でこの6原理を獲得したことによって、複雑かつ高度な道徳的判断を行えるようになりました。しかし6原理が相矛盾するがゆえに、モラルジレンマ(道徳的葛藤)に苦しめられもするのです。モラルジレンマというのは、実に人間的な現象です。

今回のケースにおいては「追い込み指導」が開始される以前から監督が選手と直接的に対話することが滅多になく、監督の指示はコーチを通じて選手に下りてくるという非常に大きな権力格差が存在していました。そういった場では、集団の指導者に対して畏敬の念をもち服従しなければならないという「権威」の道徳原理が支配的となりがちです。

また、ラフプレーの「指示」にあたっては、コーチから「秋の試合でクオーターバックがケガをしていれば得だろう」といった発言もあったと聞きます(★注4)。これは身を捨てて集団に尽くすことを善しとする「忠誠」原理への訴えとして機能します。

さらに週刊誌の報道によれば、監督は試合後に「(これくらいのラフプレーは)昔、僕ら毎試合やってたよ」「何年か前の関学が一番汚いでしょ」などと発言したそうです。選手に対して事前に「アメフトではこれくらいは当たり前」「これは正当な報復である」と言い含めていたとすれば、それは選手の「公正」原理にも訴えかけます。

ラフプレーを行った選手は、単なる恐怖心や損得勘定ではなく、このような複雑なモラルジレンマに翻弄されるなかで、みずからの「自由」と相手選手に対する「配慮」を捨てるという判断へと追い込まれたのでしょう。

大変難しいことに、今回のケースの加害行為はある側面においては「模範的行為」だと言えてしまうわけです。どの道徳原理に従うのがもっとも道徳的なのかは、時代や場所、所属集団によって異なります。しかも今回の場合は、ダークペダゴジーが「権威」や「忠誠」の原理を強化する教育技術として強力に機能していました。我々もまたラフプレーを行った選手と同様の葛藤状況に陥った場合に、人道を外れる行為を拒否できるかは怪しいと言わざるを得ません。

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負傷した関西学院大の選手の父親は、タックルをした選手に対する被害届を出す一方、寛大な措置を求める嘆願書への署名も呼びかけた

■何が対策となるか

残念なことですが、上記のとおり、心理的服従は人間性の深部に根ざす現象であり、ダークサイドへの転落に対して「心がけ」や「人格教育」に期待することには慎重になるべきでしょう。

道徳心理学者ローレンス・コールバーグらによれば、前述の「アイヒマン実験」の状況において、論理的な反駁を行って実験中止へと到達するためには、服従を要求する権威や同調の空気に抵抗するだけの確固たる法・人権理解が必要であり、そのためにはかなり高位の精神発達が要求されます(★注8)。

もちろんそれに向けた人権教育や人格陶冶を進めていく必要はあるでしょうが、管見の限りそれを強力に促進する道徳教育法は存在しておらず、即効性は期待できそうにありません。それはたとえば、車の事故が後を絶たないことを、事故を起こした「本人の心がけ」や「自動車教習所の教育」の問題として見ることはできても、その方向性に沿って有効な事故の防止策を講じるのが困難であるのと同様です

事故を減らすための現実的な手段として一般に用いられているのが法と環境管理です。自動車事故であれば、交通量の多い道路、通行スピードの速い道路、見通しの悪い道路、通行に高度な技術を要する道路などで発生しやすいことが分かっていますので、道路交通法を制定したり、標識を設置したり、道路工事をしたりすることで事故を減らす工夫が可能となります。

同様に、ダークサイドへの転落が起こりやすい環境も分かっています。競争的環境、多忙環境、密室的環境、専門的環境などです。今回のケースの状況は、これらすべてがあてはまる「事故多発地帯」だといえます。こうした環境を管理していくことが対策になりえます。

対策① ガイドラインの策定

ダークサイドへの転落を減らすためには、第一に「ガードレール」の設置が有効です。人を追いつめるダークペダゴジーが限度を超えて蔓延する要因の一つとなっているのがマキャベリズム(結果至上主義)です。激しい競争に曝されている部活動や企業では、「ラフプレー」を用いてでも、勝利に向かって最短距離で駆け寄ろうとする欲望が湧き上がり、正道を外れる者が現れがちとなります。

今回のケースでは、日大アメフト部の黄金期を築いた前監督に対する競争心や大会連覇のプレッシャーが、監督を「手段を問わない」という信念へと傾かせたのかもしれません。スポーツ庁が来春の創設を検討している大学スポーツの統括組織「日本版NCAA」や全国連盟が、指導のためのガイドラインを策定し、それを踏み越えようとする者を処罰する規程を策定すれば、ラフな指導は減るかもしれません。また、結果ではなくプロセスを評価する奨励制度も必要でしょう。

対策② リミッターの設定

第二に、速度超過は事故のもとです。無理なスピードの出し過ぎに制限をかける「リミッター」を備え付けることも、ダークサイドへの転落を減少させるために有効です。高い目標を掲げた集団や多忙な環境においては、つい選手や生徒に無理をさせがちになります。部活動においては「速度制限」にあたる年間活動日数や試合出場回数の上限設定などの方策が考えられます。

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関東学生連盟は、内田氏と井上氏を「除名」処分にすると公表した

対策③ 知的ワクチンによる免疫化

第三に、「幅員注意」「事故多発地帯」などの「警戒標識」を設置して、通行者に注意を促すことも効果的でしょう。有力な対策の一つとして「知的ワクチン」(★注9)の接種によって免疫を身につけるという戦略が挙げられます。ダークペダゴジーによる心理的支配のメカニズムの存在を知らないままその鬱屈に喘いでいる者たちにとっては、問題状況を正しく認識することが抵抗の契機になります。たとえば、支配者が突きつけてくる偏ったモラルジレンマを解体したり、不当性に対して異議申し立てをしたり、理不尽な指導を茶化す形で失効させたりすることが可能になるのです。

証拠を保全し告発するなどのソーシャルスキル(処世術)も「知的ワクチン」のなかに含まれます。そもそも事故多発地帯に近寄らないという判断もあってよいでしょう。私が行っているのはそのための情報提供です。

情報提供がかえってダークペダゴジーを普及させるのではないか、という懸念もあるかもしれません。しかし虐待研究の第一人者であるジュディス・ハーマンが指摘しているとおり、こうした心理的支配技法は、どこかで系統的に学ばれているのではなく、日々のコミュニケーションのなかで繰り返し発明されているのです(★注10)。

そのためむしろ対抗的な情報提供を行うことが「護身術」として重要になります。また、社会心理学者のエーリッヒ・フロムが言うとおり、他者を愛し慈しむことは決して簡単ではありません。そのためには「知識と努力」が必要なのです(★注11)。ダークペダゴジーを用いずに選手や生徒と向き合う方法について真剣に追求していく必要があります。

対策④ 暴力的文化に対する対抗

第四に、「暴力的文化」もまたダークペダゴジーの温床となります。監督は「ラフプレーは日大アメフト部の伝統」と述べたと報道されています。監督もまた日大アメフト部の伝統のなかで監督としての自己形成をしてきたわけで、その磁場から逃れるのは難しかった可能性があります。今回のケースにかぎらず、日本の部活動には「暴力的文化」が深く根を張り、指導者から生徒へ、先輩から後輩へと継承され続けています。

ダークペダゴジーは、倫理的に問題のある手法を使うことで、使った人や使われた人の価値観をダークなものに変えてしまいます。いわば人に取り憑き自己増殖する特徴があるのです。時には部活の指導者が暴力から手を洗おうとすると、OBや保護者がそれに抵抗したり、選手自身がすでに暴力支配に依存しきっていて、それなしでは落ち着かないといった場合もあります。

暴走族は危険運転を「かっこいい」とする価値秩序のなかで生まれます。上から禁止を押しつけようとすると、かえってそれに反抗することが「かっこいいこと」になりがちです。暴走族を珍走団と呼んでイメージチェンジさせるように、「ラフプレー」なりダークペダゴジーなりに手を出すことが「かっこわるい」「ダサい」という社会的価値秩序を生み出していく必要があるでしょう。

現状を改革するために重要なことは、連帯して声を挙げるということです。フランスの社会心理学者セルジュ・モスコヴィッシが、弱い立場に置かれた者が多数派を動かす方法について研究しています。そこで判明したのは、少数派が多数派を切り崩すためには、仲間を作ったうえで根気強く主張を繰り返す必要があるということです(★注12)。

今、ラフプレーを行った選手が謝罪会見で告発の声を上げ、日大の現役選手たちもまた声を上げ始めています。セクシャルハラスメントに対する#MeToo運動がそうであるように「連帯と告発」の連鎖がゲームチェンジをもたらします。今回の一件を機に、他の場所で理不尽な支配に喘いでいる人々が声を挙げることができるかが今後を大きく左右することになるでしょう。そうした動きを支えるためには、転落事故に介入し、現場検証を行い、公正に裁きを下す「警察司法機関」の整備と通報窓口が必要です。

対策⑤ 加害者に対する支援

最後に、ダークサイドに陥った者の回復の道を考えていく必要についても考えることが必要です。今回のケースにおいては、ラフプレーを実行した選手の謝罪会見が多くの感動を呼び、被害選手の保護者が擁護の声を挙げるなど包摂的な対応が進んでいます。それはとてもよいことだと思います。

もしかすると、今回のケースの監督やコーチもまた、日大アメフト部の伝統や人間関係のなかで、知らず知らずのうちに現在の在り方へと追い込まれたのかもしれません。選手だけでなく、監督やコーチも状況のなかでやむにやまれず「義務としてのラフプレー」をした部分が一部なりとあるのではないかと思うのです。ダークペダゴジーには、そういった悲劇的な悪循環があります。 

支配・被支配関係は、放っておくとたくさんの人が自然に転落しがちな関係性です。社会学者のピエール・ブルデューがいうとおり、支配者は往々にして自身の価値観の優越性や正統性を堅く信じており、善かれと思うからこそ熱心にそれを布教しようとします。支配者もまた支配によって支配されており、決して自由ではないのです(★注13)。支配者が支配を手放すことのできる環境が必要です。

学校の教師たちは、学校教育の権威や教職への信頼が失われるほど、その穴を埋めるために権力そして剥き出しの暴力に依存していきます。経営状況の不安定な企業では違法労働やパワハラが起こりがちです。

ヤクザもまた源流をたどれば被差別集団の互助組織でした。弱い立場にある者ほど暴力化しやすいという逆説がそこにはあります。真の強者は汚れた手段を使う必要さえないのであって、ダークペダゴジーはある意味で弱者の戦術なのです。

もちろん「危険運転」を行った者にはしっかりと法的に対処していく必要があります。ただ、許されざる手段を用いた裏に満たされない想いや願いがある点は汲み取られる必要があるでしょう。これもまたひとつのモラルジレンマですが、被支配者だけでなく、支配者をも救助可能な「医療機関」が事故対応には必要なのです。


★注1 この点について、すでに共同通信編集委員の佐々木央さんがダークペダゴジー論を用いて優れた分析をしてくださっています。「日大選手に心からのエールを:ダークペダゴジーからの脱出」全国新聞ネット、2018年5月23日付。

★注2 「町山智浩 日大アメフト部危険タックル問題 選手記者会見を語る」miyearnZZ Labo (2018年5月22日付、最終取得日2018年5月27日)。 「まるでヤクザの組長と若頭と鉄砲玉の構図、日大アメフト部の危険タックル問題」市況かぶ全力2階建(2018年05月22日付、最終取得日2018年5月27日)

★注3 ジョック・ヤング『排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異』青木秀男・伊藤泰郎・岸政彦・村澤真保呂[訳]洛北出版、2007年。

★注4 「『指示があったと言って欲しかった』。監督には届かなかった日大アメフト選手の無念(一問一答)」ハフポスト(2018年05月22日付)

★注5 スタンレー・ミルグラム『服従の心理』山形浩生[訳]河出文庫、原著1974年、邦訳2012年。山本宏樹「抵抗のための3つの方法―学校の同化圧力を超える」教育科学研究会[編]『教育』2014年9月号、かもがわ出版、15-24頁。

★注6 ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』大久保和郎[訳]みすず書房、原著1964年、訳書1969年。

★注7 ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか―対立を超えるための道徳心理学』高橋洋[訳]紀伊國屋書店、2014年。

★注8 Kohlberg & Candee "The relationship of moral judgment to moral action" Essays in moral development, Vol. II. Harper & Row, 1984.

★注9 佐藤裕『差別論―偏見理論批判』明石書店、2005年。

★注10 ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復〈増補版〉』中井久夫[訳]みすず書房、原著1997年、訳書1999年、訳書115頁。

★注11 エーリッヒ・フロム『愛するということ』懸田克躬[訳]紀伊國屋書店、1959年、訳書1頁。

★注12 Moscovici, S. et al. Perspectives on Minority Influence. Cambridge University Press, 1985.

★注13 ピエール・ブルデュー『国家貴族―エリート教育と支配階級の再生産 I』立花英裕[訳]藤原書店、2012年。邦訳15頁。山本宏樹「『向かい火』としてのパターナリズム:ピエール・ブルデューと民主主義」宮台真司[監修]現代位相研究所[編]『統治・自律・民主主義:パターナリズムの政治社会学』NTT出版、2012年、171-212頁。179-180頁。


山本宏樹(やまもと・ひろき)
東京電機大学理工学部助教。専門は教育社会学・教育科学。不登校・いじめ・体罰など教育関連の諸事象について広く研究するかたわら、結成から80年を数える民間教育研究団体の老舗「教育科学研究会」の常任委員を務める。著書に『〈悪〉という希望―「生そのもの」のための政治社会学』(共著、教育評論社、2016年)『統治・自律・民主主義―パターナリズムの政治社会学』(共著、NTT出版、2012年)など、関連インタビューとして「なぜ学校で体罰や指導死が起こるのか?――社会に蔓延する"ダークペダゴジー(闇の教授法)」(SYNODOS 2017年6月)がある。