ずっと気が散っている子どもだった。でも、それが強さになった。

「枠組み」が窮屈で、辛くて、しんどい。だからこそ、一歩外へ出た。

小学校から高校卒業まで、保護者面談や三者面談、そして通知表。

「集中できない」「注意散漫」「協調性がない」と言われ続けてきた。

家でも同じ。整理整頓ができなくて、親に買ってもらったもの、友だちに借りたものを無くし続けていたのが私の人生だ。

えるあき

高校入学時、両親は「最大何年間、うちの子を高校に在籍させてくれるのでしょうか」と担任に聞いたそうだ。

「え...」と戸惑う担任。両親はこう力説した。

「うちの子は集中力がまったく無く、紙のテストで点数が取れないんです。でも、せめて高校ぐらい卒業させてあげたい。普通の子よりも時間がかかるので、時間さえあれば周りと同じように単位を取って卒業できると思います」。

家に帰ってきた父は「6年かけて高校卒業できるって!3年じゃなくていいんだよ」と、満面の笑みで言った。

「バカにしないでよ!!私だって3年で卒業できるよ!!」と私は憤慨した。親の気遣いが、当時は分からなかった。

無事、3年で高校を卒業して、なんとか大学にも入学した。

だが、大学受験を通して痛感したのは、自分の"出来なさ"だ。

「学歴じゃ、他の人と同じ土俵にはあがれない」と強く思った。

ーーじゃあ、私には何があるの?

そんなとき、ある1人の大人と出会った。

その人は私のことを馬鹿にせず、「きみは一つの会社ではなく、色んな所で働いたらいいんじゃないかな。そういうのが得意だと思う」と、ざっくりと私の将来像と私の「良さ」を教えてくれた。

27歳になった私は今、4つの仕事をメインにいろいろな仕事をしている。毎日違う場所にいって、違う仕事をしている。私のライフスタイルの基盤を作ってくれたのは間違いなくこの人だ。

19歳でタイムアウト東京にインターンとして入社。できない自分が腹立たしくて、ふてくされながら生きてた。
19歳でタイムアウト東京にインターンとして入社。できない自分が腹立たしくて、ふてくされながら生きてた。
Hiroyuki Fushitani

「あの子は◯◯ちゃんとのグループ」「◯◯ちゃんがあのグループで揉めてる」

公立の小学校、中高一貫の女子校、女子大と歩んできた私にとって、組織の中にある小さな集団が苦手だった。

先生は授業で「友だちとグループになって」と軽々しく言うが、あれほど苦しい時間は他にはない。

「自分はどこのグループに属しているのだろう」

「このグループは私を受け入れてくれているのか」

気にし過ぎてしまう私は、複数のグループを「掛け持ち」することで生き抜いてきた。

中高からの"仲良し"グループ。グループでの楽しさを感じたのは、実は最近のことだったりする。
中高からの"仲良し"グループ。グループでの楽しさを感じたのは、実は最近のことだったりする。
Maho Futamase

複数の仕事を始める前、一つの会社に所属していたころは、そこでの人間関係が全てだった。

上司や同僚の顔色を伺い、変に気を使って「嫌われない」ことに徹する日々。

心身ともに疲労困憊になって、退職せざるを得なくなった。

でも、今は4つの会社、全部が私の居場所だ。

「どこのグループにも所属しなくていい」と、思えることで気持ちが分散できて、自分のパフォーマンスを安定して発揮できる。

毎日違う時間を違う人と過ごしてる。それが私の強みになった。

誰かと誰かの架け橋になることで、新しい時間や経験を生み出すこともできる。

「個性豊か」とか「十人十色」という言葉が日本語にはあるけど、日本社会でそれは、ある枠組みの上に成り立つことだ。

でも、私のように「枠組み」が窮屈で、辛くて、しんどい人間もいる。

そんな自分が「悪」だと思うこともあったけど。

今は胸を張って「そうじゃない」と言える。

周りを見て、同じやり方をする。その生暖かい安心感。そこから抜け出す勇気が、私に必要なものだった。

フリーになって最初の仕事は沖縄での音楽イベント。前夜祭での集合写真。
フリーになって最初の仕事は沖縄での音楽イベント。前夜祭での集合写真。
Hideki Oka

アタラシイ時間」を過ごすことは、「アタラシイ自分」と出会えるチャンス。

人生を豊かにするため、仕事やそのほかの時間をどう使っていくかーー。ハフポスト日本版は「アタラシイ時間」というシリーズでみなさんと一緒に考えていきたいと思います。「 #アタラシイ時間 」でみなさんのアイデアも聞かせてください。

注目記事