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2018年06月26日 17時23分 JST | 更新 2018年06月26日 17時23分 JST

なぜ名古屋の漫画喫茶店スタッフは死んだのか。被告が「黙る」ことで分からなくなること

大切な権利である「黙秘権」をどう考えたら良いか

Seiji Fujii
亡くなった女性と、その母親の遺影を掲げる父親

事件で逮捕された人は、つかまった時点では、本当の犯人かどうか分からない。それでも、強引な取り調べで、「加害者」と決めつけられる心配がある。追い詰められて、うその自白をしてしまうケースもある。

だから、取り調べでは、自分の思いに反して話す必要はない。こうした「黙秘権」は大切な権利だ。

ところが、名古屋の漫画喫茶店で働いていた女性スタッフの遺体が見つかった2012-2013年の事件では、この「黙秘権」への疑問が投げかけられた。

逮捕された被告は、多くを語らず、女性がどのようにして亡くなったかは明らかにされなかった——。この事件の取材を続け、「黙秘の壁」(潮出版社)を書いたノンフィクションライターの藤井誠二さんはそう指摘する。

藤井さんは「黙秘権は重要な権利だが、被害者の知る権利と対立するものとなり得る現実も、一方であることも報告したかった」と話す。この本が投げかけるものとは、何か。

asikkk via Getty Images
イメージ写真

山の中で見つかった漫画喫茶店スタッフの遺体

事件は2012年から2013年にかけて起きた。名古屋地裁の判決を報じた朝日新聞(2014年3月12日付)によると、名古屋の漫画喫茶店で働いていた女性スタッフ(当時41)の遺体が山の中で見つかり、店を経営していた夫と妻が2013年、死体遺棄容疑で逮捕された。

夫婦は、女性の遺体を山の中に埋めたなどの「死体遺棄罪」の起訴内容は認めたが、それ以外は黙秘を貫いた。この夫婦が女性を殺したのか、どうやって女性が死亡したのか、詳しいことは分からないままだという。

この夫婦は何らかの事情を知っていたのではないか。女性の遺族はそんな疑問を持ち、「真実を話してほしかった」と訴えた。

Seiji Fujii
亡くなった女性と母親の遺影

「タブーにしたくはなかった」

「僕に出来ることは何かを考えたら、すぐに動き出していました」。藤井さんに話を聞くと、執筆した理由をそう振り返った。取材を始めると、被害者の遺族が司法から置き去りにされた、と感じたという。

「(今回の事件のことを)見て見ぬふりをしたり、黙秘権について議論を提起することはタブーだという風にしたくはありませんでした」。

もちろん「黙秘権」は大切な権利だ。事件取材が長い藤井さんには分かっている。しかし、あえて「プロの常識」から一歩離れて、素朴な疑問を投げ続ける。

藤井さんはこう話す。

黙秘権は重要な権利で、軽んじられることはあってはならないと思います。しかし「対国家」という関係の中で被疑者・被告人が自分が不利にならないように防御することは、起訴されてもされずとも、被害者の知る権利と対立するものとなり得てしまいます。

真実を明らかにしながら、依頼人を防衛していかねばならないという、弁護士の真実義務や誠実義務のバランスについてもどう考えるべきか悩みました。

今回は加害者夫妻と同等ぐらいに、遺族は弁護人を激しく恨んでいます。犯罪者をかばい立てする存在にしか見えないからです。

潮出版社

日本の警察や検察官は信頼できるのか

藤井さんのこの本を読んで、私は「ある事件」のことを思い出した。2005年、佐賀県の旧・北方町で1989年に発覚した「3女性殺人事件」を私は取材していた。事件発生から長い月日を経て逮捕・起訴された男性(当時42歳)は、2005年5月、佐賀地裁で無罪判決を言い渡された。

佐賀県警が証拠をなくしたため、この男性が犯行を認めて書いたとする上申書が、犯罪を証明する「頼みの綱」だった。ところが、この男性に対する、取り調べが強引で、本当に自発的に犯行を説明したのか、疑わしかった。「容疑者に無理にしゃべらせて、殺害を認めさせよう」と捜査当局が焦っていたようだった。

佐賀の裁判所は、こうした捜査を証拠として認めず、「無罪判決」につながった。当時4年目の記者だった私は、なんとなく信じていた日本の捜査当局に対する信頼がガタガタと崩れていくのを感じた。

時事通信社
佐賀3女性殺害事件の判決公判の判決後、「無罪」と書かれた垂れ幕を掲げる殺人罪に問われた松江輝彦さんの支援者。1989年1月、佐賀県北方町の雑木林で女性3人の遺体が見つかった事件(佐賀地裁)=撮影日:2005年05月10日

本を読んだとき、素直に文字を追えなかった

容疑者が自分の口から事件のことを話す「自白」は真実の解明にとって大切だ。しかし、強引な捜査が怖くなって、ウソの「自白」をしたり、真実をうまく伝えきれなかったりするケースもある。佐賀の事件のように、逮捕された人が結果的に「無罪」となることもある。

「黙秘の壁」の事件でも、黙秘を続けてきた被告の夫婦が、本当に何も知らなかったり、殺害に無関係だったりすることだってあり得る。だから、初めて読んだときも、素直に文字を追えず、疑問を感じてしまう自分がいた。

「硬直化した『構図』にメスを入れたい」

しかし、「黙秘の壁」はそうした議論にも、これでもかと、さらに疑いを投げかけてくる作品だ。藤井さんはこう話す。

ジャーナリズムやメディアの役割は、硬直化した「構図」にメスを入れ、そこで起きている現実を伝えることです。イデオロギーに引っ張られてはいけません。

冤罪事件と言われるケースの検証も重要ですが、それだけではなく、その逆の「見逃される罪」についても同等に検証が必要です。被害者にとってみれば、検察側も弁護側も立場は違えど、強大な権力機構であり、権力的存在です。

それらで構成する硬直化した構図の中で立ちすくんでしまうことが多いわけです。泣き寝入りを強いられる当事者がいれば、私たちはそれを代弁して社会に伝えるべきです。

藤井さんの言葉は強いが、本を通して流れているのは、藤井さんの葛藤であるとも感じた。弁護側をあえて「権力機構」と表現するのも、たとえ「黙秘権」のような、人権を守るための大切な権利であっても、結果から逆算して、疑いの目を向け続けないといけないという決意の表れだろう。

Seiji Fujii
亡くなった女性と母親の遺影

「黙秘の壁」が問いかけるもの

権力との緊張関係の中でおこなわれる、刑事裁判には様々なルールがあり、どうしても最後まで分からないことがある。被告が黙秘をすることもあるし、証拠がそろわないこともある。しかし、それを「そういうものだ」と片付けてしまうと、真実を知りたい被害者や遺族の気持ちがないがしろにされる。

弁護士も、警察や検察官も、学者も、そしてメディアやジャーナリスト自身も、そうした「プロの視点」から一度離れてみる必要があるのではないか。

藤井さんの「黙秘の壁」が問いかけているのは、そういうことではないだろうか。

刑事裁判で分からないことがあったら、被告が黙秘を続けていたら、証拠が集まっていなかったら。その場合、どのようにして、私たちは一人の人間として、被害者の疑問や思いに答えたらいいのか。そうした重い問いかけが、社会に突きつけられていると感じた。

【藤井誠二(ふじい せいじ)さんのプロフィール】

Seiji Fujii

1965年愛知県生まれ。ノンフィクションライター。「黙秘の壁」を出版。著書・共著・対談本などは50冊を超えるが、近年は犯罪被害者についての著作が多く、『少年に奪われた人生』、『殺された側の論理』、『アフター・ザ・クライム』、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話)、『罪と罰』(本村洋氏・宮崎哲弥氏との対話)、『少年犯罪被害者遺族』、『「少年A」被害者遺族の慟哭』、『人を殺してみたかった』、『体罰はなぜなくならないのか』などがある。