「いまは皿洗い」サッカー日本代表からCAFEにポジションを変えた加地亮さん

「“あ、いたの”ぐらいがちょうどいい」

古民家を改装したCAZI CAFE

デジタルの進化が進み、世の中がどんどん便利になっている昨今。めんどうなことはすべてロボットが私たちの代わりにやってくれるという時代もくるのでしょうか。もちろん、歓迎すべき未来ではありますが、一度、足を止めて考えたいこともあります。

この時代にあって"てまひま"かけて毎日を過ごしている人がいます。便利の波に乗らない彼らの価値観のなかには、私たちが忘れがちなこと、見落としがちなことが少なくありません。そんな"我が道を貫く"専門家の元を訪れ、生きるためのヒントを得る企画。今回は、加地亮さんです。

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現役を引退したサッカー選手のセカンドキャリアとして、これまで所属チームでの指導やスクールコーチというものが王道でした。しかし、最近では、異なった選択をする選手も増えています。

中田英寿さんは現役引退後、世界各地を旅したことで知られています。現在では、1年間、福島を旅する企画を始めるなど、日本の魅力を広く伝える活動を行っています。同じく元日本代表・中田浩二さんはスポーツビジネスを選択。鹿島アントラーズでクラブ・リレーションズ・オフィサーという役割を担い、指導ではなくスポンサー対応やイベント企画などに注力。また、筑波大大学院にも入り社会工学を専攻しています。

そんな彼らと同世代であり、日本代表として活躍した加地亮さんもまた、指導者ではなく、別の道を選択しました。

滝川第二高校を卒業した加地さんは、セレッソ大阪 大分トリニータ FC東京 ガンバ大阪 チーバスUSA ファジアーノ岡山と、20年もの間、サッカー選手として活躍。日本代表選手としてドイツワールドカップに出場し、ガンバ大阪時代には、名門・マンチェスターユナイテッドと「3-5」というスコアで打ち合うなど、記憶に残る試合にも多数出場してきました。

そんな加地さんは、2017年限りで現役を引退。現在は奥さんが立ち上げたカフェで働いているのです。

大阪府の北部に位置する箕面駅。緑が多く自然に囲まれた同駅から徒歩15分のところにあるのがCAZI CAFE。古民家を改装しており、落ち着きのある同店では、ランチからカフェ、ディナーまでが楽しめます。キッズスペースがあるためお子さん連れの親御さんたちがゆっくり過ごしたり、丁寧で美味しい食事を求めて地元の老夫婦が訪れたり。

料理を担うのは、淡路島の旅館で腕を磨いたシェフ・内野さん。淡路島の特産物である玉ねぎを使った料理だけでなく、淡路島の魚を刺身などに積極的に採用し、淡路島牛のステーキも人気が高いそう。

淡路島に関係するのはシェフだけではありません。このお店のオーナーである加地さんの奥さんもまた、淡路島出身。ご実家は民宿とのことで、幼いころから"接客"が身近なのです。そして、何よりも加地さん自身も淡路島で育った島っこ。中学校まで淡路島におり、サッカーの名門校・滝川第二へと進みました。どこか島で過ごしているようなのんびりした空気感が漂うのは、彼らのバックグラウンドの影響もあるのかもしれません。

とはいえ、実際にお店を運営する方は大変なよう。

「めちゃくちゃ忙しいですね(笑)」

とは、加地さんの言葉。現役を引退してすぐにお店に入った加地さんの1日は、あっという間に過ぎていきます。

7時に起きて9時にお店へ。まずは掃除。お店の隅々まで綺麗にしてお客さんを待ちます。時間を見つけては盛り付けも担当。そうこうしているうちにランチがスタートすると、洗い場で待つ加地さんの元に、次から次へとお皿が運ばれてきます。一つひとつ丁寧に洗っては、決められた場所にお皿を戻していく。人気のランチメニューは小鉢を多数使ったものなので、必然的に小鉢の洗い物が増えてくる。手を滑らせて割ってしまっては大変。次に運ばれてくるお皿の山を意識しつつも、目の前の仕事に注力する。そんななかドリンクを作るのを手伝ったり、電話対応をするのです。

ランチ・カフェの営業が終われば一旦、自宅に戻る。現在は小学生3人の親でもある加地さんは、夕方の短い時間で、子供たちの勉強を見たり、家事を済ます。ディナーが始まる前には再びお店へ。なんだかんだと仕事を終えて帰宅するのは深夜になるそう。体調管理を優先していた現役時代とは、まったく異なる生活をおくっているのです。

派手に注目されるよりも、"あ、いたの"ぐらいがちょうどいい

それでも充実した様子の加地さん。

「ここは奥さんのお店。僕はサポートする側に回るんです」、そして、「実は地味にやる方が自分に合っているんです。派手に注目されるよりも、"あ、いたの"ぐらいがちょうどいい」

「"あ、いたの"ぐらいがちょうどいい」......この考え方に加地さんらしさを感じます。

1980年生まれの加地さん。サッカー界に目を移すと、この1979年・80年生まれは、遠藤保仁さん、小野伸二さん、高原直泰さん、小笠原満男さん、本山雅志さん、中田浩二さん、稲本潤一さんなど、スター選手がそろっています。そして、彼らは「黄金世代」とも呼ばれ、各世代の日本代表で活躍をしてきました。また、世界大会である「FIFAワールドユース選手権」では難敵を次々と倒し、見事に準優勝を果たしたことも。

このワールドユースではインパクトのあるエピソードがあります。当時、監督だったトルシエさんから怒られたある選手が坊主頭にしたことがきっかけで、次々とメンバーが髪型を坊主に変えていったのです。期間の長い大会で良いパフォーマンスを発揮するにはチームの空気が大切。当時、20歳前後だった彼らはそのことに気づき、連帯感をもって頭を丸めました。

さらにサブ組がたくましかった。試合に出られないサブ組が不平不満を言ってばかりだとチームは一つになりません。レギュラーで出ていた選手らが勢いのまま丸坊主にすることはそう難しくない話。ですが、その当時のサブ組は、率先してチームを盛り上げ、レギュラー組と同じように頭を丸めて笑いあった。若くして大人の対応をしていたサブ組のメンバーこそが、播戸竜二さんであり、氏家英行さんであり、加地さんだったのです。

どんなに苦しい状況でも、「客観的に自分をみて、適切な選択をすることに全力で向き合う」、これが加地さんの生き方。

多くの同世代のメンバーが引退していくなか、現役生活を20年間もまっとうできたのも、その姿勢があったからこそではないでしょうか。

1000mを10本走れと指示されたらどう考える?

「トレーニング時に1000mを10本走れと指示されたら、どう考えます? 『しんどいな』『嫌だな』と感じるのがふつうだと思うんです。でも、それを口にしてしまっては、チーム内に伝わってネガティブな空気になります。

じゃあ、こう考えてみてはどうですか。サッカーの試合では1試合で12km走るといわれています。ですので、このメニューでバテていたら、1試合走りきれないことがわかりますよね。そうならないように、どうペース配分するかを考えて走るんです。もし、それが6kmでバテてしまっては、前半しか走りきれないってことが判明して、自身の力量がわかるんですね。そうすればポジティブなトレーニングになるでしょ」

このような"視点を変えるスキル"は、高校時代に身につけたとのこと。淡路島を飛び出して入学したのは、全国からサッカーの実力者が集まる滝川第二高校。驚くほど上手い選手と一緒になり、今までの自分ではだめだと認めることになりました。当然、大きな挫折と向き合うことが幾度もありましたが、"視点を変えるスキル"を身につけることで、ポジションを取ることができたのです。

「いま、大学生と一緒にこの仕事をすることになって、色々と言われることもあるでしょう。でも、僕は他の人から何を言われても気にしません。僕自身がわかっていればそれでいいんです」

淡路島ののんびりした時間がながれるカフェで、せっせと皿を洗い続ける加地さん。「"あ、いたの"ぐらいがちょうどいい」と言い切ってしまう彼は、セルフブランディングが大切と言われる時代に、清々しく自分の道を歩き続ける専門家だと言えるでしょう。

文・写真 上沼祐樹

(2018年6月21日&wてまひまより転載)

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