2017年12月18日 10時34分 JST | 更新 2017年12月18日 10時34分 JST

「誰もが生きやすい社会」、NPOじゃなくてビジネスで。DeNAの部長を辞めてまで、新しい会社でやりたかったこと。

LITALICOはどんな会社?

株式会社 LITALICO | 取締役 中俣博之(33)

「30歳を目前に、残りの人生について深く考えました。自分の中で出た答えはシンプル。社会課題と本気で向き合い、解決していく」曇りのない表情で、熱く語ってくれたのがLITALICO 取締役の中俣博之さん(33)。彼が下した人生の決断、その裏側にあった思いとは。

優秀な人材が、社会課題の解決のために働く世の中へ

名だたるベンチャーや大企業を経て、LITALICOへ。こういった人材が徐々に増えている。その背景にあるのは同社の優れたビジネスモデル、「社会課題の解決」と「収益性」の両立が関係しているといっていいだろう。

「障害のない社会をつくる」

これがLITALICOの掲げるビジョンだ。手がけているのは、働くことに困難のある方向け就労支援サービス「LITALICOワークス」や、学ぶことに困難のある子ども向け学習教室「LITALICOジュニア」の運営など。

障害福祉や発達障害児教育など、事業を通じて社会課題と向き合い、企業としても急成長。2012年度は【29億2600万円】だった売上が、たった4年後、2016年度には【87億2900万円】という数字を叩き出している。2017年には「東証マザーズ」から「東証一部」に市場を変更。マーケットに大きなインパクトを与える存在として認められている。

(LITALICOが手がける事業ドメインの一部/HPより)

決してキレイ事ではなく、持続可能なビジネスとして「障害のない社会」を現実のものにしていく。

過去、DeNAにてゲーム開発の部長職などを歴任し、現在、LITALICOの取締役を務める中俣博之さん(33歳)はこう語る。

「日本にいる多くの優秀な人材が、社会課題の解決のために自身を活かしていってほしい。そうすれば、日本は本気で変わるはず。そういった意味でも、LITALICOのような会社が就職人気企業ランキングで上位になったら、すごくおもしろいですよね」

中俣さん自身、なぜこういった考えに至ったのか。どういった道のりを経てきたのか。そして今後、何を実現していこうとしているのか。熱き思いの裏側に迫った。

[プロフィール]

中俣博之/1984年、新潟県新潟市内野生まれ。筑波大学第三学群卒業後、株式会社ディー・エヌ・エーに入社。新規事業開発をはじめ、国内・海外企業との提携・買収案件や、海外支社での経営企画・戦略を担当し、帰国後はゲーム開発の部長職などを歴任。2014年7月株式会社LITALICOに入社。同年10月、取締役に就任。

ベンチャーだったDeNAにインターンで入社。「南場智子」のもとで鍛えられた新人時代

「もちろん最初から " 社会課題と向き合う仕事がしたい " と考えていたわけではありませんでした」

過去のキャリアをこう振り返ってくれた中俣さん。彼の20代はまさに激動だったといっていい。ターニングポイントとなったのは2006年。当時、社員数100名にも満たないDeNAにインターンで入社。抱いていたのは「いち早く一流へと成長したい」という野心だった。

「とにかく"超絶優秀なビジネスパーソンと一緒に働きたい"と考えていたんです。それが、当時の私にとってはDeNA創業者で、マッキンゼーの元パートナーである南場智子さん。彼女のもとで働くことと、マッキンゼーのトップレイヤーと働くのは同じこと。マッキンゼーに入社して同期競争を勝ち抜いて、パートナーと働くより、競争相手が少ないDeNAに入社すれば、ショートカットできると考えました」

そしてDeNAに入社した新人の中でもすぐに頭角を現していった。愚直に実践したのは、些細な仕事・ルーチンワークでも、付加価値を発揮していくということ。

「はじめに任されたのはオークションのカスタマーサポートの仕事。お客様のお問い合わせメールに応えていくというものでした。そこで実践したのは、とにかく返信スピードを上げ、同時に完璧な回答をしていくということ。何度もメールでやり取りをするのは効率が悪いですからね」

さらに、問い合わせ内容をフォーマット化し、全体業務を改善。こういった積み重ねが認められ、南場さんのもとで働くチャンスを手にしていったという。

そして、DeNAを退職するまでの約8年間、カスタマーサポート、HR、新規事業開発、海外展開における経営企画、ゲーム開発における部長職...というキャリアを築いていく。

次々と新たな仕事に挑戦していった理由はシンプルだ。

「うまくいっている仕事ほど、つまらないものはないですよね。仕事って苦境のほうが楽しいというか(笑)うまくいってると興味がなくなっちゃうんです」

現在に至る中俣さんの仕事哲学、その根本はDeNA時代に築かれたといっていいだろう。

「正直、仕事については、どのような職種であっても適性という観点では大きな差はないと考えています。できる人は何をやらせてもできる。経営者からすれば、そういった人材にこそおもしろい仕事を任せたいはず。なので" 職種は何? "と聞かれたら、その場に応じて、プログラミングもやっていたのでエンジニアとも答えましたし、必要とあらば営業とも答えます。マーケティングとも、カスタマーサポートとも答える。実際、そのように新たな経験がどんどんでき、昨日の自分よりも成長できる。それが楽しくてしょうがなかったですね」

30歳を目前に考えた、残りの人生を何に捧げていくか。

まわりから見れば、輝かしいキャリアを築いてきた中俣さん。一般論でいえば、そのままDeNAで更に上位のポジションに就く選択肢もあったはず。しかし、彼は「転職」という道を選択した。

「30歳はひとつ節目ですよね。29歳で、その後の人生について考えたんです」

そして導き出したひとつの答え。

「自分にしかできない事業にコミットしたい。そう思うようになりました」

変化の激しい業界を、全力疾走し続けてきた中俣さん。彼のなかで芽生えていったのが「社会のなかで自分をどう活かすか」という視点だった。

「仕事は人生において半分以上を占めるものですよね。やるからには全力でやる。ある意味、命の投資先だと捉えています。だからこそ、私個人として、必要性を強く感じる事業に、残りの人生を捧げたい。そうしないと自分に対して申し訳ないと思ったんです」

もちろん世の中にはさまざまなサービスがあり、意義深い仕事もある。それは彼が働いていたWeb・IT・ゲームの世界でも同じだ。ただ、中俣さんは拭いきれない違和感を自身のなかに抱えるようになっていた。

「多くの優秀な人材、そしてお金が " 世の中をちょっとだけ便利にするためのサービス " や "エンターテインメント " に流れているのが現状だと思います。もちろんそれを否定するつもりはありませんが、今この瞬間、生きる事そのものに困っている方々に向き合う産業にも分配された方がいい。社会の資本における多くが、それを無視していいのか。自分は果たしてそこに興味が持てるのか。本当にチャレンジングな環境はどこにあるのか」

そして行き着いたのが、障害福祉サービスをはじめとする、社会的な課題を解決していくという仕事だった。

「もちろん、NPOや福祉法人などの選択肢もありました。ただ、やるからには社会を変えるような大きなインパクトを残したい。ビジネスとしても成立させ、規模感のある組織をマネージしていく。その必要があると考えたんです」

全ての条件を満たす先、それが「LITALICO」だった。

LITALICOで目指す「誰もが生きやすい社会」の実現

こうしてLITALICOに入社し、入社3ヶ月で取締役に就任した中俣さん。事業戦略・統括の中枢を担う存在へ。彼は冗談交じりにこう語ってくれた。

「LITALICOは、まだまだリーダーを必要としている組織なんですよね。上が詰まっているということがない。社会課題の数の方が、リーダーの数よりも多いですからね。役割は青天井です」

事実、この1年で社員数は1,270名(2016年3月)から1,625名(2017年3月)になっている。今がまさに組織の拡大フェーズだ。

そして中俣さんは事業の根幹をなす考え方についても語ってくれた。

「LITALICOは" 障害のない社会をつくる " というビジョンを掲げています。 その根本にあるのは、社会的マイノリティの人たちが、より生きやすい社会をつくっていくということ。それはLGBTの人たちであったり、少年院の子どもたちであったり、難病を抱える方たちであったり、さまざまです。その中において、まずは障害のある方々とその家族に目を向けて事業をつくっています」

もうひとつ、同社における「障害」の捉え方を紹介しておこう。それは「障害は人ではなく、社会の側にある」というものだ。

「障害という言葉を広く捉えていただけるといいと思うのですが、コミュニケーションが苦手とか、足がないとか、両親がいないとか、何かしらハンディキャップを抱えていた時、事実、生きづらさはあるものだと思います。ただ、それを私たちは障害と呼ばず、そのハンディを生きづらさと捉えさせている社会の側に「障害がある」と考えています。社会の側の障害をなくしていくことで、ハンディを感じず幸せを実感できる社会にしていく。だから私たちは「障害は人ではなく、社会の側にある。」という言い方をしています」

この捉え方は、もしかしたら中俣さん自身における仕事観にも通じているのかもしれない。最後に、取材中にうかがい知ることができた、彼の仕事に対する考え方で締めくくりたい。

「私にとって仕事は、友人や知人、仕事仲間など関係する人たちに期待される役割を果たしていくということなのかもしれません。同時に自分が"こうありたい"という姿とのバランスをとっていく。その2つの円が重なったところが仕事なのだと思います」

「誰かの役に立つために」と言ってしまえば、チープかもしれない。ただ、人は誰かに期待された役割に応えることで、存在意義、生きがいを見出すこともできる。身近な誰か、社会との関わり合いのなかで、何を成していくのか。何のために働くのか。中俣さんの仕事人生における選択に、そのヒントをもらえた気がした。

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