婚姻届と離婚届を同時に書いた。ずっと自分だけの家族がほしいと思っていた

名前は単なるラベル。離婚家庭の子どもの持つ結婚観とは
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Pierre Aden / EyeEm via Getty Images
(写真はイメージ)

15万3600件。これは1988年、今から30年前の日本の離婚件数だ。婚姻件数が70万7716件なので、単純計算すると約21.7%の離婚率ということになる。

人は適齢期になれば結婚するもの。夫婦は一生添い遂げるもの。こうした"常識"はいまも根強く残る。親の生きざまを内面化した子どもが多いからかもしれない。

では、離婚家庭で育った子どもは、その生育過程でいかなる結婚観をはぐくむのだろうか。

今回話を聞いたのは、28歳の女性Aさん。2歳のときに両親が離婚。6歳で母親が再婚し、16歳で妹が生まれた。自身は、21歳で家を出て25歳で結婚している。

「ずっと自分だけの家族、自分だけの居場所がほしかった」

そう話すAさんが悩んだ、パートナーとの価値観の違いとは? 義母との関係、25年ぶりの実父との再会を経て、離婚に対する意識がどのように変化したのかについて聞いた。

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HUFFPOST JAPAN/SATOKO YASUDA

ずっと自分だけの家族、自分だけの居場所がほしいと思っていた

――まず、Aさんの生い立ちについて教えていただけますか?

うちの両親は、2歳のときに離婚しました。当時住んでいた青森県から、母は私を連れて東京に出てきたそうです。

――その後はどんなふうに暮らしてきたのでしょう。

6歳のときに母親が再婚しました。

16歳のときに、妹が産まれました。家庭内で自分に異物感を抱き始めたのはこの頃。高校時代、部活を終えて帰宅して、一人で夕食を食べることが多かったんです。ダイニングでごはんを食べながら、リビングでテレビを見ている母と継父、妹の後ろ姿を眺めて、「私はここには入れないんだ」と強く感じていたのを覚えています。

妹はかわいかったし、継父もわが子のように愛情を注いでくれました。それでも私は自分の異物感をぬぐえなくて、この環境から逃げたいと思っていました。自分の家族が欲しかったし、自分がいていいんだと思えるシェルターのような場所がほしかった。

実家を出たのは、21歳のとき。そのころは今の夫と付き合っていて、23歳で同棲をはじめ、交際期間中に何度も私からプロポーズしました。とにかく結婚したかったんですよ。

25歳のときに結婚しました。

――自分の居場所作りの形が「結婚」だったのはなぜなのでしょう?

好きな人の名字で戸籍謄本に刻まれることが、自分が存在していい証明だと思えるからかな......。自分が帰属できる場所の保証。

私、夫婦別姓って全然わからないんですよ。親が離婚、再婚をしていることもあって名前が何度も変わってるから、旧姓に執着が一切ない。名前は単なるラベル。だったら好きな人の名字がほしかった。入籍したときは、やっと自分だけの場所ができたという感覚でした。

でも私たち、婚姻届と同時に離婚届も書いているんです。当時はしんどくなったら離婚したいと思っていたから、「婚姻届を書くなら離婚届も書きたい」と夫に相談して。2人とも、今も1枚ずつ持っています。

――「結婚の自由」ならぬ「離婚の自由」もある、と。パートナーの方も快諾してくださったんですね。

そうですね。ただ、結婚、離婚に対する考え方はまったく異なっていました。私は離婚することも怖くなかったし、母は2回目の結婚ですごく幸せそうだから「もしかしたら私にとっても今の夫は踏み台なのかも?」なんてことも思っていて。

一方の夫は、両親、祖母、曾祖母、姉2人という大家族で、しかも田舎育ち。結婚当初は「俺は離婚する気はさらさらない。結婚はそういう簡単なものじゃない」と言われて、とてもつらかったです。結婚をきっかけに、価値観の大きなずれを感じました。

離婚していない家庭で育った人のほうが、いろいろなことに縛られていますよね。何歳までに結婚すべき、夫婦は一生添い遂げるべきというような「○○すべき」を持ちすぎている。選択肢が少なくて、もったいないなと思います。

強迫観念を和らげてくれたのは、あたたかく優しい義母

――結婚して、家族との付き合い方に変化はありましたか?

自分の家庭を持ち、距離を置いて接するようになって、やっと心から妹をかわいく思えるようになりました。運動会も毎年観に行くし、保護者競技にも参加したりして。

あと、義母のおかげで実の母親に対する気持ちがチューニングできるようになりました。

母にとって、私は戦友みたいな感じなんですよ。一緒に青森から逃げてきて、辛いときもずっと隣にいて、何でも話せる相手。

母は、外でキャリアウーマンとしてがんばっていたり、社会に対する貢献活動をしたりしている人。ただ、すごく弱い一面もあるんです。

母にとって私は、そこをフォローしてくれる存在でもあったと思います。「娘」であると同時に。

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RUNSTUDIO via Getty Images
(写真はイメージ)

――子どもとしては、うれしくもあり苦しくもありといったところですね。それが、義理のお母さまによってチューニングできるようになってきた。

そうなんです。義理の母親は、シルバニアファミリーのうさぎのお母さんみたいな人で(笑)。優しくって、包容力があって、私がソファーでふんぞり返ってても「みかん食べるけ?」とか言ってくれるんですよ。

一生懸命ごはんを作ってくれて、手伝おうとすると「せんでええ! 座っとき!」みたいな(笑)。夫の実家には甘えに行くんです、私。彼女のおかげで理想の母親像みたいなものを手に入れて、すごく救われました。

実父と再会して実感。離婚って、前もって用意しておくべきカードじゃなかった。

――親御さんの離婚後、実のお父さまとは会っているのですか?

親が離婚した2歳の時から、会うことはありませんでした。ずっと会いに来てほしいと思っていたし、会えない日々が続くほど「私が何か悪いことをしたから会えないんだ」と考えて......。特に妹が産まれてから、会いたいという思いは強くなっていきました。

実は去年、居場所を突き止めて25年ぶりに再会したんですよ。そして今年、もう一度、会ったのですが......これが私の人生をガラッと変えることになったんです。

――何が起きたんですか?

1回目はドラマチックだから盛り上がってたんです。感動の再会という感じで。でも、2回目は冷静だったから嫌な面がよくわかった。思わず翌日、母親に電話したんです。「お母さん本当に大変だったね。23歳で結婚した相手がこの人だったら、とても大変だったと思う」って。

私は電話口で、私を連れて出ていってくれたこと、継父と再婚してくれたこと、継父が私を娘として戸籍に入れてくれたこと、これらすべてが涙が出るほど幸せだと伝えていました。今までもちろん感謝はしていたけれど、あらためてありがたいなって。

――実際に会ったからこそわかる気持ちですね......。どんなふうに人生が変わったのでしょうか?

まず、離婚観が変わりました。実父について知ることができて、母は実父との関係を保とうと精一杯がんばっていたけれど、やっぱりトライした結果ダメだったんだなってわかったんです。離婚は、やるだけやってダメだったときに出すカードなんだな、と。

同時に、私が夫に対してそのカードを常に用意しておくのは、すごく失礼なんだなと感じました。離婚を前提とするということは、夫との関係をあきらめることを前提にしているわけですよね。だから、離婚という選択肢は完全に頭から消すことにしました。

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SATOKO YASUDA/ HUFFPOST JAPAN

――幼少期に「私が何か悪いことをしたから(実父に)会えないんだ」と考えていた"子ども"として、今は何を思いますか?

改めて、離婚は大人の都合で起こったことで、私はそこに何も介入していなかったんだな、と......。ずっと自分を責めている部分があったけど、私は単にそこにいただけで、離婚のきっかけや理由ではなかったんだな、と思えたんです。2歳児の私が、完全に成仏した出来事でした。

同時に、血のつながりほど面倒くさいものはない、むしろリスクだとも感じましたね。

私の人生で愛情を注いでくれた"父親"は、継父なんです。それなのに、血がつながっているだけで実父が正式な親とみなされる。世の中で信頼されている血縁信仰って、いったい何なんでしょうね。

.........

記憶をつかさどる海馬ができあがるのは、3歳ごろ。そのため、人の記憶は一般的に3歳以上の経験だといわれる。

Aさんが2歳での両親の離婚を記憶しているのは、それがあまりに衝撃的で、なおかつ幼少期に何度も何度も反芻したからなのだろう。とてもつらい話だ。

そんなAさんが自分自身の居場所を見つけ出し、夫との価値観の違いに戸惑いつつも自分なりの結婚観にたどり着いた様子には、同じ離婚家庭育ちとして大きく心を動かされた。

結婚すると、夫婦はそれぞれの持つ"常識"をすり合わせながら、固有の家族のかたちを模索していく。ただし、日本においてその"常識"のほとんどは、婚姻関係にある二人の男女が、血のつながった子どもを同居して育てるという家庭で育まれたものだ。

離婚家庭で育った子どもたちは、どうやって新しい家族のかたちを模索しているのか。結婚について、血縁関係について、子どもについてどう考え、どんな悩みをどうやって解決していったのか。これからも探っていきたい。

(取材・文:有馬ゆえ 編集:笹川かおり)

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