「泉南石綿村」「ゆきゆきて、神軍」…ドキュメンタリーの鬼才、原一男とは何者か。庵野秀明、辺見庸らが語る「全仕事」が本に

「今までの流れを踏まえて今後の課題を考えるヒントになる」
「タブーこそを撃て! 原一男と疾走する映画たち」(キネマ旬報社)
「タブーこそを撃て! 原一男と疾走する映画たち」(キネマ旬報社)
Asahi

「ゆきゆきて、神軍」(1987年)で知られ、最新作「ニッポン国VS泉南石綿村」(2018年)が公開されているドキュメンタリー映画の鬼才、原一男監督(72)の「全仕事」に迫る本をキネマ旬報社が制作した。タイトルは「タブーこそを撃て! 原一男と疾走する映画たち」。映画監督の庵野秀明氏や作家の辺見庸氏らとの対談や記事などを通じて、原監督の約45年間の映画人生を追っている。独自コンテンツを追加した特別編集版も制作する予定で、クラウドファンディングで支援を募っている。

「映画を撮り始めた20代のとき、『生活者を撮らない、表現者を撮る』と自分に言い聞かせていた」

インタビューで原監督はこう語り始めた。

原監督が言う「生活者」とは、自分と自分の家族の幸せのために生きる人のことだ。一方、「表現者」とは、自分と自分の家族の幸せのためよりも、世界の貧困や戦争、紛争の被害を受けて生活に困窮している人、様々な差別に苦しんでいる人ら、もっと多くの人のために生きる人のことだ。

その言葉通り、原監督の映画は「表現者」を追い続けてきた。

撮影中の原一男監督(原監督提供)
撮影中の原一男監督(原監督提供)
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第1作の「さようならCP」(1972年)では脳性マヒ(CP)の人たちで作る「青い芝」の人々が、障害のある体を積極的に人前にさらしていく姿を映した。「極私的エロス・恋歌1974」(1974年)では、自身の元パートナーの自力出産を撮影。「ゆきゆきて、神軍」では天皇の戦争責任に迫る過激なアナーキスト・奥崎謙三、「全身小説家」(1994年)では小説『地の群れ』などで知られる作家・井上光晴の生を描いた。

「『生活者』的な生き方は嫌でつまらない、他者のために生きるほうが偉いと思っていた。『表現者』として生きている人にカメラを向けることで、自分を鍛えてほしいと考えていた」

この四つの映画を原監督は〝スーパーヒーローシリーズ〟とも呼ぶ。「全身小説家」の後もその路線で誰か映画の主人公となる人物がいないか、探し続けた。

だが、見つからない。

「10年近く探してきたんだけどいない。どうしてだろうと考えたとき、『時代が変わった』とはたと気づいた。平成は、権力者が支配の力を増幅させていった時代。過激な生き方を時代が許容しなくなり、その路線で主人公を探してもいないことに気づいたんです。自分が培ってきた手法が通用しないんじゃないかと相当に落ち込みました」

そんなとき、関西のテレビディレクターから、「泉南のアスベスト(石綿)をやらないか」と声をかけられた。アスベストの危険性を認識しながら対策をとってこなかった国に対して、被害者が起こしていた国家賠償訴訟。撮りたい、でも被写体がいないというジレンマに悩まされていた原監督は、二つ返事でこのテーマを引き受けたという。そうして8年間の撮影の末にできあがったのが、「ニッポン国VS泉南石綿村」だ。

だが...

「泉南の法廷で主人公の人たちに会って、『しまった。普通の人たちじゃないか』と私の悩みが始まりました。撮影しているときも今までのヒーローと無意識のうちに比べてしまう。面白い映画になったと思えないまま、裁判は終わってしまいました。だから8年つきあったのは自慢じゃないんです」

原監督の最新作「ニッポン国VS泉南石綿村」
原監督の最新作「ニッポン国VS泉南石綿村」
©疾走プロダクション

最初は2時間17分に編集したが、試写会で見せたお客さんの「もっと長くてもいい」という反応を受けて、3時間35分に再編集。2017年の山形国際映画祭で上映すると、数十人の観客が「面白かったです」と口々に称賛してくれた。

「この映画は面白いという水準に達しているんだな。少しずつ安心の度合いも大きくなって、やっと肯定的にとらえるようになりました」

今回の「タブーこそを撃て!」の出版は、「泉南石綿村」の映画公開にあわせて企画された。原監督は「ドキュメンタリーの作り手が単独の一冊の本を作ってもらうことはなかったんじゃないか。今回の作品だけでなく、今までの流れを踏まえて今後の課題を考えるヒントになる」と喜ぶ。

対談相手や執筆者には「エヴァンゲリオン」「シン・ゴジラ」の庵野秀明、「野火」の塚本晋也、作家の辺見庸、柳美里の各氏ら、そうそうたる面々の名前が並んでいる。

「四方田犬彦さんは私らが一本一本の映画をつくってやっと分かることを、映画をさーっと見て、あっという間に見抜いてしまう。辺見庸さんは一番過激にけなしているんだけど、何度も読んでしまう。問題提起して批評・議論をしてもらうために映画を作っている。指摘をしてくれる人はありがたい」

インタビューに応える原一男監督
インタビューに応える原一男監督
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これまでの映画を知らない人が「泉南石綿村」を見た後に、本を読むと印象が変わるのでは? そう尋ねると、これまでの映画との違いを強調してきた原監督が「セリフには裏があるんですよ」と言って言葉を続けた。

「今回(「泉南石綿村」)は1人の人で1本の映画ではなく、二十数人いて、1人の時間はあっても10分。でも10分という持ち時間の中で、固有の人生を凝縮して撮るとき、そこには今までの手法がしみついている。全く今までの手法と無関係と言葉ではいうが、方法は脈々と受け継がれているんです」

タブーこそを撃て!」の前文で、原監督は以下のように記している。

「今作(「泉南石綿村」)は、自分の原点、出発点に戻って今後の作品を作っていく方向性を再考せよ、という天の啓示だと思っている。この『タブーこそを撃て! 原一男と疾走する映画たち』と題された本が私に、今後の指針を示してくれるはずである、と期待している」

クラウドファンディングでは支援額に応じて、原監督と一緒に作品を見る出張上映会の開催権や「タブーこそを撃て!」に16ページを新たに加えた特別編集版が手に入るリターン(特典)などが用意されている。詳細は、https://a-port.asahi.com/projects/harakazuo_kinejun/。(伊勢剛)

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